38/D…※


日暮れどき、レインがマッチを近づけるとあっという間に平地の中央が紅蓮の炎に包まれる。積まれた薪は昼間に大瑚が子供たちと拵えたものだ。鍋や鉢、様々なガラクタを手にしたフーがそれらを撥で叩きながら音を奏でていく。気持ちの高まるリズムで心地良い。

 燃え踊る炎の上をバケツの水をかぶった上裸の男たちが飛び回る。鍛えられた体を捻り、回転するように飛ぶ姿は何かのショーを見ている気分だ。飛び回るほど、汗と水が飛び散る。大瑚もその中に入り、誰よりも大きく回って見せた。負けずに男たちにも力が入る。麦茶や握り飯を盆にのせて外へ出た女たちは興味深そうに眺める子供たちを気にかけつつ、自身も彼らに見入っていた。子供たちは嬉しそうに両手をあげて真似るような素振りを見せる。

 汗を拭うようにした大瑚は木の上で天を向くキリウを見た。習って顔を上げると満天の星空が広がっている。町内の星より光の一粒一粒が大きい。しばらくして夜風に揺れる枝がゆっくりと動く。黒い枝の影は地上に行こうとして、しなやかに伸びをした。


男たちはほとんどが胡座をかいて座り、女は子供を連れて母家から出てくる。駆け回る子をレインは抱きとめると自分の足の上に乗せた。そうして、ここに住む全員がその炎を囲むようにして座る。

 幼女が立ち上がり、いつか絵具の部屋で見た子だ、と大瑚は思う。彼女は木箱の楽器を手にし、演奏した。それは美しい音だった。

 丸い音が木霊する。耳に入る滑らかな旋律は男たちの熱くなった肉体を和らげていく。美しく奏でながら彼女は時折、チラチラと視線を前方に泳がしている。それを辿った大瑚の目線の先で、キリウは彼女に応えるようにまっすぐ柔らかな目で見つめていた。光炎を挟んだ先に見る彼の横顔はこの世で一番穏やかである。

音は柔らかい。美しい。ずっと聞いていたい。もっと近くで聞きいていたい。もっと近くに。そこへ行きたい。美しすぎて胸が裂けそう。痛い。痛くて憎い。美しくて腹立たしい。

 一瞬、キリウと目が合った。

 演奏が終わると、誰かが口笛を鳴らす。幼女は隣のライに頭を撫でられ顔を綻ばせた。

キリウは全員の顔を確認すると、小さく微笑む。


「目を閉じて」


 みんなは黙った。騒がしかった子も別人のように落ち着いている。

 虫の音、木の葉が揺れる音、夜風の匂い。

 静寂。


「……純水、海水、泥水、天然水。誰もが元を辿ればただの水。何にだってなれる。そう、生前に母がよく言っていた」


 ここに来て一ヶ月近く経った。二ヶ月前まで市内にいた自分はどんな風だったか、すでに思い出せない。


「しかし焦ってはいけない。重要なのは己がどう生きたいかだ。何を大切にしていたいかだ。正解は一つじゃないが、それぞれにとっての正解はある。そんな中、同じ正解を持つ者が今こうしてここにいる____新たな正解を持った者は今すぐここを去れ」


 少しの緊張感。

 キリウが充分に時間をとる間、薪が燃える音だけが響く。

大瑚は薄目を開けた。誰も動く気配はない。


「開けていいぞ」


 レインが抱いていた子供が大きな欠伸をし、それからママーと女性の元へ駆けて行った。女の腕の中で目を擦り、眠いと言うと一同から笑い声が漏れた。




 どの部屋も消灯され、暗い夜の匂いが大瑚を感傷的にさせる。宴が終わり少なからず寂しさを感じる。やはり自分はひとりが嫌いだ。階段から平地を見るとさっきまで自分たちがいた方で灰が風に扇がれ地を這っている。

 大瑚は脱衣所のある一階から外階段を上へ登り、ここに来て二度目に訪れる場所へ向かった。灯がなくとも壁の模様はその輪郭が浮かび上がり、とても魅力的だ。この空間は飲み込まれそうになる。


「そっとしておいてくれと言っただろ」


 床に敷き詰められたしわくちゃの新聞紙が鳴る。全員の就寝を確認してから寝床に着くキリウは自分を探していたのだろうか。


「あの子、多才なんだな」

「当たり前だ。ツバメには俺の遺伝子が流れている」


 思わず彼を振り返った。


「まじかよ」


 大瑚は静かに強く驚く。


「お前、父親なのか」


 キリウはフッと笑った。仲間を束ね、慕われ、子を作り、その全てがハイマという力を使わず、彼自身の能力であることに言葉がでない。これは嫉妬だ。ムカつく。ムカついて堪らない。


「良いツラだ……さっきもそんな顔をしていたな」


 そう言い、ふらりと近づいてくる。


「大瑚」


 近い。


「お前がライを捉えた時、何故かとてもゾクゾクしたよ」


 首を掴んだ。掴んだまま喰いつき舌を絡めた。いつからこんなにも衝動的になったのだろう。最近の自分はおかしい。指令を出すもうひとりの自分が姿を消している。


「……ぁ、は」


 キリウの乱れた呼吸と濡れた眼は大瑚の加虐心を盛大に煽る。

 蹴って倒し、床に押さえ込むと力では勝てないと理解しているのか抵抗する素振りは見せなかった。

 その時に微かな音___

 キリウは引き戸の隙間を目で追い、起き上がる素振りを見せたが、間髪入れずに大瑚は押し倒した。

 誰であれ、どうでもいい。キリウの意識が他へいったことが腹立たしい。

 頬を殴って、髪を掴み、充血した目を無理矢理合わせる。


「逸らすんじゃねえよ」

 

 独占欲と征服欲剥き出しの大瑚に対しキリウは微かに口角をあげてみせる。どれほど力で押さえ込んでも主導権は握られている気がした。飽きるほど舌を絡ませてキリウの滴る汗すら一滴も逃すまいと大瑚はただ獣のように求めていた。


「いれたいか?」


 吐息混じりに大瑚と口を引っ付けたまま話すキリウは自ら四肢を絡めている。


「お前……死ぬなよな」


 雑にボトムを引き裂いた時、自分が極度の興奮状態にあると自覚しながらその衝動を止めることはできなかった。ありったけの力をキリウにぶつける。倒れたキャンバスも、掴んで破れ落ちたカーテンも、この肉体も、後で正そう。


「や、ハイマッ……すげ、え」


 ここまま死ねば良いのに


「うう……大、瑚ッ」


 死ね


「死に、そ」


 散々犯され、上衣だけを纏ったキリウの身体が小刻みに跳ねている。


「えっろ」


 大瑚はその肉の無い下腹部を見下ろしながら親指で押し広げるように揉んでみた。


「できねぇかな」


 月の光だけが差し込む部屋。ペンキや埃の中に二人の匂いが混じっている。大量の新聞紙の屑で隠れていた床は久しぶりに見え隠れしていた。

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