第19話 推し活
■ ■ ■
「はぁあああ~~~…………」
「どうしたの
職員室のデスクでうなだれていた1年2組の担任・
「初日からつまづいた?」
「いいえ、基本的にみんな良い子たちです……。一部、元気が良すぎるというか、要注意な子はいましたけど。それ以外のことで、ちょっと……」
「わたしでもいいし、副担任の山本先生もベテランなんだし。なんでも相談しなよ?」
「ありがとうございます。ですがこれは個人的な問題なので――」
そう言いながらも、ため息が漏れるのを止められない。
「あんまり抱え込みすぎないでね。羽美先生は、なんでも頑張っちゃうから」
「はい、ありがとうございます……」
日ごろから元気印な羽美だけに、余計に心配をかけてしまっているのだろう。よくない、これはよくない……。
羽美のことを悩ませるのは1人の生徒――
遠野蓮の存在だった。別に彼が問題児だというのではない。彼が悪いのではなく、羽美の問題……。
羽美は今日、生徒たちにひとつ隠しごとをしてしまった。
〝趣味は早朝のジョギングと、仕事終わりのジム通いです。〟
生徒たちに披露した自己紹介に嘘はない……ないのだが、すべてをさらけ出したワケでもなかった。
(一番の趣味は、『ダンジョン配信の視聴』なのに……言えなかった……っ)
特にアイビスの配信をくまなくチェックしている、いわゆる
ショートスリーパーなうえにマルチタスクな羽美は、深夜に自己研鑽の勉強をしているときも、別モニターで配信を流したままにしているほどだった。
……大学時代まではダンジョン配信をむしろ敬遠していたほうだったのだが、在学中、ハタチの年に膝を壊してテニスを辞めざるを得なくなったとき、彼女の心を救ってくれたのが配信の存在だった。それから4年間、24歳になる現在までどっぷりとアイビスの沼に浸かっている。
そんな彼女が見つけた新たな『推し』――いや、これまであくまで箱推しだった彼女にできた、初めての『
「まさか……、ああでも、名簿を見てたんだから気づかなきゃだよ私……っ!」
羽美は机に突っ伏してしまう。
配信を見ていたときは彼の活躍に夢中だったし、本名ではないのだろうと勝手に思い込んでいたせいでもあるのだが――とにかく、『配信者・遠野蓮』と、自分が担任する『1年2組・遠野蓮』とを結びつけられずにいたのだった。
おとといは、
(12歳の配信者なんて尖ったことするなぁ、さすがアイビス! いつかもし二ノ宮社長に会う機会があったら、絶対にサインもらおう!)
なんてテンションで、箱推しの使命として新人・遠野蓮の初配信をチェックした。昼間は仕事だったが、運良く休憩時間にかぶったので初配信をリアルタイムで視聴することができた。
チャット欄にも張り付いて、彼の年齢の話題になったので解説のコメントを打ち込んだ。他のリスナーからは「中学生の年齢に詳しすぎる」なんて怖がられたりもしたが、職業柄、詳しいのは当然のことだ。
配信では、年相応の少年がそこにいた。
ここでも職業病というか、ハラハラとした気持ちで見守ることになった。教え子の発表会を客席から見ているような、自分のこと以上に落ち着かなくなる気持ちだ。
その少年は、見るのもつらいほど緊張していたが、それも無理のないこと。あれほど大勢の注目する生配信で緊張するなと言うほうが無理というものだ。
――見る目が変わったのは、件の【バンデット・オウガ】との戦闘。
その洗練された一瞬の攻防に、目を疑った。短い配信だったので休憩時間中に見終えることができたが、帰宅してからも、何度も何度も繰り返し再生した。
そして昨日のスタンピード戦だ。
仕事があったので、帰宅後にアーカイブを視聴した。
……目を奪われた。
羽美は、自分を鍛えることに快感を覚えるタイプだ。彼女も蓮と同じように小柄な部類だが、中身に詰まった情熱と体力なら誰にも負けないと自負している。
そんな羽美から見ても、蓮の戦闘挙動は圧巻だった。あれは一朝一夕で身につく動きではないことが一瞬で理解できた。同時に、この年齢でこれだけの技能を身につけることが、いかに異常であるかも察せられた。
自然と号泣していた。
蓮の途方もない努力のあとを察して、それだけの苦労を背負わなければならなかった彼の境遇に、ダバダバと涙を流していた。
とはいえ一介のリスナーが、彼のためにやれることなんて限られている。
だから、
(せめて全力で推そう……!)
そう決心した。
新入生の担任もしながら、
それから深夜に、蓮について語る掲示板もチェックした。ついテンションが上がって、『蓮くん無しには生きられなくなる』なんて書き込みまでしてしまった。
無論、生徒ほどの少年に劣情など抱かない。
たしかに、戦闘直後の蓮の、凜々しくも哀愁を纏った表情にはドキリとした。もしも同年代だったら恋に落ちていたかもしれないが……これに関しては、恋愛経験皆無の羽美には断言できるものがない。
ともかく、邪な気持ちからではなく、純粋に配信者としての彼を応援していくことが生きがいの一つになる。そう確信していたのだ。
……なのに。
なのに!
「あああ、担当する生徒の名前も覚えてなかったなんて、私は最低だぁあ……っ」
デスクの下で、足をパタパタさせて悶える。
担当クラスの生徒に、蓮の顔を見つけたときは心臓が止まりかけた。全身に雷を浴びた思いだった。ホームルームで平常を装っていられた一点についてだけは、自分を褒めてやりたかった。
生徒に見せる笑顔の一方で、背中には滝のような汗をかいていた。生徒の顔と発言を覚える努力は忘れていなかったが、保護者の顔などはほとんど見渡す余裕がなかった。
「まずいよね……色々と……生徒が『推し』なんて……」
けれど。
一度は全力で推すと決意したのだ。その決意をなかったことになんてできるだろうか? いやできるはずがない!
そしてもちろん、本業である教職もまっとうする。
〝蓮くんが推しです〟
なんて公言はするつもりは、毛頭ない。それは彼にも迷惑をかけることになるだろう。自分の立場がどうなっても構わないが、推しに、そして生徒に迷惑をかけるのだけは避けねばならない。
できるだろうか?
「……できる、私ならできる……!」
顔を上げ、自己流のマインドセットで自身を鼓舞する。
人生で一番の挫折の時期を支えてくれたのが、ダンジョン配信であり、アイビスの配信者たちだった。何があろうと推し続けると決めた。そして今、自分の最推しが現れたのだ。ここで立ち止まるわけにはいかない!
推し活も、仕事も。
蓮を推して、蓮を担任する。全力で!
「ぜったいやれる! 私はやれるっっっ!」
起立し、パッション全開で瞳をメラメラと燃やして、羽美はひとりで勝手に再起した。先輩教師も、「あ、いつも通りだな」と羽美のうしろを通り過ぎていった。
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