第70話 生徒会長(後編)


 ■ ■ ■



 その日の蓮は配信が休みで、結乃も学校行事で忙しいとのことだった。なので、昼間に思いついたとある用件で、四ツ谷ダンジョンの1階層にあるマキ・テクノフォージの工房へ向かう途中だった。


(生徒会長……?)


 見知った背中が、前を歩いているのに気づいた。

 3年の早川有紗だ。


 彼女は路地に折れ曲がったので、蓮の目的地へのルートからは逸れたのだが、路地の入口を通り過ぎるときに何気なくそちらを見ると、


(男……? 様子が――)


 遠目にも、明らかに有紗の所作がおかしかった。すると彼女はブロック塀に追い詰められて、左腕を掴まれて――


「――――っ」


 蓮は駆け出し、2人のあいだに飛び込んだ。



 ■ ■ ■



 どうして彼がここにいるのか、なぜ自分を助けるのか、大人の暴力を真っ向から食い止められるのはなぜ――


 有紗の頭の中ではさまざまな疑問が湧いてくるが、事実は見てのとおりだ。


「会長、嫌がってるんだけど?」

「な、なんだッ……!?」


 有紗の父親はたじろいで、掴んでいた有紗の腕を離す。

  

 まじまじと蓮のことを見て――正体不明の人物が、年端もいかない少年だと再認識したのだろう。つまり、『自分より弱い相手』だと、自分の暴力が通じる相手だと。


 今度は、蓮のことを掴もうとする。

 それも腕ではなく――首だ。首を絞めようとしている。


「や、やめっ――」

「いぎッ!?」


 だが蓮はそれをスルリと躱し、男の手首を掴み返して指を突きたて、急所らしき部位を責め立てた。


「い、いだッッ――!?」

「正当防衛だよね」


 言って、あっさりと解放。


「ふ、ふざけるなよ……!? 俺はそいつの父親だぞ!」

「――そうなの?」


 蓮が有紗のほうを振り返る。無防備に思えるほど緩慢な動きで。


 有紗は、小さく首肯するしかできなかった。けれど、その表情だけで蓮は察してくれたらしい。


「――で? 親だから、なに」

「お、親の言うことを子どもは聞くもんだ! 自分じゃ何もできない、弱いガキのくせに……!」

「『何もできない』――?」


 蓮の声に怒気が籠もる。


「アンタ、親のくせに会長のこと何も知らないんだね。出直したら?」

「な、生意気な口を利くなッッ! ガキが大人に逆らうとどうなるか……!」

「教えてよ、どうなるの?――こうする?」


 痛む手首を押さえていた父親は、前かがみになっていた。ちょうど、蓮が殴打を加えやすい高さまで顔面が下がっていた。


 蓮は左手を振りかぶると、手の甲で男の横っ面を打ちのめした。さっき有紗がされそうになったように、思い切り。スパンッ、と心地のいい音が響いた。


「――ぇぶッッ!?」

「これ、アンタがやろうとしてたことだよね?」


 明らかに腕力不足に見えたが――蓮の一撃は、脱力された腕をムチのように振り抜くことで、十分な威力を持っていた。


「え、あっ……!? い、いだい……」


 頬を押さえ、今にも泣き出しそうな顔になる。暴力を振るうときには威勢が良かったのに、受ける側になると途端に弱くなる。


(こんな人が……お母さんを殴って、私のことも)


 そう思うと腹立たしくてしょうがなくなる。


「あとコレ。会長のこと怖がらせた分ね?」


 無造作に、足で股間を蹴り上げた。


「へぎィッッ!?~~~~~いっ、オっ!?!?」

 

 有紗には分からない激痛に情けない声をあげ、その場にへたり込む。ずっと怖かった父親が、強いと思っていた大人の男性が、あっけなく崩れ落ちる姿。


 暴力は怖い。誰が振るっても怖い。

 でも、蓮は自分のことを守ってくれている。そのことは理解できている。


 だから目を逸らさずに、止めもせずに見守った。彼はたぶん――暴力をよく知っている。あの最低な父親のように暴力に酔うのではなく、確固たる意思で使いこなしている。


 そう見えた。


「おじさん……殴られるのが怖いなら、子どもにも手を上げないほうがいい。イヤでしょ? 痛いの」

「うっ、……へぅっ……」


 股間を押さえて脂汗をにじませ、中学1年生の男子を怯えたまなざしで見上げる。自分の身に起こったことがまだ信じられず、蓮の言葉に答える余力もないみたいだ。


 そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。


「……ああ。僕が呼んだんだ。警察、来るよ?」

「~~~~っっ!?」


 男の顔いっぱいに焦りの表情が浮かんだ。


「ひ、ひぃいっっ……!」


 かと思うと、なりふり構わず地面を這って後退し、ようやく立ち上がって走って逃げていった。


 だが有紗は、もうその背中に興味はなかった。


「――と、遠野くん」


 助けてくれた少年へと、おそるおそる呼びかける。


「ご、ごめんなさい、変なことに巻き込んで……」

「? 巻き込まれた覚えはないよ。僕が勝手にやっただけだし。……父親、あんなふうにしてマズかった?」


 有紗はブンブンと首を振る。


「そんなことない、ありがとう……本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げると、堪えていた涙がポロポロとこぼれ落ちた。


「い、いや……、えーっと……」


 パトカーのサイレンが近づいてくる。

 が、大通りをそのまま通過したらしく、警官が駆け寄ってくる気配はない。


「――――?」

「あ、ごめん。さっきの嘘なんだ」

「嘘?」

「警察、呼んでない……そんなタイミングなかったし」


 顔を上げると、蓮は照れくさそうに頬を掻いていた。


 テニス部で見た、年相応な彼の顔だ。なんだかホッとする。日常に帰って来たんだという気がして、張り詰めていたものがほどけて、またもや涙が流れてしまった。


「えっ、あ、ご、ごめん? 呼ぼうか警察? とりあえずハンカチ……」


 年下の男の子に慰められて、でも全然いやな気分じゃなくて。有紗は、久しぶりに感情のままに泣いた。



 ■ ■ ■



「遠野蓮くん居ますか――」


 有紗を暴漢(父)から守った翌日のこと。

 昼休み、1年2組の教室を有紗が訪ねてきた。


 3年生が教室にやって来るだけで1年生にとってはちょっとした事件なのだが、それが顔を知られている生徒会長で、しかも『有名人』である蓮のことを呼んでいる――


 ということで、クラスメイトたちは色めき立っていた。

 視線を浴びながら、おずおずと彼女のもとまで行くと、


「時間があったら、付き合ってくれませんか?」


 丁寧な申し出に、緊張しながらうなずき付いていった。廊下でも目立ってしまって同級生から好奇の目で見られている。


(に、苦手だやっぱり……!)


 連れられて来たのは生徒会室。2人きりになると有紗は、


「改めて……昨日は本当にありがとう。母も、正式にお礼をしたいって」

「そ、そんなの別に」


 恐縮してしまって、話題を逸らす。


「――あれから、どうなったの?」

「うん。母……お母さんが警察に連絡して。お母さん、引っ越そうって言ってくれたけど――」


 家庭内暴力が原因で離婚して母と2人暮らしだという話だった。


「私、いまの学校が好きだし。友達も、テニスも、先生も。それに……」


 眼鏡の瞳がじっとこちらを見る。


「?」

「……ううん。何でもない。あの男のことだけど、去年できた法律があってね。あの男がやったこと、今まで以上に重い罪に問われるみたい」

「重い罪?」

「未開拓のダンジョン送りだって。もちろん配信者としてじゃなく、探索に駆り出されるって。D財団の調査チームがあって……たぶん、の下でコキ使われることになるだろうって、警察の人が」

「ふうん?」


 ふと、里親のことを思い出す。


 もし彼女の下で働かされたら……人格が変わるくらいシゴれるだろう。実は性根は優しい女性なのだが、ああいうタイプの男にはひたすら厳しい人だから。


(ま、そんな偶然はないか)


 D財団には色んな人がいる。蓮の母のもととは限らない。変人が多いからどこに配属されても苦労するだろうけど。


「昨日は私もダメだった。大声で助けを求めてたら、もっと早くどうにかできてた。遠野くんにあんなことさせなくて済んだ。けれど、ね……」

「?」

「不謹慎だけど、嬉しかった。『何もできない』って言ったあの男の言葉、否定してくれて」


 これまでどこか気張って見えた有紗が、ふっと柔らかく微笑んだ。


「遠野くんには感謝してもし足りない。ああいうとき、咄嗟に動ける人って本当に強い人だと思う」

「……得意、不得意があるから」

「?」

「僕は、みんなの前でしっかりできる会長が凄いと思う……」


 有紗は、目をぱちくりさせてから、


「ふふっ。そうなのね。――じゃあ、私にできることがあったら何でも頼ってね。このお返し、したいし。……あ、遠野くんが生徒会に立候補するときは応援演説でも引き受けようか?」

「そ、そんなことにはならないから……!」


 全校生徒の前で選挙活動なんて、想像するだけでゾッとする……!

 戦慄する蓮を見て、有紗はまた微笑した。そして、


「――聞いたんだけれど。今度、遠野くんは試験を受けるって」


 ナイトライセンスのことだろう。


「うん、あさっての日曜日に」

「応援させて。生配信、あるんでしょ?」


 ナイトライセンスの試験は、それ自体が注目コンテンツだ。蓮の試験――つまりシイナとの戦闘も、ライブ配信される予定になっている。


「ダンジョン配信、見たことなかったんだけれど。気になってきたし。遠野くんが試験に受かるように、視聴者として応援してもいい?」

「それは、もちろん」

「良かった。無理はしないで……がんばってね」


 なんだか、とても嬉しそうな有紗。


「――あ、そうだ。忘れるところだった。昨日借りたハンカチ、綺麗に洗ったから」


 スカートのポケットから取り出して、両手で差し出してくる。蓮が手を伸ばして受け取るが――


「…………?」


 有紗はハンカチを離さず、じっとこちらの目を見つめてくる。


「会長?」

「――――っ、う、ううん。ありがとう。じゃ、じゃあ日曜日! がんばってね!」


 珍しくバタバタと、生徒会室を出ていった。


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