27/J…※


「亜沙、まだ起きてるの?」

「うん、全然眠れなくて」

「そう」


 なんとかして赤子山監視所職員と話がしたい。小さなことで良い。南端監視所のこと、船に関する情報が欲しい。


「江羅ってあそこに行ったことあるの?」


潤は奇巌城を指差した。


「当たり前よ。櫂吏様に招かれた人たちはみんなあそこに行くの。そして事が終わればここへ帰ってくるの繰り返し。亜沙はまだお呼びがかかってないだけよ」

「お呼びがかからないと行っちゃいけないって事?」

「そうよ」


 江羅は吹き出した。


「亜沙、もしかして欲求不満?」

「違う」


 おやすみ、と顔を綻ばせて江羅は眠った。


「トイレに行きたいんだけど」

「貴様の部屋番は」

「十二」


 潤は前を歩くジバの首をファングネイルで突き刺し殺し、遺体は奈落を流れる川に捨てた。大丈夫。誰にも見られていない。それから茂みに紛れて奇巌城に向かった。実物の根城は模型のようで、暗闇に浮かぶ怪物みたいな影は圧巻だった。

 ピーキングをしたいけれど潤と監視員の間には面識がない。


「明日、生ごみに出してください」

「はい」


 潤は瞬時に身を屈めた。櫂吏が根城の入り口で部下に命令し、ファスナーがついた大きな袋を置いて行った。

 あの形、嫌な予感がする。


「まだ生きてるぞ」

「ほっとけ。どっちみち死ぬんだ。櫂吏様がわざとそうしている」


 ジバたちは離れのゴミ置き場にそれを置き、ネットを被せると持ち場に戻っていった。


「……あの、あの、開けますね」


 目を瞑ったままの血まみれの顔がそこにはあって、唇は小さく痙攣していた。


「赤子山の職員さんですよね」


 短く途切れそうに息をしている。


「私ハイマで、あなたと同じです。鈴木深波、知ってるでしょ?」


 男の目が薄く開いた。


「あの」

「み、なみ」

「そう、そう、鈴木深波」

「深波、さん」

「そう」


 男と目は合わない。夜の空を見つめている。


「船を知ってる?」

「……」


 潤は焦っていた。時間がない。

 

「南端監視所知ってる?」

「なん、たん」


 その言葉に男の目から涙が流れ、一気に表情が険しくなった。


「南端は」

「なに?」

「南端は、や、やめ、くれ」

「え」

「南端には行かないで、くれ」

「なんで?」

「……」


 男の瞳孔が開いていく。

 

「待って、待って……お願い」





こんなはずではなかった。

簡素なランプが一つぶら下がっただけの冷えた岩囲いの中で、両手は鎖で天井へ縛りあげられている。鎖にはコードが巻かれ、今から行われる事象に潤は身を硬らせた。櫂吏は奇岩城の牢獄の、かつて【十二】の部屋にいた女たちを見回し、ある程度距離をとった場所で背もたれの長い椅子に腰を下ろす。横で同じようにされている江羅は櫂吏の名をしきりに呼んだ。

詰めが甘かった。

昨夜奈落に落として捨てたはずのジバが明け方まで息をしていたらしい。生前に最後の力を振り絞り、根城の仲間にピーキングしたことで早朝から騒ぎとなった。【十二】としかピーキングが届かなかったジバたちはハイマが潤であることまでは把握できていない。


「最後のチャンスだ。今名乗り出ろ。さもないとこちらで炙り出す」


ジバが吊し上げた四名の女たちに問う。

ここで名乗り出るわけにはいかない。深波との夢も大瑚との約束も果たさないわけにはいかない。

櫂吏の合図で女の一人に電流が流れた。悲鳴がして、やがて大きく口を開けたまま体を仰け反らせ、ついには動かなくなった。女の爪にファングネイルが無いのを確認するとジバは装置を切る。


「お願い、どっちなの? 早く言ってよ!」


 江羅は恐怖で泣き叫んだ。

 違う、と言い張るもう一人の女に続き、私も違う、と潤は答える。


「ねえ! 頭おかしいんじゃないの? 早く言ってよ!」


ハイマだとばれてしまえば全て水の泡である。深波の死が無駄になるのだ。そんなことさせてなるものか。


「櫂吏様ぁ……お願いします……お腹にあなたの子がいるんです」


 江羅はしきりに櫂吏に訴えかけるが彼は何も反応しない。ジバの手が装置に触れる。


「……呪ってやる」


江羅は呟いた。

潤は歯を食いしばり、耳を塞いだ。途端、江羅の悲痛な叫びが響き渡り彼女の失禁した生温かい尿が潤の足に飛び散る。もう一人のルームメイトは堪らず発狂し、潤は長い深呼吸をして神経を遠くの木々に向けた。すぐ隣で彼女が生き耐えるのを感じながら自分の番が回ってくるのを成す術がなく待っている。

 次にいきますか? とジバが櫂吏に聞き、彼が頷くのを横目で捉える。潤は思った。恐らく彼らが痺れを切らすまで自分の体力は持つだろう。何としてもファングネイルが出ないように理性を保たなければいけない。不安だ。迫りくる恐怖に鳥肌が立つのが分かった。その恐怖とは痛みや苦しみよりも極度のプレッシャーである。

絶対にやり過ごさなければならない。

ジバが装置に触れるとき、顎に手を当てて自分を眺める櫂吏の目を一瞬睨んだ。全身がつったように小刻みに震え上がる。目を閉じることもままならないまま、天を仰ぎ、両手の指先だけを思った。呼吸が乱れ、意思に反して漏れる尿が腿をつたい床に水溜りを作りはじめる。意識が朦朧としはじめ己を保とうと懸命に神経を集中させた。やばい、無理かも。息ができず、手に力が加わっていく。体は弓のようにしなり、手先の関節が波打ちはじめる。潤は本能が理性を上回るのを感じはじめた。


「ああ、ダメ」


自分だけが聞き取れるような音量で潤はか細く喘いだ。

一方で、櫂吏はこれまでの女とは明らかに様子が違うことに内心胸を躍らせる。嫌でも口元が緩み、目の前の女体に釘付けになる。

 涙や唾液、身体中の水分を垂れ流しながら、振動で歪んだ、絞り出すような絶叫が部屋にどよめく。潤は本能に抗うことができなかった。両手から赤みがかった精巧なファングネイルが伸びはじめる。


「絶景ですね」


 どうしても笑うことを止められない櫂吏はこれとない快楽に息を呑んだ。

 拷問待ちだった女は生まれて初めて見るハイマの凶器に血の気がひく。


「素晴らしい」


 櫂吏は自分の指を自分で舐めまわしながら檻へと近づく。


「あなたですか」


ため息まじりにそう言うと潤の髪を掴み上げる。

潤は気力で男を見返すが焦点が合わずにぼやけていた。

潤の爪から首を撫で回し、男は恍惚の笑みを浮かべる。


「同種よ、良い目をしていますよ」


 

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