41 甘え

 一発目として、国家総合職の試験があった。キャリア官僚なんて到底望めないから、模試のような感覚で受けた。五月になり、今度は椿の本命である裁判所事務官。彼女は自己採点でもいい成績を取れたと喜んでいた。僕はともかく、彼女は一次は通ったんじゃないだろうか。

 六月の国税専門官の試験に向け、僕は一層勉強時間を増やした。七瀬がいると甘えてしまうので、夕飯を食べたらすぐに帰ってもらい、僕は夜も机に向かった。

 しかし、このままだとガス欠になってしまう。たまにはアルコールを入れよう。僕はボンさんのことを思い出した。あそこなら元気が出そうだ。僕は七瀬を誘って行った。


「へえ……ダーツバーか」


 七瀬はしげしげと店内を見回した。


「やってみる?」

「ううん、俺はいい。学生のときにちょこっとやったけど、下手くそだったから」


 僕と七瀬は真ん中の方のカウンター席に座った。ボンさんは僕の顔を見るとにこやかに微笑んだ。


「葵くんだっけ?」

「覚えていてくださってたんですね」

「悟ちゃんと保奈美ちゃんに絡まれてたのよく覚えててね。二人とも、昨日なら居たんだよ。残念だったね」


 僕たちはビールを注文した。七瀬が尋ねてきた。


「前に来たときは他のお客さんと話したの?」

「うん。七瀬と距離置いてる間」

「あー」

「色々と楽しかったよ」


 改めて僕は聞いた。


「僕と距離置いてる間、七瀬は何してたの? 亜矢子さんのとこにはよく行ってたみたいだけど」

「まあ、それくらいだよ。仕事は大変だったな。例の子とも気まずかったし。まあ、今は吹っ切れてくれたみたい」


 ボンさんがビールを出してくれた。その後すぐに若者の集団がきて、場は一気に騒がしくなった。


「賑やかだなぁ……」

「こんなのも悪くないでしょ、七瀬」


 本当はもっとボンさんと話してみたかったのだが、彼は大忙しだ。僕は七瀬と試験の話をした。彼が受けたのは十年以上前だ。それでも、当時のことはよく覚えていたようだ。


「なんか、性格検査があったな。自分は神だと思うかどうかとか」

「ああ、今は二次試験でやるやつかも?」

「俺のときは一次だったんだよ。まあ、あんなのは対策要らない」


 若者たちがダーツに興じ始めた。ボンさんは手を動かしながら、ニコニコと彼らを見守っていた。僕はカウンターの奥をじっと見た。亜矢子さんのところほどでは無いが、ここもよくお酒が揃っていた。


「僕、次何にしようかなぁ……」

「俺はハーパーにするよ」

「それ、初めて僕と出会ったときに飲んでたやつだ」

「よく覚えてるな」

「七瀬のことなら何でも覚えてるよ。僕もそれにしようっと」


 ビールが尽きてから、七瀬がボンさんを呼んだ。


「ハーパーのソーダ割、二つで」

「はいよ。君、葵くんの彼氏?」

「まあ……そうっすね」


 七瀬はポリポリと頭をかいた。ボンさんはウインクした。


「ぼくもゲイだからさ。なんとなく雰囲気でわかったよ」

「えっ、ボンさんそうなんですか?」


 僕は少し大きな声を出してしまった。しかし、周りがうるさいのでそこまで心配は要らなかった。ボンさんは言った。


「ぼくには美容師の彼氏がいてね。同棲してるんだ。彼の休みに合わせて、この店も月曜日に休ませてもらってるってわけ」

「へえ……」


 同族意識というものだろうか。一気に共感が湧いた。ハーパーが出来上がった頃、七瀬が言った。


「お二人の仕事だと、生活すれ違うんじゃないですか?」

「そうなんだよ。平日はほとんど起きて会えないね。まあ、同棲して三年経ったし、もう慣れちゃった」


 それから、二人の馴れ初めを聞いた。美容師の彼はここのお客さんとしてやってきたらしい。一年くらいはバーテンダーと常連客として過ごしていたが、次第に意気投合し、向こうから告白されたのだとか。


「彼、女性にモテるから心配になることあるよ」

「僕もです。ねっ、七瀬?」

「まあ……女性からもモテるのは否定はしないな」


 七瀬の男関係は全て吐かせた僕だが、女関係はまだよく知らない。まあ、追及しなくてもいいだろう。僕はもう、七瀬を縛りすぎるのはやめた。今の彼が僕を見てくれているのなら、それでいいのだ。

 あまり飲みすぎて翌日に響くといけないから、二杯で店を出た。思わぬところでゲイ仲間と出くわしたことで、七瀬は機嫌がいいみたいだった。


「ボンさん、いい人だったな。また行こう、葵」

「うん」


 その日は七瀬の部屋に行った。彼の匂いのするシーツに僕は突っ伏した。


「おい葵、シャワー浴びるぞ」

「もうちょっとこうしてから」

「そう言ってそのまま寝たことあるだろ」


 七瀬は僕の服を脱がせにかかった。僕はされるがままだ。ベッドの上を転がされ、ベルトを外された。


「葵。自分で脱げってば」

「やだ。七瀬がやって」

「もう……」


 年下だもの。こうして甘えてもいいよね? 僕は七瀬の呆れた顔すら愛しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る