13/J

 東灰海の細長い岬を走る。樹木の隙間から灰海街が見え隠れしている。出発して間もなく、潤の前を行く深波は足を止めた。自分たちの上、辺りの木々を見渡す。

 今日は風が強すぎる。

 次の瞬間、黒い影が降ってきて瞬く間に囲まれる。

 六人。これまでに比べたら数が多い。


「死んでもらう」


 ジバの一声を皮切りにその場にいた全員のファングネイルが伸びた。

 潤は女のジバとやり合う中、その後方で深波が三人のジバと戦っているのが見えた。

 喉に向けた右爪がとどめとなり女は倒れた。

 すぐに深波に応戦しようと、木に乗る。そして上から降りかかる。瞬時に身をかわした男のジバの横蹴りが命中し、潤は木の根元に吹き飛ばされた。自分に降りかかるファングネイルを辛うじて捉え、それを避ける。

 その時、崖の淵に大瑚が立っているのが見えた。二人のジバに追い詰められた彼の後ろにはもう地が無い。(まずい)

 もう一度ファングネイルが降りかかるのを受け止め、体勢を変えるように潤は男の上へ馬乗った。互いが互いのファングネイルをもう片方の手で制する。

 潤は左手に力を込めた。伸びた左爪が男の胸に深く突き刺さっていく。


「くっ……、両利きだったのか」


 男の腕から力が抜けると潤は右爪も男の胸に突き刺した。そして一気に両手を引き抜く。顔面に浴びる返り血を気にせず、大瑚を振り向く。

 それは彼が転落した瞬間だった。


「大瑚!」


 崖上で大瑚を見送ったジバたちは潤と深波の元へ向かってくる。


「潤行くよ」


 深波は倒しきれない一人を振り払い走り出した。潤も彼に次いだ。大瑚の件で頭は真っ白だったが体は意志と関係なく夢中で動いていた。

 木々を飛び移ろうが中々撒く事ができない。見れば数が増えている。


──ピーキングされたね。別の班が合流したみたい


──どうしよう。灰海街に入っちゃう?


 潤と深波は灰海街へ飛び出し、ゾーオンたちに紛れる方を選んだ。

 密集する波板屋根を渡り駆ける。場所によっては底が抜けた。「きゃあ!」だの「うわあ」だのいたるところでゾーオンたちが叫んでいる。

 沢山の服が干されている屋根と屋根を繋いだ物干し紐はそこら中に存在し、足元を救われた潤は下の屋台へ転がり落ちた。先程の返り血に果物の汁と自分の汗が混ざり合って全身はグショグショだ。

 粘り気ある頰の果汁を拭いとる時、ジバが目の前に降り立った。咄嗟に屋台の豚汁の入った大鍋を投げ放つ。頭からかぶり、酷く火傷を負うジバの後方で、深波が大きく飛び降りる姿を見た。(すごい、スローモーション……)その姿は着地寸前の鳥。

 彼の手により大型の貯水槽が架台ごと盛大に崩れ落ちる。ゾーオン達の悲鳴が増す。波のように砂埃が舞い、視界が遮られた。そんな中、潤の腕を引く者がいて、それは紛れもなく深波であった。

 走り、ジバの姿が無いのを確認して路地裏に駆け込む。深波は自分たちに気づいたゾーオンを倒し、服を剥ぎ取ると潤に渡す。身軽になる為、防牙爪もこの時捨てた。

 蹲り、狭い隙間に座り込む。

 心拍数を下げようとして、どちらともなく地に着いた手を絡めあった。

 灰海街のど真ん中で四方八方が敵に埋め尽くされた時、潤は世界から取り残された気分になった。それと同時に自分と深波だけの世界がここにはあって、それがなんだか面白くてつい笑ってしまいそうになる。


「やるべきことをやり遂げないと、僕はここに生まれた意味がない」


 そうだね。


「生まれた瞬間から道は決まってて、前を行く父さんに認めてもらいたかった。手を繋がれたことも抱きしめられたことも一度だって無いよ。それが普通だと思ってた……でも潤はいつだって僕を抱きしめてくれたね」


 そうだね。


「灰海は特別綺麗じゃないけれど、水遊びをするゾーオンは何も考えてなさそうで気楽だよね。何も考えずに息をしてみたい」

「私は砂浜で犬と追っかけっこするのが理想。灰海街のワンちゃん可愛いんだよ」

「いいね。昼になると父さんが育てたハマチを母さんがみんなに捌いてくれて、夕方には父さんとまた釣りをして、夜ご飯は釣った魚を家族みんなで食べて……」


 彼は今、ゾーオンになっているらしい。


「お魚大好きじゃん。私だったらハイマの目を盗んで船出しちゃいそう。あ、でもゾーオンだったら1発で死刑か」

「いつか証明しよう、一緒に」

「え?」

「昔、潤が言ってくれたんだよ。衝撃だった。『海の先を知りたい』なんて、笑われると思ってたからね。そんな僕の不安を君はあっけらかんと無いものにした」

「深波」


 潤は路地の壁を見つめたまま声を出す。


「絶対に、絶対に逃げ切って」

「うん」

「脱出して、海の先、確かめて」

「うん」

「深波の為ならなんだってするから私」

「分かったよ」


 深波は前を向いたまま視線を落としているが、繋がれた手の握力は増した。深波の目を横から見て、潤は瞬きで頷く。

 夜も近くなれば自分たちの噂を得た各地のジバたちは瞬く間に灰海街へとなだれ込む。その前に南へ進みたい。やはり初策の円周を通るしかないのか……。どっちにせよ灰海街の中央から右か左に出なければならない。

 それにしても潤と深波は身動きの取れない状況下にあった。いざ動こうとすると、ど偉い刺青が目に入る。今も背にしている薄い壁の向こうでジバがゾーオンに情報聴取している声がする。やがて足音は壁を周り自分たちの方へ来る気配がした。

 潤は両手にファングネイルを用意して構える。


「……愛、地」

「潤……こんなところで何してるの……?」


 ファングネイルを見て狼狽えたものの、愛地はとっさに小声で言った。


「逃げてるのさ」


 どう答えたら良いのかわからない潤の代わりに深波は分かりきった台詞を放つ。潤はファングネイルを仕舞ったが、深波はそのまま、愛地の目をじっと見ている。妙な緊張感がそこにはあった。

 愛地のこめかみから一筋の汗が流れ始める。


「大瑚が、潤たちを心配してる」

「え? 大瑚生きてるの?」

「俺、大瑚を海岸で見つけて、酷い怪我してたし、その、かくまってやってんだ。ここから少し南の方なんだけど案内するよ。奴ら、ここでは基本少数で決まった道を巡回してて、だからなんとなくだけど避けれる道もわかってる。まぁ、今は騒ぎでちょっと乱れてるけど……乗る?」


 騒ぎとは潤たちのことだ。

 愛地とその仲間が引く荷車は魚が入っていたであろう空のバケツと、大きめのビニールなどが積まれていた。

 南下して大瑚と合流し、そのまま進むと予定通り森に潜る事ができる。潤たちにとってそれはとても幸運な事だった。


「でも万一、このことがバレたら愛地は」

「いいよ。だって潤は俺の恩人だから。友達でしょ? ね、そうだよね」


 愛地の言葉に仲間のゾーオンも頷く。


「本当にありがとう」


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