第69話 生徒会長(前編)



『――生徒のみなさん、おはようございます。新入生のみなさんも、入学して3週間が過ぎて学校に慣れてきた頃だと思います。来週には……』


 体育館での全校朝礼。

 集団行動に興味のない蓮だが、ステージに立つその女子生徒のことは真っ直ぐに見ていた。


 全校生徒と教師陣が勢揃いする集会で、まったく物怖じせずに堂々とスピーチをしているのは、生徒会長の早川有紗だ。


 女子ソフトテニス部のキャプテンでもあり、仮入部では蓮もお世話になった。


(早川キャプテン……いや、もうキャプテンじゃないか)


 仮入部が終わって『ただのダンジョン配信者』に戻った蓮が、彼女をキャプテンと呼ぶのは筋違いな気がした。


(早川会長、か)


 いまだに配信のトークで緊張してしまう蓮からすると、ああして、人の視線を怖がらずに話せる同世代は尊敬に値する。


 視聴者数は配信のほうが圧倒的に多いが、生でこれだけの人数の視線を浴びたら、どれだけ怯んでしまうだろうか……。

 

 なにかコツでもあるのかもしれない。

 部活を通してできた縁がある。タイミングがあったら尋ねてみようか。


 ――なんて思えるようになったあたり、蓮も、自分の人見知りが少しずつ改善しているような、そんな気がしていた。



『そしてゴールデンウィークが明けると、5月には中間テストもあります。1年生のみなさんにとっては、中学に入って初めての試験です――』


 試験。

 蓮が受けるナイトライセンスの試験は今週末だ。


 シイナへの対策――というほど確たるものはないが、工房で制作中の専用装備と、あとは、試してみたい技がある。それは工房を訪れたときからボンヤリと考えてスキル。


 ただ、それを実行するにはが足りない――


(放課後、工房に行ってみようか)


 朝礼中、そんなことを考える蓮だった。

 


 ■ ■ ■



 早川有紗にとって、仮入部期間の2日間は嵐のようだった。

 ソフトテニス部に体験入部してきた新入生、遠野蓮のせいだ。


 いきなりテニスラケットを握って有紗と打ちのめしたこと。そのラリーが原因で、彼を目当てにしたギャラリーが追い払っても何度も集まってきたこと。


 ――彼が悪いわけではまったくないけれど、キャプテンとしては気苦労も多かった。


 いつもは頼りになる羽美先生も、初日は倒れてしまって機能しなかった。2日目は体調が治った(?)のか、普段どおりに仕切ってくれたので負担は減ったけれど。


(はあ……、ようやく平穏が)


 今日は水曜日で、部活が休み。 

 スーパーマーケットに寄って夕飯の買い出しだ。母はシングルマザーで、昼間は働きに出ているので部活がない日は有紗が買い物を進んで請け負っている。


 本当は部活もせずに家事を手伝うつもりでいたが、離婚の際にも母は、有紗がテニスを辞めようとするのを反対していた。


 有紗の『テニスが好き』という気持ちを最優先するよう説得されて、だから今も部活を続けられている。



 スーパーの野菜売り場でタマネギを選びつつ、考えるのは彼のこと。


(彼、本入部はしないだろうな――)


 あれだけテニスが出来るなら、普通はのめり込んで入部まで至るだろうけれど、遠野蓮はダンジョン配信者だ。


(ダンジョン配信、か……)


 彼自身が有能であることは充分に理解したが、それでもダンジョン配信への好感度は変わらない。


 ――離別した父親が、かつてダンジョン配信をかじっていたことが一番の原因。


 配信者としてまったく芽の出なかった父親は、リタイアして若かりし母と結婚、そして有紗が生まれた。もう父はダンジョン配信を見るのも嫌いになっていて、有紗にも絶対に見させようとはしなかった。


 ……それだけなら、ひとつの家庭の教育方針に過ぎない。


 だが父は暴力を振るった。

 他人には気弱で頼りない大人だったが、母に対しては強い態度で、特にアルコールが入ると拳を振るうことがあった。


 そのときだけは、『ダンジョンでは敵無しだった』などと嘯いて、自分を大きく見せるのに必死になっていた。『力の弱い者は強い者に従うものだ』とも。


 有紗はそんな父が大嫌いだった。

 そして2年前のある日、父が、中学に上がったばかりの有紗にも手を上げたことが最後のきっかけとなり、母は離婚を決意。


(……配信者なんて)


 有紗の中でも、決定的に配信者を嫌う原因になったのだった。


 生き死にの価値を軽く考えて、痛覚遮断のおかげで人の痛みが分からなくて――父親の姿こそが、有紗にとってのダンジョン配信者そのものだった。


(彼も……このまま配信者を続けてたら同じようになるかも)


 遠野蓮は今のところ、善良な中学1年生だと思うけれど。


(そうだ、配信者を辞めるよう説得して、テニス部に入ってもらえば――)


 もっと丁寧にテニスを教えて、腕を競い合うライバルになって。きっと部活にもっと張りが出るだろう。それがいい――


 と、そこまで考えてから、自己嫌悪に陥る。


(……これじゃ、あの男と同じだ)

 

 自分の嗜好ばかりを押しつけて、無理やりに言うことを聞かせようとする。大嫌いなあの父親と。


「はあ……」


 ため息を漏らす。

 そんなふうにならないために、勉強もスポーツも、生徒会長の務めだって精一杯にやって自分を鍛えてきたのに。


 小さく首を振って嫌な思考を追い出し、買い物を終える。



 マイバッグに一杯の食材を詰めて家路に就く。

 大きな通りから、自宅アパートへと向かう細い路地に入ったところで――


 あの男が待ち伏せていた。


「なっ――――」


 息が止まるかと思った。

 面会拒否し、住所も教えていない男。


 2年ぶりに会う、最低の父親が。


「――探したぞ、有紗」


 虚ろな目と低い声に、全身が凍りつく。あれから2年、背だって伸びて、自分では強くなったと思っていたけれど。


 身動きもできず、声も上げられなかった。


「なんて顔してるんだ? 久しぶりに会いに来てやったんだぞ、探偵まで使って――」


 無遠慮に距離を詰めてくる。有紗は知らぬ間に後じさっていて、冷たい住宅のブロック塀に背中が当たる。


 ……まだ夕方だ。有紗が見ていた範囲で路地に人影はなかったが、大声を出せば誰かが駆けつけてくれるかもしれない。 

 

 でも無理だった。

 どれだけ息を吸い込もうと思っても、吐き出そうと思っても。自分の思うようにならない。


「あんな女のところに居たって、楽しくないだろ? お父さんと暮らしたいよな、なぁ有紗」

「――――っっ」

「なァって!」


 左腕を掴まれた。

 信じられない力だ。有紗の細い二の腕が、男のガッチリとした手に締め上げられて、持っていた買い物バッグがどさりと地面に落ちる。

 

 痛いのに、悲鳴も上げられない。


 嫌いだ。か弱くて頼りない、こんな自分がいやだ。ルールを守らないこんな男に負けてしまいそうな自分がいやだ――悔しくて泣きたくなる。でも涙だけは流したくなくて、必死で眉根に力を込めて、にらみ上げる。


 ……怖くない、こんな男は。

 そう自分に言い聞かせながら。


「……なんだよ、その目は。なあッ!?」


 右手が振りかぶられる。手の甲で――というよりもはや、裏拳で有紗の顔をひっぱたく気だ。


 身を固くする。

 怖い――怖くない。怖い。


 念じるように胸の中で繰り返して、けれど反射的に目を閉じた。


「い、いやっ――」

「有紗ぁっ――!」

 

 ああ、殴られる。そう思った。けれど思ったような衝撃は来なかった。


「な、なんだっ……!?」


 代わりに父親の戸惑った声。

 そして、妙な気配。


「え――」


 恐る恐る目を開けると、人影が2人のあいだに割って入っていた。小柄な人物だ。黒い学生服の。


「んだ、このガキっ……!?」


 そのは、振り下ろされた男の右手を前腕でかち上げ、有紗への殴打を防いでいた。


 普段とはまったく違う、毅然とした口調で、


「会長、嫌がってるんだけど?」


 遠野蓮は言い放った。


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