34 ダーツバー

 年が明けて帰省した後、勉強の合間に、僕は様々なショットバーを渡り歩いてみることにした。七瀬には、もう外出先を連絡しなくていいと伝えた。位置情報を見るのもやめた。その日選んだのは、テーブル席が何席かあり、ダーツもできるショットバーだった。僕はカウンター席の端に腰かけた。


「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」

「ビールで」


 マスターは、ラフなTシャツを着た小太りのオジサンだった。丸いメガネをかけていて、優しそうに見えた。早速、隣の席の男性が話しかけてきた。


「お兄さん、若いね。いくつ?」

「二十一です。大学生です」

「俺は四十になったとこ。見えないだろ?」


 男性は襟足の長い金髪で、肌は日焼けしており、確かに若々しかった。


「はい、見えないです。ここに来られているということは、ダーツ、するんですか?」

「いや、俺はしないよ。ボンちゃんの顔見に来てるだけ」


 ボンちゃんというのは、マスターの愛称らしかった。僕は言った。


「じゃあ、僕はボンさんって呼んでも?」

「ははっ、好きにしたらいいよ」


 ボンさんは僕にビールを出した。隣の男性もビールで、まだ半分くらい残っていた。


「俺、さとる。お兄さんは?」

「葵です」

「葵くんか。可愛い名前だな。とりあえず、乾杯!」


 僕は悟さんに聞いた。


「ご結婚とかされてるんですか?」

「してたけど、別れた。いやぁ、別れた方が上手くいくもんだよ。チビが元嫁の方にいるから、月に一回くらい会うんだけどさ。あいつとはそのくらいで丁度いいよ」

「そういうものなんですね」

「あくまで俺の場合な」


 ボンさんが口を挟んだ。


「悟ちゃん、帰りが不規則な仕事してるからね。それが負担だったみたい」

「でもさ、ボンちゃん。それってしょうがないよな。俺だって育児の手伝いはしたつもりなのにさ」


 それから悟さんは、元奥さんの不平を垂れ始めた。


「子供産んでから変わっちまったんだよな。オムツの片付けの仕方がなってないとか、細かくなりやがって。それまでは、俺に指図なんてすることなかったのによ」


 僕はせめてものフォローをした。


「まあ、子供ができると女性は変わりますよね」

「そうなんだよ。葵くんも、嫁さん選びはよく考えた方がいいぞ。恋愛と結婚は違うからな」


 仮に七瀬との未来があったとして、子供ができることはあり得ない。養子でも貰えば別だが、僕はそんなことは望んでいない。だから、そういう意味での心配はない。料理の後片付けをするのはいつも僕だが、それを不満に思ったことはない。


「僕、けっこう料理する方なんですよ。だから、相手には求めませんね」

「葵くん、いかにも家事できそうだもんな。俺はさっぱりだよ」

「悟ちゃん、何楽しそうに話してんの」


 髪の長い女性が、僕たちの後ろから話しかけてきた。


「おっ、保奈美ほなみ。久しぶりだな」

「そうね。君、隣いいかな?」

「いいですよ」


 僕は悟さんと保奈美さんに挟まれる恰好になった。保奈美さんは派手なメイクと服装をしており、夜の仕事をしている人かもしれないと思った。


「悟ちゃん。この可愛い子、誰?」

「葵くん。さっき知り合ったとこ」

「私は保奈美。こう見えてもトリマーやってんの」


 保奈美さんは三十代くらいに見えた。大ぶりのピアスをつけていて、顔を動かすたびにそれが揺れた。悟さんが聞いた。


「保奈美、彼氏とは続いてんのか?」

「もうとっくに別れたわよ」


 僕からも尋ねてみた。


「どれくらい続いてたんですか?」

「一年。今回こそ結婚までこぎつけようと思ってたんだけどねぇ」


 七瀬とは、付き合って一年で距離を置くことになった。どのカップルにとっても、試練の時なのかもしれない。保奈美さんは続けた。


「結婚するなら田舎に帰らなきゃいけないとか言い出してね。私そんなの嫌だったの。岡山よ岡山。私だって仕事があるし、そんな何にもないとこ行ってどうしろって言うのよね」


 悟さんは言った。


「まあ、保奈美は田舎に引っ込むタイプじゃないよな」

「そうよ。こうしてボンちゃんとこ飲みに行けなくなるの嫌だし」


 そういえば、七瀬の実家はどこなのだろう。聞いたことがなかった。関心がなかった、というのが正しい。確か電車で帰れると言っていたことがあったから、そう田舎ではないのだろう。保奈美さんが言った。


「葵くん、学生さん?」

「はい」

「今のうちに女の子品定めした方がいいわよ。私みたいに行き遅れになっちゃう。もうさ、四十見えてくると、出会いもないんだわ」

「僕は……そうですね。結婚願望とかあまりないんで」

「今時の子ねぇ」


 とても恋人が男性だとは言える雰囲気ではなかった。僕は悟さんと保奈美さんの会話を静かに聞いていた。ダーツを楽しむ人々の歓声がBGMだった。こういう騒がしい場所も楽しいと僕は思った。

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