14 マッカラン

 実家から戻った僕は、スーパーに行って具材を調達した。夜六時に七瀬さんと約束だ。僕は鼻歌を歌いながらビーフシチューを煮込んだ。

 時間ぴったりにインターホンが鳴った。黒いダウンジャケットを着たラフな姿の七瀬さんが立っていた。


「よっ、葵くん。今日もご馳走になるよ」

「はい。あがって下さい」


 僕はビーフシチューを盛り付けて出した。トッピングにブロッコリーをつけた。これで彩りがさらに良くなった。


「うーん! やっぱり美味いわ。赤ワインけっこう使ってる?」

「はい。目安の分量よりちょっと多めです。えぐみが出ないギリギリの線を狙いました」

「うん、良いよ。凄く良い」 


 それから、僕は七瀬さんに言った。


「僕、公務員試験受けようと思うんです。友達も一緒に講座受けることになって」

「へえ、そうなんだ! まあ、公務員たって色々あるからな。じっくり考えた方がいいよ」

「国税って実際どんな感じなんですか?」


 七瀬さんは眉を動かした。


「うーん、人間関係に詰まると病む奴多いよ。統括……課長クラスがクソだと終わるな。けっこう体育会系の気質だし」

「そうですか……」

「まあ、俺は仕事自体は好きだよ。差し押さえするのすっげースッキリするし」

「スッキリですか」

「うん。楽しいぞ?」


 国税専門官については、本やネットで色々と調べてきていた。大きく分けて、調査と徴収があるらしい。七瀬さんはその後者。有名なマルサという言葉は調査にあたるようだ。

 そして、一旦調査か徴収の部門に配属されると、例外を除き、ずっとその部門で働くことになる。仕事の性質上、転勤は多い。そこが気になって聞いた。


「七瀬さんは転勤気にならないんですか?」

「まあ、一年目から田舎に飛ばされたときはどうしようかと思ったけどな。あれはあれで楽しく好きにやらせてもらったよ。慣れだよ慣れ」

「もしかして、もうすぐ転勤ですか?」

「いや? まだ大丈夫だと思う。七月なんだけどな。来事務年度はこっちに居ると思うよ」


 良かった。七瀬さんが居なくなるだなんて寂しい。願わくば、僕の卒業までずっと隣人でいて欲しい。もっと一緒にお酒を飲みたい。僕は言った。


「亜矢子さんのとこ、行きません?」

「いいよ。行こうか」


 僕たちの顔を見ると、亜矢子さんはやわらかく微笑んでくれた。


「いらっしゃいませ」


 今夜は店は混んでいた。詰めてもらってようやく空いた二つの席に僕と七瀬さんは座った。


「葵くん、何にする?」

「僕はビールで」

「じゃあ俺も」


 いつもより、七瀬さんとの距離が近い。シャンプーの匂いだろうか。彼の髪から花の香りがした。僕はいつになく緊張してきた。


「葵くん、どうした?」

「いえ……今日は混んでるなぁって」


 僕はお客さんの数を数えた。自分たちを入れて十人だ。亜矢子さんは忙しく手を動かしていた。灰皿が置かれ、僕はタバコに火をつけた。ビールはまだかかりそうだ。


「今日は嬉しかったよ。葵くんの方から誘ってくれるなんて」

「誰かに料理を作るの、好きですから」

「なんか、毎晩でも食べたい気分」

「本当ですか?」


 もし、毎晩七瀬さんと過ごせたらどんなに楽しいだろう。やっぱり料理の感想を聞くのは嬉しい。それが七瀬さんからなら、なおさらだ。

 僕たちの前にビールが置かれた。乾杯し、泡の感触を楽しみながら飲んだ。新しくお客さんがやってきて、亜矢子さんが満席ですと断るのが聞こえた。


「葵くん、二杯目はウイスキーのロックいってみる?」

「いいですね。飲んでみたいです」


 ロックはまだ飲んだことがなかった。この前のハイボールはいけたが、氷だけのロックとなると、ウイスキーの味が直接くる。まあストレートで飲む人も居るが。

 僕はずらりと並ぶボトルを一つ一つ見ていった。こんなに大量のボトルを、亜矢子さんは全て覚えているということだ。改めて、バーテンダーさんの知識量には驚かされた。僕は聞いた。


「七瀬さんのおすすめは何ですか?」

「初心者なら、やっぱりマッカランかな。スコッチウイスキーだよ。癖が無くて飲みやすい」


 ビールが尽きる頃、亜矢子さんが僕たちの前に寄ってきた。


「申し訳ないですね。今夜はバタバタしていて」

「いえ、いいんです。俺と葵くんに、マッカラン。ロックで」

「かしこまりました」


 亜矢子さんはロック用の大きな氷をグラスに入れた。あれをカランとするの、やってみたかったんだよな。琥珀色の美しい液体が注がれた。僕は息を飲んだ。


「お待たせいたしました」


 さあ、初めてのロックだ。僕はまず香りをかいだ。上品な匂いだ。そして少しだけきゅっと口に含んだ。正直、キツい。でも、どこか甘味があって、爽やかだ。


「美味いだろ、これ」


 七瀬さんが僕に微笑みかけた。ウイスキーのせいなのか何なのか、身体中がかあっとなった。一体どうしたというのだろう。僕はそれから、七瀬さんの顔が見れなかった。

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