42 一次試験

 いよいよ国税専門官の一次試験の日がやってきた。僕はゲン担ぎに、トーストにハムとチーズを乗せたものを朝食に選んだ。七瀬と最初にとった食事だ。特別なものがあると僕は信じていた。

 電車に揺られ、通っているところとは別の大学に来た。ここが試験会場だ。予め校門で雅司と椿と待ち合わせをしていて、僕は彼らと合流した。


「いよいよやな、アオちゃん」


 雅司はバシンと僕の背中を叩いた。


「痛いってば」

「気合いや気合い。本命やねんから、シャンとせななぁ?」


 椿が僕に何かを握らせた。チョコレートだった。


「おまじないかけといた。きっと大丈夫だから」

「ありがとう、雅司、椿」


 試験は朝から夕方までみっちりあった。他の公務員試験を受けていたので、あれがいい練習になった。僕は緊張こそしたものの、着実に解答を重ねていった。終わった頃にはフラフラだ。選択式の問題の解答がホームページに出るのは翌日。点数がボーダーにかからなければ、あっさりと諦めるより他はない。


「お疲れ、アオちゃん。どうやった?」

「わかんない。正直自信ない」

「あたしも今回はダメだったなぁ。数的に時間取りすぎた」


 そして、そのまま三人で繁華街に繰り出した。喫煙ができる、個室の居酒屋に行くことに決めた。


「かんぱーい!」


 僕たちはビールジョッキを打ち付けた。注文は椿任せだ。三人ともまずはタバコを吸った。さっきの受験会場には喫煙所が無かったのだ。雅司が言った。


「あの大学の子らタバコどうしてんねやろな?」


 椿が答えた。


「まあ、我慢してるんじゃない? それともトイレとかで吸うか」

「うちの大学、一か所だけやけどあって良かったなぁ」


 枝豆、刺身、だし巻きが揃った。椿が器用にだし巻きを三つに分けた。けっこう美味しかった。僕は言った。


「だし巻きは作るのけっこう難しいんだよな……」

「そうなんだ。アオちゃんの卵焼きは美味しかったよ?」

「ありがとう椿。だし巻きはなぁ。いつもパサパサになるんだよなぁ」


 道具を変えてみようか。いや、また調理器具を買うにも、そろそろ仕送りが尽きるぞ。そんなことを考えながら、僕は料理を口に運んだ。雅司が言った。


「あー、次はおれの本命か」


 地方公務員はこれからが本番だ。雅司は地元に戻り、試験を受けることになる。前日から実家に帰っておいて、それから試験会場に行くらしい。もちろん彼の合格を望んではいたが、卒業したら離れてしまうことに寂しさはあった。

 帰宅すると、七瀬が僕の部屋で小説を読んでいた。


「よう、お帰り。お疲れさま」

「疲れたぁ」


 僕は早速キスをせがんだ。軽くじゃれ合った後、僕は聞いた。


「何読んでたの?」

「スプートニクの恋人」

「バナナ・ダイキリが出てくるやつだ」


 七瀬は多めに作っておいたカレーを食べたようで、綺麗に洗われた皿とタッパーが水切りカゴに置いてあった。何となく、部屋の雰囲気も違う気がした。


「もしかして、掃除機かけてくれた?」

「うん。軽くな」

「ありがとう」


 ベランダでタバコを吸いながら、僕は試験の自信具合について語った。今回の経済原論は難しかった。取りこぼしたかもしれない。記述は憲法選択。まあまあは書けたと思う。どちらにせよ、明日の自己採点で大体のことがわかる。部屋に戻って、僕はベッドに押し倒された。


「葵、今日は疲れたろ? たくさん甘えさせてやる」

「うん……」


 僕は七瀬の背中にしがみついた。はむはむと耳を唇で挟むと、彼は笑った。


「だからそこ、くすぐったいって」

「えー?」


 同じことを七瀬にされた。僕も笑ってしまった。甘ったるい営みを終え、僕たちはしばらく裸のまま、ベッドで仰向けになって並んでいた。


「なあ、葵」

「なに?」

「もし落ちたら、来年どうするんだ?」

「親に相談するけど……もう一回受けたい」

「そっか。そんなに国税入りたい?」

「うん。入ったらしんどいのはわかってる。それでも僕は七瀬のようになりたい」


 七瀬は恋人であり、憧れでもある。僕も三十代になったとき、七瀬みたいな大人でありたい。その気持ちでここまで勉強を続けていたのだ。雅司と椿が居てくれたお陰もあるが、よくもここまで頑張れたものだ。


「俺、そんなにできた大人じゃねぇぞ?」

「うん。浮気するしね」

「それ、やっぱりまだ許してくれない感じ?」


 本当はもう、心のどこかで許していた。あの件については、僕だって椿を利用してしまったし、すでに七瀬を責める立場ではないのではと思うようになったのだ。けれども僕は言った。


「一生許さない」

「ごめんって」


 七瀬が僕の頬に口づけた。それからシャワーを浴びて、タバコを吸った後、一緒に眠った。

 翌日の自己採点。僕は高得点を取っていた。


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