22/D…※


「懐中電灯、役に立ったでしょ?」


 女がいつの間にか麻袋に入れてたらしい。気が付かなかった。光が漏れすぎるのを防ぐために葉っぱで懐中電灯を覆う。風に乗って潮の匂いがしてすぐ近くに海があると分かった。大瑚は女と木の幹を背にし、肩を並べるようにして座っている。


「ハイマ島の決まりでは市内以外に住むことって基本許されてなかったじゃない?」

「みんなよくバレずに過ごせてましたね」

「まあね。ジバの方々以外には知られてなかった。むしろ彼らが村を隠してくれてたの。隠すって言い方は変ね。見逃すって感じ? その代わり無線野外受信機を設置させてくれって。拒むようなら市内のハイマにバラすと脅されたのよ」


ジバは昔から郊外の数少ない違反集落を把握しているらしい。


「その無線、みんなよく使ってました?」

「うーん、たまーにじゃない? たまにジバから連絡があったくらい」

「連絡って?」

「そうね……一番気味悪かったのは西の方に楽園を作ったから遊びに来いとか、なんかよく分かんないでしょ? 女性限定だったし、どう考えても怪しかったから私は行かなかったけど……無線で遊びに行くと返事した何人かは迎えのジバが来て一緒に西へ行ったきり」

「帰って来てない?」

「ええ」

「今回の要請は?」

「市内爆破の後処理よ」

「で、反抗してこの様か」


 女はそう、と息を吐いた。

 何故、そもそも彼女たちは罪を犯してまで郊外の山奥で暮らしていたのか。それは自分たちだけの小さなコミュニティで生活をしたいからだ。ハイマはおろか、同種である灰海街のゾーオンにも興味がない、己を強く持つ者たちの集まりである。無線屋外受信機の設置を辛うじて許しても、自分たちと何の関係もない組織が引き起こした惨事の後始末など誰もやりたいとは思わない。灰海街のゾーオンのようにハイマに屈服し、己を殺して生きることを拒否した身にとって、ジバに従うのは容易でなかった。それ故、数日前のジバの要請を無視したのだ。己を強く持つのはいいが、彼らは危機感が欠如していた。長年の市内に接触しない自由な生活で、ハイマの、ジバの力を見縊っていた。


「私たちの村、日の村っていうの。もちろん教科書には載ってないだろうけどね。ここは東だから朝日が綺麗なの」


電灯の光を見つめる女の目は細く、瞼が重く今にも閉じてしまいそうだった。


「眠たい?」

「眠たくないわ。歳なのよ。夜になると目が疲れてくるの。ごめんなさいね」


 女は笑った。


「日の村、それにしてもよくバレなかったですね。市内の人間が見回りに来てるはずなのに」

「監視所の職員もジバだったから誤魔化してくれてたの」

「……」

「どうしたの?」


 大瑚は思わず女の肩を掴んだ。


「い、たい……」

「監視所」

「い、痛いわ」

「あ、悪い」


 女が身を硬直させ、大瑚は我に帰った。


「日の村監視所がどうかした?」


 深波が言っていた。市内以外の島の面積はたった3箇所の監視所で警備されている。東、西、南に一箇所ずつ……その中に島から脱出する為の船があるはずだと。一番有力なのは佐藤鷭という深波の親戚が勤める南端監視所だ。これから大瑚は南端監視所を探し続けなければならない。待ち合わせをしている潤と深波と会うために。

日の村監視所はその3箇所の監視所うちの一つで、島の東に位置し、東の海を見張るためにあった。

まさか既にジバの息がかかっていたとは……。


「その監視所、今はどうなってんだ?」

「潰されたわ。もう必要ないって。誰もいないし跡形もない」


 そうか、と大瑚は呟いた。

 やはり南端監視所に向かうしかないようだ。南端監視所までジバの息がかかっていたらどうしようか。そうなればどうすることもできない。絶望し、嘆き合おう。潤と深波と一緒に。

この女に会って分かったことは多かった。ジバは少なくとも三十年前からこの森に潜んでいるということ。そして何のためか無線野外受信機をゾーオンの違反集落に強制していること。西の森に楽園と呼ばれる施設をつくり、最近まで任期だった日の村監視所の職員もジバであったこと。

何年も前から奴らは何を企んでいる?

何より、鈴木家の地下室で見つけた船の写った写真も三十年前のもの。これは多分、偶然じゃない。


「ねえ、名前教えてくれない?」

「田中」

「下の名前よ」

「……大瑚」

「大瑚くん、ただ逃げてるだけじゃないわよね」

「……ああ」

「明日になったらお別れか」

「はい」

「どこに行くの?」

「友達が、いるところ」

「そう。きっと会えるわ」

「……」

「ねぇ、野菜好き?」


 お肉は好き? 何時に寝てた? 睡眠時間を教えてくれない? 運動は好き? 恋人はいた? 性欲は強い? 


「今まで何回セックスした?」


 このゾーオン、本当にハイマに慣れていない。大瑚はずっとそう思っていた。こんなにゾーオンと話したのは生まれて初めてだ。愛地とは何回か話したことがあるけれど、毎回挨拶程度でここまで長時間話すことはなかった。この女が無神経なのか、天然なのか、図太いのか、肝が据わっているのか。


「あんたおかしいよ」

「そうね、私はハイマもゾーオンも、みんなそれぞれ、過去で作られてると思ってるの。生い立ちとか、成し遂げた仕事とか色々あると思うけど、それがその人の全てだと思ってるの。だから、大瑚くんはどんな人かなって。どんな細胞? を持ってるのかなって」

「……数えてない」

「男? 女?」

「ほぼ女」

「ゾーオンとは?」

「そんなの怖くてできねえよ。骨とか折りそう」

「予想通りだわ」

「用件は?」

「お別れする前に希望が欲しい」

「希望?」

「出会った時にも伝えたでしょ?」


 騒動を逃れ、無事逃げきったとはいえ、いつジバに見つかるか分からないこの状況でとても違和感を感じる。


「例えるなら灼熱の大地に奇跡的に生まれた水溜り。私はそれを望んでる」

「どうして俺?」

「単純よ。あなたがそこに居たから」


 何故この女が今すぐに子供を作ろうとしているのか大瑚は不思議だったが、この状況下で水溜りを産み出そうとしている彼女は必死で滑稽で純粋で、今の御時世で誰よりも自分を生きている感じがした。何を考えているのかもっぱら分からないゾーオンは今の大瑚にとって誰よりも強く見えた。


「加減がわからない」

「そうね。死にたくないから大瑚くんは動かないで」


大樹の大きくうねる根の影で、ゾーオンに抱かれるなんて哀れね、と女は笑って言った。推しに弱いだけだ、と言い返すと、ありがとう、と言われた。女の汗が星のように飛び散って大瑚の腹に落ちていった。


夜が明けようとしている。大瑚はそっと走った。女が起きておはよう、とか言い合いたくなかった。これ以上、時間をかける訳にはいかない。

あの場所は直ぐにジバに見つかるし、あの女は近々殺されているかも知れない。いや確実に殺される。でももし彼女が助かって、もし来年彼女が子供を産んだら俺は知らない間に父親になるのか、子供はハイマか? ゾーオンか? とか考えてしまう自分がいる。来年なんてあるのか? 何事も期待はするものではない。そう脳裏で意味なく反復しながら、しかし大瑚の手は方位磁針を強く握りしめていた。



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