30/D

地下空洞の入り口傍で階段下にいる彼らの話に大瑚は耳を立てる。縛られたままの大瑚に鉈を向けているフーも深妙な顔で仲間の会話を聞いている。

獄中のカイトを少年たちは見つめた。


「勝手な真似は許さない。それがここでのルールだ」


 キリウはカイトに声をかける。


「俺はただ……」

「ああ……だが、申し訳ない」


 そう言うと、深々と頭を下げた。

 キリウの下げられたままの後頭部を見つめ、涙を浮かべたカイトは惜しむようにみんなを見渡す。


「みんな、元気で」


 彼がそう言ったのを聞き、レインは丸太のレバーを引いた。岩壁の上部で板が倒れ、唸声をあげた水が流れ込む。山の上流を流れる大河の水を大量に引き、溜めていたのだ。強い飛沫が彼等の体に被さっていく。

キリウは最後に階段を登った。

水で埋め尽くされた地下空洞はしだいにおとなしくなり、しばらくして水が放出されると元に戻った。


「次はお前だ」


 フーは雑に言った。

 脅されながら大瑚が下へ降りた時、カイトの姿はもうどこにも無かった。仲間の最期に立ち会った後、すぐに次の処刑準備をする連中をひどく無慈悲だと思う。

 階段の上段で腰をおろすキリウを睨み、無言で視線だけが絡んだ。レインが先程と同じくレバーを引くと、激流が大瑚の視界を覆いはじめる。胸の辺りまできた水で既に酸素が薄い。何度も柵を壊そうとするがやはり少しも動かない。二人が地上へ消えて行くのが見え、大瑚は二度目の死を覚悟した。

そういえば、死んだらいけなかった。これはしてはいけない覚悟だ。今の自分には約束がある。こんなところで死んでいいのか? 嫌だ、と脳が叫んだ。滝で捕らえられた時、櫂吏の元へ連れられた時、彼らがゾーオンだと知った時、地上で鉈を突きつけられている時、幾度でもその気になれば逃げ切れたじゃないか。でも、もう遅い。

大瑚は柵を握りしめ、ゆっくりと目を閉じた。




──聞こえるか?


 訳がわからない。


──どういうことだ? お前、ハイマなのか?


澄んでいる。それは間違いなく聞き覚えのある、奴の声。


──その檻はいくらハイマの力が強くても中からは開かない仕組みになっている。床のマンホールがわかるか?


 言われて初めて意識した足元の感触。


──ああ。

  

床と同色でこれまで気に留めなかったが、潜って手で確かめると確かにマンホールのような感覚がある。


──時計回りに強く回せ。ハイマならその水圧でも簡単に外れる。スムーズに行けば一分以内で滝壺に出る。


──嘘だろ。


 大瑚は再び潜った。轟音を立てて吸い込む不気味な闇。これが外に繋がっているのか? 中に柵があって引っかかるかも知れない。奴らが編み出した真の処刑方法だということはないのか? 地獄の始まりかのような漆黒の渦がどうしても己を救ってくれるようには見えなかった。大瑚は吸い込まれないように踏ん張り続ける。


──表向きは排水溝だが実際は抜け穴だ。流れに身を任せろ。


 そこで一方的にピーキングは途絶えた。息継ぎに顔を出した隙間は驚くほど僅かしかない。

もう大瑚に残された道は一つしかなかった。




 放り出され、大瑚は大きく酸素を吸う。しかしまた水に溺れる。顔を出したそこは見覚えのある景色だった。


「……まじ、か」


 やはり美しかった。振り返るとすぐ後ろで白く揺れるカーテンがある。その裏から大瑚はここへ落ちたのだ。巧妙な仕掛けを作ったものだと彼らに感心した。コンクリートの廃墟をまた思い出す。キリウ達は忘れ去られた水力発電所の水路構造を活かし、このシステムをつくりあげた。地下空洞は万能で、敵の処刑として水死させる為に使う場合と仲間を制裁する為に使う場合の二通りあったのだ。そして後者の場合はここへ辿り着く。システムを知るカイトはこの地のどこかで生きているということであった。ならばどうして、仲間でない自分は助かったのだろう。どうして、彼は自分を助けたのだろう。ピーキング……奴は……ハイマ……? 草木を踏みにじる大瑚の足は無意識にはやばやと動いていた。



適当に平地にいた女を選び人質にとる。


「お前、さっきの、どうして抜け穴が分かった?」


フーは肩を上下させながら大瑚と距離を保ち叫ぶ。


「リーダーを出せ」


後方からキリウたちが合流する。キリウは見開いた目で大瑚と女に目を配った。

ここは島の南端である。大瑚は目的を果たすために好条件な物件を見つけたのだ。


「変な真似したらどうなるか分かってんだろうな」


 大瑚のファングネイルが伸び、腕の中で女は小さく悲鳴をあげた。無数のゾーオンに囲まれたところで大瑚にとって不利なことは一つもない。


「分かった。みんな、これは命令だ」


 リーダーの一言で武器を持つ者たちはやむなく力を抜く。


「彼女を放してくれないか」


 キリウがそう言うと、大瑚は女を推し離し、彼らの元へゆっくりと歩き出す。


「そ、それを仕舞え」


ファングネイルを指差しフーは言ったが、大瑚は「黙れ」と呟き、前方のキリウだけを直視して距離を縮めていく。警戒するレインが前へ出そうになった時、大瑚は立ち止まった。それから自身のファングネイルに手をかける。

一本ずつ、小指、薬指、中指……血飛沫が舞う。一同は呆気に取られ、何人かは顔を背けた。しかし大瑚は頑なにキリウから目を逸らさない。人差し指、親指……全てを根元から剥がした。キリウもまた、大瑚から目を逸らすことはなかった。逸らせなかった。


「俺をここに匿え」


 首筋を流れる汗は止めどない。

レインはキリウを見る。

少しの静寂。


「俺をここに置け」


 大瑚は彼に、話したいことが多すぎた。 


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