第8話 朝チュン(健全)

 まぶたに朝日が差して、蓮は目が覚めた。


「う……ん……?」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」


 モゾモゾと動いて上半身を起こすが、まだ頭がぼーっとしていて、状況が理解できない。昨日の記憶も曖昧だ。地獄を見たような、天国に来たような……。


 だんだんと視界がクリアになっていく。

 白い布団。レースカーテン越しの春の陽光。

 そして、パジャマ姿のお姉さん……。


「――えッ!?」

「えっ? どうしたの?」


 思いだした。ここは女子寮で、柊結乃との共同生活が始まったんだった。


「おはよ。よく眠れた?」

「う、うん……まあ……」


 結乃は自分のベッドに腰掛けて、こちらを見ている。昨夜は布団にくるまっていたせいで見逃していた、結乃のパジャマ姿。


 長く愛用しているのか、ちょっと子どもっぽいデザインだが――当の結乃は大人顔負けのスタイルに成長しているので、そのギャップがえぐいことになっていた。

 特に胸まわりのサイズが合っておらず、胸元のボタンは悲鳴を上げそうになっていて、目のやり場に困る。


 とはいえ顔へと視線を上げると、それはそれでドギマギしてしまう。彼女も起きたばかりらしく、髪もセットしておらず、表情も心なしか無防備な気がする。


 そんなリラックスした雰囲気と、離れているとはいえ、部屋に2つ並んだベッド。朝のゆるい空気。窓の外からは小鳥のさえずり――


 蓮は、急に気恥ずかしくなる。

 が。


 ――キュルルル


「…………?」

「わっ、私のお腹……! き、聞こえちゃった?」


 慌ててパジャマのお腹を押さえる結乃。


「早く準備して、朝ご飯いこ。蓮くんも起きる?」


 今日はまたダンジョン配信の予定だ。

 時間には余裕があるが、すっかり目も覚めてしまったので支度をすることにした。結乃に言われるがまま、狭い洗面台で顔を洗い、2人並んで歯磨き。


 慣れた手つきで髪を編み込む仕草も、蓮にとっては新鮮だ。器用に動く指、鏡を見つめる横顔、長いまつげ。ほのかに甘い香りもする。


 ギクシャクする蓮とは対照的に、結乃は実にリラックスした雰囲気だったが、居室に戻ると急にそわそわし始めた。


「……ちょっとだけ、むこう向いててくれる?」

「どうして?」

「着替えるんだけど――」

「ッッ――……!?」


 ベッドに正座して壁のほうを向いたうえで目を硬く閉じるが、背後でする衣擦れの音が勝手に耳に入ってくる。


「もういいよ。次は蓮くんの番ね」

「…………っ」


 結乃も壁側を向いてくれるが、同じ空間で下着になるのは、悪いことをしているようでドキドキする。これは朝から心臓に悪い……。


「あ、今日は私服なんだ?」

「どうせダンジョンで着替えるし」

「今日も配信? いいなー」

「……柊さんもなりたい……んすか? 配信者」

「――――。『結乃』」

「そ、それ有効……!?」

「有効です」


 ジト目でプレッシャーを掛けてくる結乃。

 てっきりあの1回きりだと思っていたのに。


「敬語もいらないよ? 同居人なんだし」

「そうは言っても……」

「なりたいんだ」


 急に話題が戻る。


「ダンジョン配信者。だから高校でも探索科に入ってるの」

「……人気者に?」

「うーん、志望動機は……プロの人の前で言うの恥ずかしいなぁ」

「プロとか――」


 事務所に所属しているのだからそう呼ばれて間違いはないだろうが、直接言葉にされるとむずがゆい。


「あー、お腹へった。行こ蓮くん。寮母の沙和子さんの料理、おいしいんだよ?」


 はぐらかされたような気もするが、蓮も空腹には違いなかったので大人しくしたがった。



 ■ ■ ■



 食堂は朝から賑やかだった。

 今日は聖華女子校の始業式。集まってくる女子たちはみんなブレザーの制服姿だ。


 調理は寮母の沙和子と、当番の寮生が手伝うスタイルのようだ。

 結乃に伴われて配膳を受けるあいだも、エプロン姿のお姉さんたちから好奇の目で見られたり、声をかけられたりする。


 ちなみに昨日の夕食時間には、蓮はいたたまれなくて――忘れ物があるとウソをついて――外に出て、ファストフードで済ませていた。だからこうして食堂で食べるのは今朝が初めてだ。


「蓮くん、こっちで食べよ」


 自然な流れで結乃に連れていかれ、テーブルに着こうとするところで、


「はよー、結乃」

「おはよカナミ」


 結乃の同級生らしき女子が声を掛けてきた。


「お! うわさの中1くんじゃーん」


 結乃より背が低い、ツインテールのお姉さん。

 校則はゆるいのか、薄めだがメイクをしていて、マニキュアも施されてあって、ブラウスの第一ボタンもだらしなく開けられてある。


 結乃とはタイプが違う女子のように見えるが、仲は良いようだ。カナミと呼ばれたその女子は、ギャル特有の勢いで距離を詰めてくる。


「結乃との夜はどーだった? この子、天然サキュバスだから。ある意味モンスターより危ない――」

「カナミ、蓮くん怖がってるから!」


 蓮をガードするように結乃が割って入る。


「へー、もう彼女ヅラな感じ? んん?」

「カナミ……!」

「男女がひと晩過ごしたんだもんねー。仕方ないかー」

「カナミ!?」

「はいご飯食べるよー」


 結乃をからかってご満悦のカナミと、むくれる結乃とに流されるまま、着席。


(え、僕が真ん中?)


 右に結乃。左にカナミ。

 間隔も狭いので、物理的にも精神的にも肩身が狭い。蓮越しに2人が会話するだけで――つまり2人の顔がこちらを向くだけで、強く意識してしまう。


 さらには、他の女子たちも朝食のトレイを手に、こぞって蓮の周囲に着席してきた。

 

「おっはよー」

「男子だ男子ー!」

「結乃もおはよー」

「わ、マジでいるんだ、おもしろ」

「ねえねえ、聞いていい?」

 

 彼女たちの興味は、当然のごとく蓮に集中する。


 蓮についての質問攻め。改めて名前を聞かれたり、中学校はどこかとか、部活はするのかとか。家族のことや、生年月日、血液型、好きな子のタイプ――。


「一度に聞いたら蓮くん困っちゃうから」


 名前を名乗るくらいしかロクに回答できず、質問を一方的に浴び続ける蓮を結乃がかばってくれて、ようやく食事にありつけた。


「おおー食べてる食べてる」

「そりゃ食べるでしょ」

「一心不乱だねぇ」

「照れてるんじゃない? かわいーっ」


 ペットを見守るような視線に晒され、美味しいと評される沙和子さんの料理も、よく味が分からない。


 早くここから出て部屋で一人になろうと急いで箸を動かすが、


「――ごちそうさまでした! 美味しかったぁ」


 隣の結乃に、あっさり負ける。ちなみに、ご飯もおかずも大盛りだったはずだが……。


「結乃はやすぎ。男にモテないぞ」

「えー? そうかな蓮くん?」

「い、いや、聞かれても――」

「どうよ中1くん?」


 左右から詰め寄られて蓮は苦し紛れに、


「た、たくさん食べるのはいいことかと……」

「ほら」

「ほらじゃないが。中1くんも、無理に結乃に付き合わなくていいからね? この子、真面目そうに見えてけっこう強欲だから。食べられないように注意しなよ?」

「食べないよ!? 食べないからね?」


 こんな賑やかな食事はいつぶりだろう――いや初めてかもしれない。

 財団の施設にいた頃は大人数ではあったが、蓮はみんなから距離をとって食事をしていた。


 どうリアクションを取っていいか分からない。


(と、取りあえず早く出よう……!)


 これ以上からかわれてはたまらない。蓮は、残ったご飯を味噌汁で流し込む。頬をパンパンにしたまま、さっさと離席しようとすると、


「蓮くん」


 結乃に呼び止められる。

 顔が近い。


「汚れちゃってるよ?」


 制服のスカートから取り出したハンカチで、結乃が口元をぬぐってくれる。優しく、そっと。


「…………っ!?」

「あー、動かないで。うん、これでよし。お部屋戻ったら、また一緒に歯磨こうね?」


 カチコチになる蓮をよそに、結乃は実に満足そうだ。

 そんな2人を見て、周りから「おー」っと感嘆の声が漏れる。


「中1くん」


 ポン、とカナミから肩を叩かれ、


「――食われんなよ?」


 と、なぜか励まされてしまった。



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