29 大学生
夏休みがきた。公務員試験講座は、朝から行われるようになった。雅司と椿が居るから寂しくない。講座の休み時間に喫煙所に行くのがいい憩いになっていた。
「おれ、文章理解も苦手やわぁ。本とか読んどったら良かった」
「あたしは得意だよ。数的がやっぱり難しい。理系科目はさっぱりだよ」
「なあアオちゃん、おれ、アレ食べたい。そうめん。今日行かせてぇな」
「うん、いいよ」
僕たちはスーパーに行き、食材を買った。せっかくなので、少し高めのそうめんを選んだ。酒もたっぷり買い込んだ。
その日七瀬は有給を使って家におり、先に僕の部屋に入って小説を読んでいた。僕たちは合鍵を交換していたのだ。
「よっ、お帰り。今日はそうめんだって?」
「はい、おれのリクエストっす」
僕は鍋にたっぷりの湯を沸かした。レンジなどで時短するレシピもあるらしいが、昔ながらのやり方でする方が、コシもあって絶対にいい。
湯が沸く間、僕はネギとキュウリを刻み、錦糸卵を作った。瓶詰めのシイタケを皿に移し、これで準備は完了だ。
「できたよー」
みんな思い思いの方法でそうめんを食べ始めた。七瀬はネギをたっぷりと。雅司はワサビを添えて。椿は薬味全部乗せだ。こういうところに性格が出る。僕はというと、七瀬の嫌いなシイタケをこれでもかと入れていた。雅司が叫んだ。
「やっぱりアオちゃんのご飯、最高! こんなん毎日食べてるとか、七瀬さん羨ましいっすわ」
「あはは、俺もたまには作ろうかと思ったんだけどね。葵に止められた」
「だって、七瀬ったら袋麺もちゃんと作れないでしょう?」
七瀬の料理センスは絶望的だ。レンジで温めるか湯を入れるかしかできない。それでよく十年以上も一人暮らしをしていたものだ。椿が言った。
「二人って、よくショットバー行くんですよね? あたしも行ってみたい!」
「おれも、バーとか行ったことないんすわ。今日、いいっすか?」
「いいよ。みんなで行こうか」
それならば、早い方がいい。僕たちはそうめんを食べ終わると、すぐに亜矢子さんの店に向かった。
「いらっしゃいませ」
「亜矢子さん。葵の友達連れてきました」
「では、どうぞ」
まだお客さんは居なかった。僕たちは端に詰めて座った。雅司も椿も物珍しそうにカウンターの向こう側を眺めていた。椿が言った。
「あたし、こういう所でお酒飲むの初めてなんです。何にしよっかなぁ。メニューとかありますか?」
「はい、ございますよ」
椿は食い入るようにメニューを見ていたが、あまりよくわからなかったようだ。
「すみません、あたし、何かシンプルなカクテルを一つ」
「はい、お任せ下さい」
亜矢子さんが椿に出したのは、カシスオレンジだった。
「わあっ、美味しい。居酒屋で飲むのと全然違う」
「そらそうやろ。失礼やで」
僕と七瀬、雅司はビールだ。いつもはやかましい雅司と椿も、雰囲気に飲まれたのか、静かに味わって飲んでいた。
「三人とも勉強は順調?」
まずは雅司が答えた。
「いやぁ、苦戦してます。科目も多いし、大学受験のときみたいにはいかへんなぁって思ってるところです」
「あたしも、講座に着いていくのに必死です。毎回違うことさせられますからね」
「うんうん、俺もそうだった気がする」
それから、七瀬は今の仕事のことを話した。新卒採用の子が入ってきて、その指導役になったらしい。僕は聞いた。
「その子、男の子? 女の子?」
「女の子だよ」
「じゃあ安心」
「おいおい、例え男でも葵以外には手ぇつけないってば」
「どうだか」
事情を知っている雅司と椿はクスクスと笑った。椿が言った。
「もう浮気しちゃダメですよ? アオちゃんに本気で殺されますよ?」
「わ、わかってるって」
「そうだ七瀬。最近スマホ見てないや。出して」
「はい……」
僕は七瀬のライン画面を確認し始めた。仕事のやり取り以外は特にないようだ。しかし、削除している可能性もあるから気は抜けない。
「アオちゃんこわいなぁ……」
雅司が脅えていた。二杯目は、みんなでデュワーズのソーダ割りにした。椿はもう、雅司の家に泊まる気満々だ。
「面倒だから、部屋着とか置かせてもらうことにしたの」
七瀬は言った。
「そこまでするなら付き合えばいいのに」
「雅司とは友達でいたいので。どうせ卒業したら関西帰るでしょうし」
「まあ、受かったらなぁ」
この四人でいる時間も、そう長くはない。それを思うと、ずっと大学生を続けていたい気分になった。僕がうつむいていると、雅司が声をかけてきた。
「どしたん? アオちゃん」
「なんか、バラバラになるの寂しいなぁって」
「まあなぁ。でも、死ぬわけやないんや。また会えるって」
それでも、僕は今を封じ込めてしまいたかった。友達がいて。恋人がいて。美味しい料理とお酒を楽しんで。大学生活はとっくに半分を切った。季節が進むのが、とてもこわかった。
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