26 霹靂
翌日目が覚めると、まだ既読はついていなかった。今日は土曜日。週末はいつも昼から会う。僕は伸びをして、トーストを食べた。
返事が来たのは、お昼前になってからだった。
『ごめん、酔いつぶれてた』
『体調は大丈夫ですか?』
『うん。もう少ししたらそっち行く』
僕はオムライスを作り始めた。鶏肉、タマネギ、マッシュルーム。卵は多めに使い、ふんわりとろーりと。出来上がる頃になって、インターホンが鳴った。
「もう、七瀬さん。昨日は寂しかったんですからね?」
「ごめんって」
七瀬さんは襟のついたシャツを着ていた。いつも休日に僕の部屋に来るときは、Tシャツ姿なので珍しいと思った。
「オムライス、もう出来ますよ」
「おっ、美味そう」
食べながら、僕は昨日のことについて話した。
「初音さんがいらっしゃいましてね。馴れ初めとか色々聞いてました。亜矢子さんの事情はちょっと探れませんでしたね」
「亜矢子さん、謎多いよな。実は結婚してましたって言われても驚かないよ」
片付けを終えて、ベッドに腰かけ、僕は七瀬さんに甘えようとした。キスをしようとする僕を、彼は止めた。
「あー、今日はやらしいのは無しにしない?」
「どうしてですか? 僕、七瀬さんにずっと会いたかったんですよ?」
体格なら僕の方が上だ。僕は七瀬さんを押し倒し、シャツのボタンを外そうとした。
「ちょっ、葵、やめろって」
抵抗されたが無駄だ。僕は七瀬さんの首元をあらわにした。そして。
「これ……何ですか」
七瀬さんの肌には、いくつもの痕がついていた。僕はそれを指でなぞった。彼は僕の顔を見なかった。
「ねえ、何ですか。七瀬さん」
「いや、その……」
「昨日はどこに行っていたんですか」
僕は七瀬さんの顎を掴み、目線を合わさせた。
「……ごめん」
それ以上の弁解をしようとしない。僕は言った。
「帰って下さい」
自分の口から出たとは思えないほど冷えきった声だった。七瀬さんはとぼとぼと部屋を出ていった。僕はベッドに仰向けになり、拳を握った。
どんどん涙があふれ出てきた。いじめられていたときでさえ、僕は泣かなかった。それが、今はどうだ。裏切られたことのショックと、やはり自分は七瀬さんにふさわしくないのではという疑念で、頭が混乱していた。そのまま僕はラインを打った。
『今日うち来れる?』
『いいよー!』
呼び出したのは、椿だった。
「アオちゃん!? どうしたの、目ぇ真っ赤!」
「七瀬さんに、浮気された……」
「えっ、マジで!?」
僕は椿にキスを求めた。彼女は優しく包んでくれた。
「ねえ椿、させてよ」
「うん」
久しぶりの女の子の感触は、とても柔らかかった。僕は椿の胸に埋もれた。そして貪欲に突き動かし、全てを吐き出した。
終わってタバコを吸いながら、僕は椿に謝った。
「ごめん……こんな、八つ当たりみたいなことして」
「いいって別に。アオちゃんとするの楽しいし」
「本当に椿はそれでいいの?」
「うん。友達がへこんでたら慰めてあげたいでしょう? その方法がセックスだっただけ」
もう一つだけ、僕は椿にお願いをした。
「痕つけて。見えるところに」
「しょうがないなぁ」
椿は僕の首筋に吸い付いた。彼女は子供のようにいたずらっぽく笑って言った。
「お返しはやっぱりご飯かな?」
「そうだね。食べていってよ」
元々食材は買ってあった。七瀬さんと食べるために。僕はジャガイモの皮を剥き、じっくりと中火で炒めた。ニンニクとベーコンを入れ、ダシを注ぎ、アクを取った。それから砂糖としょうゆで味付けをし、落し蓋をして煮詰めていった。
椿はベッドに寝転がり、小説を読んでいた。たまに鍋の様子を見に行く必要があるが、三十分くらい暇だ。僕は彼女の隣に横たわった。
「これ、半分くらい読んだけど意味わかんない」
「アフターダーク? 僕は好きだけどな」
「視点がしょっちゅう切り替わるせいかな。没入できないの」
「ふぅん、そっか」
「今どき深夜までやってるファミレスも少ないしね」
僕はスマホを見た。七瀬さんからの連絡は特にない。これで終わってしまうのだろうか。帰れと言ったのは僕だしな。椿は本を閉じ、僕の目を見た。
「それで? ちゃんと話し合いはしたの?」
「いや、全然。七歳さんに痕ついてて、帰ってって言って、それっきり」
「あたしは真剣な恋愛しないからよくわかんないけどさ。ちゃんと話した方がいいよ。半年以上付き合ってきたわけでしょ?」
ごもっともだ。僕たちは、きちんと向き合わなければならない。
鍋の中身ができた。べーじゃがだ。甘辛くて、ホクホクして美味しいのだ。僕は缶ビールも出した。椿は上機嫌で平らげてくれた。
「あー美味しかった。アオちゃん、しっかり話しなよ? またどうなったか聞くからね?」
「うん、ありがとう」
椿が出ていった後、僕も外に出る支度を始めた。
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