第29話 打ち上げ
■ ■ ■
「ふぅ……」
蓮は自分のベッドに腰掛け、ようやくひと息ついた。
寮に帰り着いたときには夕飯の時間は過ぎていたが、管理人の
蓮はいつも通り部屋のシャワーで。結乃は大浴場へと行った。
シャワー上がりに食堂へと下りていくと、ちょうど湯上がりの寮生たちと廊下で出くわした。
濡れ髪のお姉さんたちから、もはや恒例となった激励と質問攻めに遭い、前後左右から揉みくちゃにされながら、どうにか食堂にたどり着いて結乃と一緒に遅めの夕食をとる。
結乃は何やら厨房に用があるということだったので、先に蓮は部屋に戻って――
そうして今、ようやくリラックスしたところだった。
ややあって結乃が戻ってきた。
「ただいま~」
と、ドアを開けて入ってきた結乃は、両手に持っていたカップのアイスクリームを
「じゃーん。これで打ち上げしよ」
今日は――というか、今日も色々とあった。そのご褒美ということなのだろう。
だが蓮が気になるのは、
「どうしたの? そのメガネ……」
結乃は、普段はしていないメガネをかけて、乾かしたての髪もヘアゴムで後ろに束ねていた。
「目、悪いんだっけ?」
「え? ううん、視力はいいんだけど。ちょっと友達から借りたんだ……あいたっ!?」
度の合わないメガネのせいか、距離感を謝ってベッドフレームの角に足をぶつけていた。
「大丈夫?」
「えへへ。それよりアイス食べよ?」
当然のように蓮の隣に腰を下ろす結乃。ベッドが軽く
「ここで食べるとかお行儀悪いけど……たまにはいいよね。沙和子さんには内緒だからね?」
「う、うん」
「あ、アイスは大丈夫だよ。私の秘蔵のお宝」
厨房には巨大な業務用の冷蔵庫が置いてある。その片隅をこっそりと占領していたらしい。
結乃は小さなカップアイスを顔の横で並べてみせて、
「蓮くん、どっちがいい?」
「結乃が先に選んでいいよ」
「えー、いいの? じゃあストロベリー。はい、チョコチップね」
細いスプーンとともに片方を蓮に差し出してくるが、彼女は名残惜しそうな視線を送ってきて、
「…………チョコチップ」
「……? 食べたかったの?」
「ひ、ひとくちだけ、欲しいなぁ……」
意外と貪欲なのだ、結乃は。
「いいよ」
「さすが師匠! でも悪いから、先に私のあげるね。はい、あーん……」
「――――!?」
さも当然かのように、ストロベリーのアイスをひと
「? あーんだよ、あーん」
剣の切っ先なら余裕で
「ああ、溶けて落ちちゃうから、早く。蓮くん早く」
「~~~~……ッッ!」
やむなく覚悟を決め、ギュッと両目をつぶって口を開く。冷えたスプーンの感触が舌の上に乗ったので、口を閉じる。イチゴの酸味と甘みが口腔内にじんわりと広がった。
目を開くと、微笑するメガネの結乃。
「美味しい? 蓮くん」
まるであやすような言い方に、ムズムズして目を逸らしてしまう。
「次は私の番だね。ちょうだい。ん――」
蓮のチョコチップアイスを求めて、結乃はまぶたを閉じた無防備な顔をこちらに向けるてくる。長いまつげ。整った相貌。淡い桃色の唇。
「あー…………」
座っていても身長差があるので、蓮は一度ベッドから立つ。結乃のために、スプーンでたっぷりとアイスをすくい取って、手を振るわせながら彼女の口の中へ運び込む。
「……――んっ。んん~~、んっ? あむ、こんなにたくさん? いいの蓮くん?」
「も、もともと結乃のアイスだし」
「ええー。でも今夜は2人の打ち上げだし。蓮くんも、もっと私の食べて」
立ったままの蓮に、アイスのカップを差し出してくる。どうやら拒否権はなさそうだ。スプーンを、まだ硬いアイスの塊へと突っ込む。
「あれ、うまく取れない? まだ冷たいもんね。うん、もっと力入れていいよ? あ、そうそう。強引でもいいから、たくさん取って――?」
囁くように言いながら、なぜか結乃もスプーンを蓮の手元に伸ばしてくる。お互いがお互いの持つカップからアイスを取って、舐める……
(何なんだ、これ??)
謎の時間。謎の儀式だ。
「ね、蓮くん。いつか、お部屋でもする?」
「!? な、なにを!?」
「配信」
「ああ、うん」
社長の提案にあった件だ。ダンジョン外での配信。
「……まあ、僕は別に部屋を見られても何ともないけど」
だがここは女子の寝室でもある。
結乃の気持ちのほうが大事だろう。
「私も平気だよ。――実家だとちょっと考えちゃうけど、ここ寮だしね。蓮くんは夜にするの、嫌じゃない?」
「……じゃない」
「それじゃあ、落ち着いたらお部屋配信もやろっか」
微笑む結乃を見て、ほんの少し――この姿を他人に見せることに、蓮は
そんなことを話し合いながら、結局ほとんど自分の味は食べられないままデザートを終える。
「これはあとで持っておりるから――、あいたっ!?」
2人分のカップとスプーンを勉強机に仮置きしようとした結乃が、また足をぶつける。
「……メガネやめれば?」
不要な視力矯正のせいで距離感を失っているのは明かだ。
「なんで急に?」
「……だって」
蓮が再びベッドに腰掛けると、やはりごく自然に結乃も隣に戻ってくる。
「――衛藤さん。すごく綺麗で、大人で、仕事ができて、落ち着いてて」
「落ち着いてて?」
ほかは認めてもいいとして、そこだけは特大の疑問符が浮かんでしまう。
「……マネージャーさん、女の人だと思ってなくて」
「?」
レンズ越しの綺麗な瞳が、蓮のことをじーっと見つめてくる。
「……蓮くん、年上好きだよね」
「は、はい?」
「梨々香ちゃんも大人だし。……こうしたら私も大人っぽく見える?」
話の筋が見えないが、どうもメガネも髪型も衛藤を意識してのことらしい。髪は結乃のほうがやや短いし、メガネもかけ慣れていないようだが。
「…………」
これは、蓮が何かコメントをしないと話が進まないパターンだ。
「……『大人っぽい』とかは分からないかな」
「そっかぁ……」
何をしなくても、蓮からすれば結乃も十分に『お姉さん』だ。
「いや、変わったことしなくても、結乃は結乃だと思うし……? えっと、もちろんしてても良い感じだとは……」
「ふふ、ごめんね」
言って、メガネとヘアゴムを外す結乃。
「困らせちゃったね」
その仕草ひとつひとつに、そして、いつもの結乃の姿にも見惚れてしまう。特別なことなんてする必要はまったくないのに。
「今日は、他にも謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「?」
そんなことはあっただろうか?
心当たりがない。
「前に、蓮くんに『結乃』って呼ぶようにお願いしたでしょ? 無理やりだったなって」
昼間、【りりさく】の2人に絡まれたときのことを思い出しているらしい。
「今さらだけど、嫌だったら――」
「嫌じゃない。……最初は呼ぶの緊張したけど。もう、なんて言うか……結乃は『結乃』だし。でも――」
「でも?」
チラリ、と結乃を見る。
「結乃は僕のこと、『くん』だよね……」
より親しくなるために呼び捨てで――
その法則に従うならば、結乃は蓮に一定の距離を置いていることになる。そこだけが気になる。
「それは……」
結乃は少しだけためらうようにしてから、ふいに蓮の耳元に唇を寄せてきて、
「…………蓮」
「っっっ!?」
「――って、呼ぶとね?」
結乃が発声するたび、甘やかな吐息が耳にかかる。Tシャツの胸が二の腕に当たりそうな距離。触れていないのに、体温すら感じられそうな近さ。
「いろいろと我慢できなくなりそうで、溢れちゃいそうになるから。……こういう気持ちになるの、初めてで……だから自分で自分にストップかけてるの」
「そ、そう……」
「でも、蓮くんが呼んでもいいって言うなら、時々いいかな?――『蓮』って」
耳まで赤く……というか、吐息のかかる耳が一番、燃えるように熱くなっている。
蓮は、コクコクとうなずくので精一杯だった。
「ありがと。――そろそろ寝よっか」
こうして、れんゆの初配信の夜は更けていった。
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