17/J







──なぁ、いるのか?


「え……」

「……」


 潤と深波は予想外のピーキングに思わず顔を見合わせる。


──今お前らの上にいる。


 大瑚──。

 彼の声だ。もう何年も聞いていないかのような懐かしさを感じ、潤も深波も死ぬ前に届く天にいる仲間の幻聴かと思った。


「潤、深波」


 潤は息を飲み、後方の鉄窓を振り返った。

 月光が漏れ入り、二人を微かに優しく包んでいる。その柵を誰かの手が、誰かじゃない、彼の、大瑚の手が掴んだ。


「嘘……」

「大瑚、生きてたんだね」

「ああ。ってかコレ全然動かねえ」


 彼が揺らす柵はびくともしない。


「ジバの連中がボスを連れてそこまで来てる。早く逃げねぇと、クソッ」


 大瑚は動かない鉄窓に声を殺して憤怒した。潤は大瑚が生きていた事実にまだ言葉を失っている。


「拘置所の鉄窓は絶対に動かない設計だ……作戦を変更する」


 妙に落ち着きはらった深波の声色。潤と大瑚は彼に集中した。


「大瑚、今すぐ走るんだ」

「は」

「南端監視所まで走って欲しい。いいかい、現地集合だ」


 現地集合、そう聞いた大瑚は自分の耳が壊れたのではないかと疑った。潤も思わず目を見開き深波を向く。彼から尋常じゃない覇気を感じた。

 “使命を果たす”そう決心した時よりも強い意志がそこにはあった。一世一代の大きな賭けをする。潤には深波がそう言っているように聞こえる。それは大瑚も同じだった。


「む、無理だ」


 目を泳がせた大瑚は鉄窓に手をついたまま首をすくめる。


「俺が先に行ったところでお前らどうすんだよ」

「僕を見くびらないでくれ。拘置所の仕組みは全て把握している。時が来れば潤と必ず後を追うよ」


 深波の、月光が差し込む水晶のような瞳を見た。


「お願いだ。約束しよう」


 潤み、照らされ、そして光っている。

 大瑚が大きな異物を飲み込むように固唾を飲んだ。そして二つ呼吸をしている。


「……約束だ」


 潤は鉄窓の僅かな隙間から大瑚の長い指に触れる。


「ひとりじゃないから、気をつけて、待ってて」

「……ああ」


 絶対に深波の作戦を成功させなければならない。大瑚が去る時、潤はかたく自分に誓った。

深波は鉄窓に近づき、中から外を覗いている。

鼻から大きく息を吸うと島の匂いが全身に染み渡り緊張となって腸へ溶ける。


「深波、私たちは」


 振り返った彼はとても穏やかな顔をしていた。


「潤、僕のためなら何だってしてくれるよね」

「うん、なんでも」


でも少し怖い。それは深波じゃなくて、自分の中で不安が生まれたことが怖かった。


「完璧な方法が一つだけある。ただし、一発勝負」


 拘置所の構造を把握しきっている深波は自信をもって潤に話す。


「一階の海側に観音扉があると言ったろ?」


檻を確実に沈めるためにそこから海水が一気に流れ込む。


「扉の近くは処刑の邪魔になるからと中も外も監視がいない。潤はゾーオンになりすまし、扉の近くまで歩いていく。そして扉が開いた瞬間、全力で逃げる」

「そんなの無茶だよ。扉は檻の後方にあるんでしょ? 全員の視界に入って即見つかって、すぐ拘置所の屋根に登っても砂浜側の入り口から出てきた追手に捕まっちゃう」

「潜るのさ」


海中に身を潜めろ、ということだ。流石に普段は楽観的な潤でも今回はかなり大胆な計画だと思った。だが、もう深波を信じるしか道はない。


「……じゃあ、私がその方法で脱出できたとして、深波は?」

「僕はまず、潤が脱出するために扉を開ける」

「何か方法があるの?」


 扉が開くと罪人が沈む。つまり、扉は罪人が入った檻が沈む時に開く仕組みとなっている。

けれど、作戦を決行するにあたり罪人とされるハイマが自分たち以外いないため、深波は別の方法で扉を開けようとしている。


「うん、拘置所の仕組みはよく知ってる。心配ないよ。潤を追って連中は乱れるでしょ? 僕は混乱したその隙に逃げるよ。大瑚と同様、その後は現地集合」


 監視のジバはまだ帰って来ない。

 深波が鍵穴を触ると鍵は開いた。牢屋を出てふきぬけから下を覗くと広がる海水、そして黙って並ぶゾーオンが見える。


「あの日の約束、とても嬉しかった」

「夕日が綺麗な日だったよね」

「うん、とっても」


 彼の横顔が特に好きだ。細い鼻は尖っていて美しい。


「深波、証明しようね、一緒に」

「うん、約束」


 一階へ続く階段はゾーオン仕様で歩幅が狭い。飛び降り、柱の影から空間を見ると濁ったエメラルドグリーンが目に入る。

 そして一番奥のどうどうたる観音扉。

 白い石壁一面には横幅三十センチ程の四角い穴が無数に均等にあいていた。白い外光が平然と室内の海面を光らせている。

 深波は扉に向かって最後尾の女のゾーオン、要するに自分の手前にいるゾーオンに手をかけると彼女の首を折った。気づいた近くのゾーオンたちは驚愕し、それから全員が一階に降りたった二人を認識した。

誰も恐怖で動こうとしない。動いたら殺されると思っている。

潤は自身の服を死体と交換し、その髪をファングネイルで乱雑に切り短髪にすると、死体を抱えて観音扉の方へ歩いた。右側の檻に入れ、後ろ向きになるようにした。

 その間、深波は男のゾーオンを捕まえ脅し、引き連れたまま左側の檻に向かう。足をチェーンに繋いだままのゾーオンたちは二人の精悍な態度に終始黙りこんだままだ。

 潤は右側の後方で死体の女がいた位置についた。黄ばんだ白い囚人服の裾を握りしめ、左前方の深波を見る。(早くしないと……!)潤は少しの焦燥感に駆られた。(深波早く、早く。奴らが戻ってくる。時間がない)

 その時、信じられないことが起きた。深波は男に何か言い、自ら檻へ入っていく。(自ら、檻へ? どういうこと?)

 潤は叫ぼうとしたがゾーオンは外から檻を閉める。もう中からは開けられない──

 

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