13 実家

 十一月になった。僕は実家に来ていた。タバコとライターは置いてきた。どこでボロが出るかわからないからだ。久しぶりに見る郊外の一軒家は、とても大きく見えた。


「ただいまー」


 今日は土曜日。両親共に家にいた。僕はリビングにある鳥カゴに寄った。


「シナモンも、ただいま」


 ピピィと鳴いたシナモンは、僕の顔を忘れたのかそうでもないのか、不思議そうな顔をした。鳥には表情がないという人がいるが、そうでもないと僕は思う。


「葵、早速だけど電話で言われてたこれ。忘れないうちに渡しとくね」


 母親が、かなりの厚みがある封筒を差し出してきた。


「ありがとう」


 公務員試験講座のためのお金だ。父親も母親も、公務員になりたいと言うと大いに賛成してくれた。ダイニングテーブルに座っていた父親が言った。


「葵、とりあえずこっち座れ」


 僕はいつもの席に腰かけた。父親の正面になるところだ。父親はお菓子をすすめてきた。栗まんじゅう。ご近所さんから頂いたらしい。母親に緑茶を淹れてもらって、それを食べた。母親も席について言った。


「でも、いきなり公務員だなんてどうしたの?」

「知り合いに国税専門官の人が居てさ。それで、興味が出て、友達も一緒に勉強するって流れになったから」

「そう。受かるといいわね」


 それから一旦、二階にある自分の部屋に行った。何も変わらない。高校生のときのままだ。本を一部持って行ったから、ごそっとそこだけ抜けているくらいだ。

 勉強机の上には、残していった大きめの恐竜のフィギュアがどんと乗っていた。ティラノサウルス。結局僕はこれが一番好きなのだ。クリスマスのとき、買ってもらった。

 僕は押入れの中から、大学受験時代に使っていた教材を取り出した。専門試験の内容は、やっぱり講座を受けないと理解ができなさそうなので、教養試験の勉強だけでも先にやっておこうと思ったのだ。それが今日帰省した大きな理由。

 一階に戻ると、母親がハガキを見せてきた。


「成人式、どうするの? 二次会についても書いてあるけど」

「……行かないよ。行くわけないだろ」


 差出人を見てぞくりとした。あいつがこの僕にハガキを送りつけてくるなんて。よくやる。高校生の頃のことなんて、忘れようと思っていたのに。こうして折に触れてしつこく僕を掴まえてくる。

 ひとまずはハガキを受け取った。本当は破り捨てたかったが、母親が何と言うかわからなかったのである。

 夕食は、中華丼だった。僕はうずらの卵から箸をつけた。好きなものは最初に食べる派だ。自炊には満足しているが、やはり母親が作ってくれるご飯は美味しい。父親が言った。


「大学はどうだ。単位、取れてるか」

「ばっちり。少ないけど友達もいるし、楽しくやってるよ」

「そうか。一人暮らしで困ったことはないか?」

「もう慣れたよ。何かあったらお隣さんがいるしね。そう、そのお隣さんっていうのが……」


 僕は七瀬さんの話をした。ショットバーで出会ったこと。隣人同士だとわかったこと。たまに料理をふるまうということ。彼の話をするのは楽しい。僕の声は弾んでいた。母親がこんなことを言った。


「で、彼女は? できてないの?」

「ええ、彼女? ないない」


 椿のことがあるが、彼女はあくまでも友達だ。絶対に伏せておこうと僕は思った。母親は唇を突き出した。


「なんだ、つまんない。葵にも浮いた話の一つや二つあればいいのに」

「あはは……」


 僕は一人っ子だ。小さい頃から、どんなお嫁さんを連れてくるのかな、なんて言われていて、期待されているのはわかっていた。けれど、僕は今まで、恋をしたことが無かった。お嫁さん以前の問題だ。

 なぜ、僕は他人を好きになれないのだろう。思春期なら必ず通り過ぎるであろう男子の悩みとも、僕は無縁だった。父親が言った。


「お酒、どうせ飲むんだろ。ビールなら買ってあるぞ」

「わあっ、頂きます」


 母親は飲めない人だ。僕と父親に、缶ビールをグラスに注いで出してくれた。酒好きなのは確実に父方の遺伝。父親は飲み会が好きで、よく酔っぱらって帰ってきた。


「ふぅ、美味い」


 僕が息を吐くと、父親がくしゃりと笑った。


「堂々と酒が飲める歳になって良かったな。父さんも嬉しいよ」

「ねえ、また飲み屋さんとか教えてよ」

「いいぞ。息子と飲みに行くの、夢だったからな」


 この日は泊まることにしていた。風呂からあがるとタバコが吸いたくなってきた。こっそりコンビニまで行って吸ってこようか。いや、匂いでバレるな。僕は大人しく自分の部屋に行った。

 勉強机に残るいくつかの傷に指をはわせた。これは自分を傷つける代わりにやったものだ。どうしても、高校時代のことを思い出した。


「はぁ……」


 一人、ため息をついた。誰かに連絡をしたくなってしまった。僕はベッドに寝転び、スマホを操作した。


『明日、空いてますか? 夕飯作りますよ』


 選んだのは、七瀬さんだった。公務員試験のことも聞きたかった。返事は十分ほどしてからきた。


『空いてるよ。ビーフシチュー食べたい。作れる?』

『任せてください』


 具体的なリクエストまでくれるなんて。僕は小躍りしたくなった。明日、帰ったらスーパーに行かないと。浮かれた気分のまま、僕は眠りについた。

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