29/D

急いだ様子の男たちに腕を掴まれ、地上に出された大瑚は慣れない光量で目が痛い。両腕を拘束され、平地の方へ連れられる。カイトが「足元、気を付けろよ」と言いながらさっきまで自分がいた地下へと数名の女子供を通しているのが見えた。平地にいる彼らのもとへ着くと、地に座るように言われ、両手を鎖で縛られる。目線の先の廃墟を見ては彼らの手のひらで泳がされたあの日の惨めな自分を思い出す。

 櫂吏だ、と誰かが呟き、前方に八つの黒い影が見えた。真ん中の男はジバを引き連れ、数メートル先でゆっくりと止まる。

 男の羽織りが風で靡いた。


「久しぶりですね皆さん。キリウ、調子はどうです?」


 目尻を下げた男は何か愛おしいものでも見るかのような視線を向けた。


「変わりない」


 キリウは表情無く言い放ち、その横でレインは静かに男を睨んだ。

 ジバ・櫂吏……この男が……家族や友を死に追いやり、故郷を破滅に陥れた黒幕が、今、大瑚の目の前にあった。


「それは?」


 櫂吏は大瑚を見下ろした。


「ハイマだ。引き渡すからもうここには来ないでくれ」


突き刺すような目線で言うフーの態度は一歩間違えばジバの手にかかってしまうほど非常に危うい。


「残念ですがそれはできませんね」

「どうしてだ。お前らはハイマを欲していたはずだ」


 カイトは僅かに動揺して言った。


「ゾーオンが良く頑張りましたね」


こいつらはハイマじゃないのか? 櫂吏の発言で大瑚は初めて知った。

 キリューは眉を顰めて櫂吏を見る。大瑚をここへ連れてきたのは初めから櫂吏に引き渡すためだったのだ。ハイマを差し出し、自分たちはジバの敵ではなく、争うつもりがない事を示そうとしていた。


「先日、女のハイマを手に入れましてね。ですのでその穢らわしい男は皆さんで処分しておいて下さい。我々はできるだけ爪を汚したくない性分ですので」


無駄に整えられた白い歯を見せて笑みを溢す。


「分かった。じゃあ用がないならとっとと帰ってくれ」


 櫂吏から目をそらさずキリウは言った。


「相変わらず哀れみのない。私は長旅で少々疲れてしまいました」


ジバが担いでいた椅子と台を出す。そこへ櫂吏は腰を下ろした。そして履物を脱ぎ、裸足を台に乗せあげる。


「誰でも良いです……舐めなさい」


 大瑚は耳を疑った。


「舐めて、癒せ」


 静まりかえったその中で、先頭にいた少年は躊躇なく前へ出る。


「キリウ……」


 大丈夫だ、とでも言うようにキリウはレインの肩に触れて進んだ。

 レインは悔しくて申し訳なくてたまらなかった。一体何が大丈夫なのだろうか。リーダーを出し物にするのだ。みんな納得はいっていない。だが、これはキリウが思うリーダーの在り方だった。

 男の前で跪き、指から踝までを丁寧に舐めあげる。それは大瑚の視界からでも分かった。ここで最も崇高な男が強制される信じられない行為は大瑚の心を蝕んだ。悔しい、という彼らの感情を何故か大瑚も理解できた。お前がそこまでする必要はない、そう声をあげたいのだ。リーダーならもっと己の価値を高く持つべきだと思う。躊躇なく始まった屈辱的行為を間近で目撃し、掻き立てられるこのやるせない感情に大瑚は動揺していた。

 櫂吏にとってこれは必要な行為であった。度量があり、仲間の為なら自己犠牲を憚らないこの集団のリーダーが前へ出てくることは狙い通りである。キリウが忠誠を誓う姿をその仲間の目に焼き付け、ジバには及ばない事を再確認させる必要があったのだ。しかしゾーオンに対してこのように行き過ぎた真似をするのは少なからず少年たちの力を警戒しているからであった。


「良い子だ」


 櫂吏はキリウの口内を押しつけた爪先で掻き回し、満足そうに微笑んでいる。


「や、やめろ」


 カイトから小さく声が漏れる。カイト、とレインが制するのも聞かず、彼は堪らず叫んだ。


「それ以上はやめてくれ!」


その瞬間、濁音がして、大瑚は一瞬の出来事に絶句した。

櫂吏はキリウの胸を蹴り込み、その体に構わず乗ると、彼の首を絞めあげる。


「仲間の教育、ちゃんとしてもらえますか?」


 呼吸困難に陥るキリウの体は既に痙攣しはじめていた。


「すまない申し訳ない、許してくれ」


 レインは素早く地にひれ伏せ、ありったけの謝罪をする。ひたすら、ただひたすら、祈りながら、ひたすらに。


「頼む許してくれ。お願いだ許してくれ。許してくれ、頼む……」


櫂吏はレインなど目もくれず、自分の間で手を解き、キリウの肺が激しく動くのを見て楽しんだ。それから彼の青白い頰を撫でる。


「次は無いですよ」


 作られた爽やかな笑顔はかえって非情な心根を際立たせるものとなった。自分たちがゾーオンでなくハイマだったら……少年たちは誰もが思う。

 カイトが横で膝から崩れ落ち、数時間に思えたこの数秒間をただ自分は唖然と見ていたことに大瑚は気づいた。


「後、毎回思うのですが、この人数でこの家。少し大きすぎないでしょうか?」

「空き家で暮らしてんだ。俺たちが建てたんじゃない」


 キリウの代わりに答えるレインは地に手を付いたまま下唇を噛んだ。


「なら良いのですが、まさか、女を隠したりはしてないでしょうね?」

「いない」

「そうですか……、では君に聞こう。ここで彼ら以外を見ましたか?」


 櫂吏の目はしっかりと大瑚を捉えていた。その場にいた全員が大瑚の方を向いた。仰向けのままのキリウにも焦りが見える。ここで大瑚に真実を話されることは今まで自分たちが守ってきたものが一瞬にして消え去るということである。


「……俺は……こいつらしか知らない」

「……そうですか。ではまた」


 櫂吏が去るとき、大瑚は仲間に支えられるキリウをぼんやり見ていた。



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