24/J
「私、こう見えても二児の母なのよ」
彼女は得意げに言う。
子供はどこにいるのかと聞くと、森の中にある別の屋敷で暮らしていると答えた。六歳になった子供はそこへ引き渡され、《ジバ》として櫂吏の近くで生活するようになる。ジバとの戦いを経てきた潤は多分ジバは十代半ばから戦いへ出されるのだろうと思った。
江羅は第二子を妊娠中だ。
「子供と離れて寂しくない?」
「全然。むしろ光栄よ。だって櫂吏様の為だもの。自分の子供が新たな時代を切り開く先駆者の一因になれるのかと思うと嬉しい」
江羅は肩を竦めて笑う。
そのうちルームメイトが帰ってきて皆で食事をとった。小麦のパンに山羊肉と山菜のクリームシチューは潤には久々のご馳走で、でも、自分だけご飯を食べて申し訳ない、と彼に思った。心の中で紺色の空にスプーンを少し傾ける。彼がいるのは空じゃなくて海か、とやはりもっと悲しくなった。
大瑚は生きているのだろうか。仲間思いで親身なやつだからきっと走り続けているに違いない。でもひとりで大丈夫だろうか。寂しさで死んではいないだろうか。腹を満たして睡眠を充分にとったらここを出る計画を考えなければいけない。自分は悪魔の子を製造する機械にはなりたくない。ハイマとかジバとかゾーオンとかどうでも良いのだ。一刻も早くここを出て、彼と海の先を証明しなければ……監視のジバたちをどうにかしないと……赤ん坊の夜泣きが響く。それを子守唄とするかのように潤は深い眠りについた。変わらず根拠の無い自信で、大瑚の元へ自分はすぐに追いつくのだと、信じて疑わないままに。
翌日、江羅は潤を宮殿近くの野原に誘った。気持ち良い天気で風が心地いい。残りのルームメイト二人と、彼女たちの子供も一緒だ。そしてジバが一人同行している。
「日替わりで部屋ごとにピクニックするの。うーんいい香り」
江羅は桃色の花の香りを嗅いでいる。名前は知らないが雌蘂が濃い。彼女の持つ籠バックには今朝作ったサンドウィッチが詰め込まれていた。蓋をするようにかぶせられたチェック柄のハンカチーフ。それが風に揺れて飛んだのを潤はパッと掴む。小麦のパンからはみ出たハムとトマトが美味しそうだ。
潤が花をちぎり、江羅の三つ編みにさしてやると、彼女は嬉しそうにウィンクして、視界に入った黄色い蝶を追っていく。黄色いのや白いのがひらひらと水色の空へ浮いていく。カメラがあったら収めたいと思った。鮮明。彼女の笑顔は可憐で可愛い。
「きゅうけーい」
彼女が快晴広がる丘に倒れ、みんなで腰をおろし、食事をとった。
ジバは少し離れた木の影にいる。
「つっぽちゃんしよ! つっぽちゃん!」
四歳くらいの幼児が言いだし、全員で輪になり手を繋いだ。
歌を歌いながら足を交差させたり、足踏みしたり、踊りながら円を回る。宮殿でよく見る子供達の遊びである。
誰が考えた歌なのだろう。
潤は母たちと遊ぶ幼児を見て、彼らにとってこの時間が必要である意味がわからなかった。来年にも母たちのもとを離れ、木の影にいるようなジバのようにさせられる。こんなにも美しい思い出なのだから、残酷だ。今日みたいなこんな日が、いつか確実に彼らの邪魔をする。
今、自分がここを駆け抜け、脱走すればどうなるだろう、と潤は考えたが、すぐさまジバがピーキングで仲間を呼ぶのだろう、と思い、我慢する。
やはり夜か。見張りの減る夜の方が実行するには最適だ。しかし……まる見えだ。開放的で豊とされる宮殿の構造は脱出するのに全く適していない。それがジバの狙いなのだろう。誰一人と逃げ出すことは許さないのだ。入るのは簡単。しかし抜けるのが厳しいとはこういうこと。ここに住む女たちは櫂吏に身も心も売っている。はやくここを出なければ。
つっぽちゃん、かわいいね、つっぽちゃん、かわいいね。つっぽちゃんは女の子。
ちぇらくん、かっこいいね、ちぇらくん、かっこいいね。ちぇらくんは男の子。
まんま、やさしいね、まんま、やさしいね。まんまは女の子。
ぱーぱ、へっちゃら、ぱーぱ、へっちゃら。ぱーぱは男の子。
ばあば、ちょこまか、ばあば、ちょこまか、ばあばは女の子。
じいじ、にこにこ、じいじ、にこにこ、じいじは男の子。
「おい!」
ジバが叫んだ。
見ると、木々の隙間で男が一人、足を引きずりながら焦った様子で逃げていく。
「無駄だ! 止まれ!」
ピーキングを聞いた他のジバたちが駆けつけて男は一瞬にして取り囲まれた。
「貴様ら、今日は終わりだ。帰るぞ」
ジバにそう言われ、いつもよりも短いピクニックが終わる。
「亜沙、あれは絶対にハイマよ」
「そうだね。怪我してるみたいだけど何となくそんな気がする」
「何となくじゃなくて絶対にハイマよ。だってあの制服、監視所の職員だもの。やっと見つけたんだわ」
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