43/D

 洞窟に鷭を残し、大瑚と潤は天灯滝を越えて更に上へ登る。

 軽い。足が軽すぎる。


「大瑚、よくこんな山奥で生きてたね。今にも猛獣が出てきそう」


 潤が言い終わる前に後ろに気配を感じ取った。影が猛スピードで近づいてくる。

 ジバだ。

 目視だけで十人いる。木々を飛び移り、地を蹴り、刺青顔がどんどんこっちへ──無我夢中で走った。突っ走った。不思議なもので、ゾーオン相手だったあの日よりも難無く上へ登り詰め、そして見覚えのある川が横を流れるのに大瑚は気づく。


「この辺だったはずだ」


 大瑚は目にしたコンクリートの穴に滑り込み、潤も後を追い駆ける。二人のスピードにトンネル内のコウモリたちは慌てふためく。ジバたちの割れるような足音に追い出されるようにして抗口を出ると、あの日と同じ荘厳たる深緑の秘境が明一杯視界を埋め尽くした。潤は初めて見る旧水力発電所水路の廃墟に見惚れて目を開き、束の間のひとときを振り払うように首をならした。


「先に行くから奴らを食い止めててよ」

「この自己中が。鍵のありかを知ってるのは俺の方だからお前が先に行っても意味ねぇし。一緒に食い止めるぞ」

「相変わらずまともでつまらんね。ひとりで倒せる自信がないのかな?」

「こんな時に冗談ぬかすな」


 潤は短く笑いながら息を吐く。

 抗口から出てきたジバたちは前方で逃げずに立つ潤と大瑚に警戒しているのか少し距離を保ちつつ、抗口や廃墟の瓦礫塀に飛び乗って、無造作に取り囲むようにした。

 大瑚と潤は背中合わせにジバたちを睨み見る。この大自然の力なのか、じわじわと闘争心が増していく。圧倒的に不利な状況下で自分たちは己の体にとてつもない生力が宿るのを味わっていた。


「でも、大瑚がいなきゃ、私は私で居れなかった」


 背中越しに彼女の両手からファングネイルの伸びる音がする。


「あの頃から、ずっとね」


 自分たちの幼馴染史が、この戦いで終わりを迎えるかも知れない。


「……俺もだ」


 呟く大瑚の目には力があって清々しい。自ら潤に使命と夢を促し、彼女を連れて敵のもとへと攻め込むのだ。この大胆な行動と決断には大瑚の揺るぎない覚悟があった。とっくに腹は括っている。

 二人のジバが双方からファングネイル片手に飛びかかってくる__________爪のない大瑚は屈み、その背中へ足をついた潤を持ち上げるようにした。飛んだ潤は両肘を交差させ、唯一無二のファングネイルで二人を捉えた。そして確実にジバの胸をうつ。両側で串刺しになったジバはだらんと垂れ、潤は交差している肘を勢い任せに振り解く。爪が引き抜かれたジバは血を撒き散らせて地へ落ちた。それは空中での一瞬の出来事だ。一瞬にして二人を死に追いやった潤に残りの八人は少なからず恐れを抱く。抱くがジバにも戦うしか手段がない。それに彼らには数でまだ余裕があった。

 次々に潤と大瑚へ襲いかかる__________爪が無くとも群を抜いて力の強い大瑚は潤の体を軽々持ち上げ、潤も大瑚を駆使しながら高く宙を舞った。潤の行為に無駄はなく、右手はジバの心臓をひとつきで捉え、すぐさま視線をうつした先で左手がジバの首を掻っ切った。コンクリートへ落ちた首は送水管跡の穴へ落ちて行く。送水管自体は消えているが、それを固めていた周りの構造物は百年以上経った今も存在していた。爪同士が擦れ、ぶつかり合うのを聞きながら大瑚は捕まえたジバの片足を持つと瓦礫へ図体ごと叩きつける。頭部が潰れていく景色から目を逸らすと、立ったまま後方から羽交い締めにされた潤が酷く暴れるのを見た。もう一人が潤に向かって突進していく時、大瑚は手元の動かないジバの爪をもぎ取るとそれを投げた__________目に見えないスピードで刃物の矢となったファングネイルがジバの背骨を後ろから砕き、二本刺さると潤の前でばたりと倒れ、放たれた別の矢は彼女を抑えていたジバにも突き刺さる。目を負傷したジバは刺さっているのをニュルリと抜きながら予想しない攻撃にやりきれなく鬱憤の呻きを溢した。

 大瑚は飛びかかる別の影に蹴りを入れ、その勢いで浮いた相手を潤が両手で斜めに深く削るのを確認すると、コンクリートの血みどろな空間に横入りする樹木に飛び乗り、上から全体を一瞥した。枝をしならせ潤を攻めるジバに上から蹴りかかる。壁に相手の体を打ち込む反動で今度は低く横へ飛び、さらに彼女から敵を引き剥がした。大瑚が倒したジバに間、髪を容れず、潤はとどめを刺していく。

 二人の俊敏な連携技に数の減るジバの表情は険しくなった。余裕はいつまでも続かない……ジバに焦りが見えはじめる。潤と大瑚は躍動的で隙がなく、恐ろしいほどに強烈なのだ。しかし、二人にも焦りはあった。南端に向かったジバの数は多い。

 大瑚は考えた。キリウの仕掛けた爆弾で何人か死んだとしても、残りがこれだけのはずがない。何人かは櫂吏と共にあの家にとどまっているのだろう。だが、数が減った目の前のジバたちは応援を呼ぶ可能性がある。そいつらがここへ合流したら……目的地へたどり着く前にどちらも死ねば意味がない……一刻も早くあの家へ向かいたい。


──先に行って、後から着く私を喜ばせて。


 その言葉で、全速力で廃墟を駆けた。二人のジバがついてくる気配を感じながら圧巻のスピードで蔓延る緑を突っ走る。この感覚、前にもあった。信じることは孤独で、難しくてとても苦しい。だが今回は違っている。そこには自分だけの意思がある。

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