23 水族館

 公務員試験の勉強は、思ったより厄介だった。法律系の科目も始まったのだが、慣れない条文を読むのに四苦八苦だ。

 七瀬さんによると、国税に入ると税法の研修があり、さらにややこしくなるらしい。仕事でも直接使うし、ここで音を上げるわけにはいかなかった。

 僕は空きコマも勉強に費やした。二年生のときに一般教養の科目は大体取り終えたので、時間はたっぷりあった。その日、一緒に図書館で勉強していた椿が言った。


「アオちゃーん、タバコ行こうタバコ」

「はいはい」


 雅司は居なかった。語学を落として再履修していたのだ。喫煙所に着き、椿は美味そうに紫煙を吐き出した。


「あたし、法学部にしとけば良かった。本当は迷ってたんだよねぇ。まさか高校のときは公務員試験受けようだなんて思ってなかったしさ」

「僕も。七瀬さんと出会わなかったら、今ごろ何もしていないと思う」


 きっかけは、ほんの些細なことだった。七瀬さんが公務員だと知って。興味が出て。雅司と椿が一緒に踏み出してくれて。

 そうだ、彼らと友達にならなければ、決心がつかなかったかもしれない。初めの方こそ、見た目が派手な彼らとつるむのに遠慮があったのだが、今はもうなくてはならない存在だった。


「椿、ありがとう。一緒に勉強してくれて」

「こちらこそ。アオちゃんと雅司がいなかったら、テキスト配られた時点で放り投げてるところだったよ」


 もうすぐ五月の大型連休。予定は特にない。ただ、勉強だけして過ごすのも気が詰まると思った。僕は尋ねた。


「椿、ゴールデンウィークはどうするの?」

「何も決めてない。どっか遊びに行きたいんだけどなぁ」

「雅司と三人で行く? 気晴らしにさ」

「いいね。どうしようか?」


 僕と椿はスマホを取り出し、都市型の水族館に行くのはどうかということになった。もうすぐ三限が終わろうとしていた。僕たちは雅司を喫煙所に呼び出した。


「いやぁ、悪い悪い。二年生と一緒に授業受けるん居心地悪いわぁ」

「あんたが落とすから悪いんでしょ。葵とさ、水族館行こうって話してたんだけど、どう?」

「ええなぁ! 涼しそうやし」


 六限を受けてから帰宅し、七瀬さんと一緒に作り置きしていた牛肉とゴボウの炒め物を食べると、僕は水族館のことを言った。


「雅司と椿と遊びに行くのなんて、実は初めてなんですよね」

「いいなぁ。楽しんでおいで」

「そうだ。僕たちはどうしましょう? いつも部屋かバーだし、たまにはどこかデートしませんか?」

「そうだな。買い物でも行くか。欲しいものあるし」

「へえ? そうなんですか」


 先に水族館に行くことになった。僕たち三人は駅前で待ち合わせた。雅司は大いに遅刻した。現れた彼の頭を椿が叩いた。


「もう、遅い!」

「ごめんって。ほな行こか」


 入ってまず、大水槽が目に入った。巨大なエイが泳いでいた。大小様々な小魚も一緒だ。子供連れに紛れ、僕たちはそれを眺めた。椿が歓声をあげた。


「わあっ、こういうの久しぶり!」

「おれもこんなん行かへんからな。新鮮やわ」


 続いてペンギンのコーナーに行った。吹き抜けになっており、横からも上からも見ることができた。僕はペンギンが好きだ。実家のシナモンと同じ鳥だからだろうか。

 もっと長く見ていたかったのだけど、雅司がクラゲの所へ行きたがったので断念した。


「めっちゃ綺麗やな。照明とかもええわ」


 照明は少しずつ違う色に変わり、クラゲを照らしていた。幻想的だ。それからオットセイやサンゴ礁、金魚を見て終わった。椿が言った。


「お昼、どうする?」

「昼飲みしようや! どっかでビール飲もう」


 それで、僕たちは電車で移動し、車内で検索して見つけたバールへ行った。メニューを広げ、とりあえずマリネやポテトフライ、それにクラフトビールを注文した。


「ほな、かんぱーい!」


 真っ先に届いたマリネはタコとタマネギを使ったもので、これをどうにか再現できないものかと考えながら僕は食べていた。雅司は公務員試験の話を始めた。


「法律、五択だけやったら何とかなりそうやけど、論述もあるんよな……」


 メニューを見ながら椿が言った。


「国税は選択式だけど、ほとんどの人が憲法選ぶみたいだね。あたしアヒージョとかも食べたい」


 椿はアヒージョとフライドチキンを追加した。そして続けた。


「裁事の論文はまた毛色が違うしね。過去問見たけど、社会問題や時事問題にも詳しくないとダメっぽかった」


 裁事とは、裁判所事務官の略だ。椿はどうやら、本命をそこに定めたらしい。続々と届く料理を食べながら、僕たちはしばらく勉強談義をした。

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