40 魔力
四月になり、僕たちは四年生になった。雅司は無事語学の単位を取れたようで、公務員試験の勉強に集中することができた。僕もほとんど授業を取らず、朝から夕方まで自習室にこもった。問題集も四周目にきていて、あとは苦手を潰すのみとなった。
七瀬から職場の飲み会があると聞いた日、僕は雅司と椿を亜矢子さんの店に誘った。息抜きも大事だ。
「いらっしゃいませ」
「亜矢子さん、お久しぶりです」
扉に近い席から、雅司、僕、椿の順に座った。三人ともビールを注文し、乾杯した。椿が物騒なことを聞いてきた。
「もし全落ちしたらどうする?」
「おれは自宅浪人しようかなぁ。ここまで来たんや、諦めきれへん」
「僕も。まあ、親に相談してからになると思うけど」
「あたしは民間就活に切り替えようかな。もうお金出してもらえそうにないし」
試験では何が起こるかわからない。それに、一次を通ったとして、二次面接という難関がある。国家総合職と一般職には官庁訪問というものがあり、それは民間の就活に近い。グループディスカッションがある所もあるみたいだ。
亜矢子さんは僕たちの会話から、公務員試験を受けることを察しているだろう。けれど、それについては何の口を挟むことも無く、黙々とグラスを拭いていた。
「いらっしゃいませ」
僕は扉の方を見た。初音さんだった。
「あっ! 葵くんだ。久々だねぇ」
初音さんはヒールの音を鳴らし、椿の隣に腰かけた。今日は真っ赤なワンピース姿だ。
「友達連れてきたの?」
「はい。大学の」
椿の様子が何だかおかしかった。あわあわと手を振っていた。
「あ、あの、間違えてたら申し訳ないんですけど。み、美賀多初音さんですよね?」
「うん、そうだよ?」
「あたし、インスタフォローしてます! 毎回見てます!」
初音さんはさらりと前髪をかきあげた。
「そうなんだ。ありがとう。お名前は?」
「丸塚椿です! あの、握手して下さい!」
椿が右手を差し出すと、初音さんはそれを両手で包んだ。
「嬉しいなぁ。ボクのファンの子がここに来てくれるなんて」
「あたしも夢みたいです!」
盛り上がる二人を見ながら、雅司はポカンとした顔をしていたので、僕が説明してやった。
「彼女、初音さん。モデルをしているんだ」
「なんや、アオちゃん。えらい人と知り合いやってんな」
「そうだよ! 何で教えてくれなかったの!?」
椿は僕の肩をポカポカと叩いた。
「だって、椿が初音さんのこと好きだなんて知らなかったし」
「アオちゃんはなんでそう冷静でいられるかなー!? 初音さん凄い人なんだよ!?」
「知ってる知ってる」
亜矢子さんが苦笑しながら初音さんに注文を聞いた。彼女はカルーアミルクを頼んだ。椿はまだ興奮が冷めやらぬ様子で、かなりの勢いでビールを飲んだ。初音さんはスマホを取り出しながら言った。
「椿ちゃんのアカウントどれ? フォローしてあげる」
「ほ、本当ですか!? あたしのアカウント、食べ物くらいしか載せてないんですけど……」
「へえ? 勿体ない。美人さんなんだから、自撮りあげたらいいのに」
「キャー!」
椿は顔を両手で覆い、足をバタバタさせた。こんな彼女を見るのは初めてだ。落ち着きを取り戻してから、椿はアカウントを初音さんに教えた。
「あたし、自撮りあげます!」
「うん、楽しみにしてる」
初音さんと同じカルーアミルクを椿は頼んだ。雅司と僕はデュワーズのハイボールだ。四人で乾杯し、初音さんは言った。
「もう少ししたら、大和も来るよ」
僕は椿に言った。
「初音さん、結婚してるんだ。大和さんっていうのは旦那さん」
「マジで!?」
「あははっ、ボク公表してないからね」
大和さんがやってきた。僕たちを見回して、不思議そうな顔をした。
「こんばんは。葵くんの友達?」
「はい。この椿って子が初音さんのファンでして」
「そうかい」
「あわわっ、旦那様まで素敵……」
また椿がおかしくなり始めた。雅司と椿は大和さんに自己紹介をした。それから五人で初音さんの仕事について話した。
「映画に出ることになったんだ。ちょい役でセリフもほとんどないけどね。まだこれ、言っちゃいけないから、内緒だよ」
「はい! あたし、誰にも言いません! 絶対観ます!」
初音さんの出る映画は、恋愛もので、主人公たちが立ち寄る店の店員らしい。役作りのため、銀髪を一時的に黒く染めるのだとか。きっとそれも綺麗だろう。椿は終始興奮した様子で、初音さんの側に居たがったが、明日の勉強もあるので、早めに解散した。
帰宅して少しすると、七瀬が飲み会から帰ってきた。
「ただいま。二次会回避してきた」
「おかえり。そうだ、今日椿がね……」
僕は今夜の出来事を話した。
「そりゃあ良かったな。初音さんって女の子にもモテるんだな」
「みたいだね。椿ったら、恋する乙女状態だったよ」
亜矢子さんの店では、なぜだか素敵な出会いが発生する。彼女には魔力のようなものがあるのだろうか。そういえば、彼女の店の名前が「
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