第7話 2人きりの夜
(これは夢か……?)
温かいシャワーを浴びていても蓮は、リラックスするどころかまだ混乱の最中にあった。
ダンジョンで助けた高校生のお姉さん、柊結乃が通う女子校。その生徒寮で、蓮は全裸でシャワーを浴びている。
ここは、個室(2人部屋)に付属しているユニットバス。湯船はなく、シャワーだけで済ませるタイプの浴室だ。
この個室用の他に、寮には大浴場もあるらしい。しかし万が一、他の生徒――つまり高校生のお姉さんたち――と鉢合わせになっては生死に関わる。
なので個室で入浴しているのだが――
「蓮くん、お湯加減どお?」
「ひっ――!?」
薄いドアの向こうに、結乃がいるのだ。
「たまに冷たくなっちゃうから、そのときはしばらく待ってね。すぐに温かいの出るから」
「う、はい……」
返事する声も上ずってしまう始末。
気もそぞろなまま適当にシャワーを切り上げ、結乃が準備してくれたフワフワのバスタオルで体を拭いて、浴室から出る。
「あれ? 早かったね。ゆっくりしていいのに」
「い、いつもこんなもんだし……」
「そっか。じゃあこっち来て。ドライヤーしてあげる」
「へ?」
「風邪ひいちゃうよ、早く」
ダンジョンは蓮にとって庭のようなものだったが、この女子寮は結乃のほうに地の利がある。
言われるがままイスに座らされ、背後を取られる。
ドライヤーの温風と、結乃の丁寧な手つき。
心地良いのだが、彼女の指がうなじに触れるたび、ビクッと背筋が跳ねてしまう。
「お腹空いてない? だいじょぶ? 良かったら夜食作るよ」
「そ、それは別に」
「ここって、寮母さんに報告すればオーケーなんだ。こう見えても料理は得意なんだよー?」
「いや、ふ、普通に上手そうだし――」
「えー? 蓮くん、お世辞うまいねー」
結乃の声を聞いていると、昼間のことを思い出してしまう。
あんなにガチガチに緊張していたのに、なぜか彼女の応援だけで持ち直すことができた。
「よし、と。蓮くん男子にしては長いけど、やっぱり乾くの早いね。私ももっと短くしよっかな? 明日から新学期だし」
「も、もう新学期には間に合わないのでは……?」
言いながら蓮は、彼女に伝え忘れていたことを言葉にしようと決意していた。
「あ、あの昼間……」
「ん?」
「ありがとう……、ございました」
「助けてもらったのは私だよ?」
ベッドに腰掛けて結乃は、蓮の顔をのぞき込んでくる。
ふいっと目を逸らし、蓮は続ける。
「モンスターはそうだけど……配信は、柊さんのおかげで……」
「…………。硬い」
「へ? かた……?」
見ると、結乃はなんだか不満げに目を細めていた。
「『柊さん』って。結乃でいいよ。私も勝手に蓮くんって呼んでるし」
「は? いや――」
「同じ部屋の仲間になるんだし。堅苦しいのは疲れるよ?」
女子を下の名前で呼ぶ――
なんてイベントが、自分の人生で起こるとは想像もしていなかった。
「ゆ、結乃……さん?」
「うーん、まだ硬いかなぁ……?」
そんなことを言われても。『結乃ちゃん』とも呼べないだろう。
「呼び捨てでいいよ」
「いやいや!?」
ハードルが数段上がってしまった。
「あー。女子のこと、呼び捨てしたことないかなー」
「……うぐっ!」
あからさまな挑発だ。乗ってはいけない……!
「1回、1回だけでいいから」
「な、なんでそんな――」
「じゃあ私も蓮くんのこと『遠野さん』って呼ぼうかな」
「…………っ。ゆ、結乃……」
「っ! なぁに、蓮くん?」
分かりやすく上機嫌になる結乃。こちらの反応をうかがって楽しんでいるのは明白だ。
しかし、嫌な気分がしないのはなぜなのか……? からかわれているのに、それでもいいような気持ちになってくる。
「も、もう寝るんで――!」
「そう?」
部屋の左右の壁にそれぞれ密着する形でシングルベッドが置かれてある。そのうち1つに潜り込み、布団を頭から被ることでようやく平穏を手に入れた。
「じゃあ私もシャワー浴びよっかな。おやすみ蓮くん」
結乃がユニットバスのドアを開けて入浴する気配が伝わってくる。つまり、結乃はあそこで服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿でシャワーを浴びていて……。
(へ、平穏はどこに――!?)
シャワーの湯音は、蓮の心を存分にかき乱した。
結乃が浴室から出てきても、布団の中で蓮は寝たフリを続けるしかなかった。
「…………」
気を遣ったのか結乃は、天井の照明を消すとドライヤーを持って部屋から出ていき、しばらくしてから戻ってきた。
暗くなった部屋では、小さな音も大きく聞こえる気がした。
結乃がベッドに入る、衣擦れの音。
かすかな吐息。
ほんの数メートルのところで彼女が寝ようとしている。
(…………なんだったんだ、今日は)
厄日と言うしかない。
配信初日。結乃との出会い。まさかの女子寮。そして再会と同室――。
生きた心地がしなかった。いつもの自分でいられたのはオウガとの戦闘だけだったというのも、なんとも皮肉な話だ。
しかし、この寮に残ることを決めたのは自分自身だ。柊結乃がいることを知って――
(し、下心なんて……!)
ないとは決して言えない。
実際、結乃はどう控えめに見ても可愛いし、いい匂いがするし、ダンジョンでは気に留めていなかったが胸も大きくて、スカートから伸びる脚には目が釘付けになってしまう……。
あの大きな瞳で見つめられると心臓がバクバクするし、汗が止まらなくなる。
(こんな状態で生活するとか……)
明日からはどうなってしまうんだろう?
ダンジョン配信は続けることになるし、あさっては中学の入学式。困難はいくつも待ち受けている。
けれど――
〝……大丈夫だよ〟
眠れずにいる蓮の脳裏に、ふいに結乃の声が浮かんでくる。そしてその声を何度も反芻している自分に気づく。
「…………」
そうするといつの間にか心が安らいで、まっさらなシーツのベッドに意識ごと沈んでいくようだった。
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