25 ブルームーン
六月になった。小雨が降る中、僕は一人で亜矢子さんの店に行った。今夜は七瀬さんは職場の飲み会だった。
店に入ると、初音さんが居た。
「やっほー! 葵くん。今日は一人?」
「はい。初音さんも?」
「うん。大和は飲み会だって」
「七瀬さんもですよ」
僕は初音さんの右隣に腰かけた。
「いらっしゃいませ。ビールですか?」
「はい」
こういう風に、亜矢子さんから言われるのは嬉しい。僕も常連さんとして認められた証拠かもしれない。初音さんは、珍しい青いカクテルを飲んでいた。
「それ、何ですか?」
「ブルームーン。亜矢子ちゃんがシェイカー振ってるとこ見たくてね。葵くんも頼んでみれば?」
「そうします」
初音さんと大和さんは、互いの両親との顔合わせが終わり、あとは吉日に結婚届を出しに行くだけだという。僕は尋ねた。
「式はどうするんですか?」
「親族だけで小さくするよ。ボクも大和も知り合い多いんだよね。全員呼ぶとなると大がかりになっちゃう」
「写真とか、また見せて下さいね?」
「オッケー。ねえ、七瀬くんとはどうなの?」
僕は足を組み換えた。
「まあ、順調です。過去の彼氏のことが気になりますけどね」
「あー、七瀬くん、けっこう遊んでたみたいだもんね」
「この前もゲイバーで元彼と鉢合わせちゃって、ヒヤヒヤしましたよ」
それから、初音さんとはお酒について話した。彼女は好きだが弱く、調子に乗って記憶を飛ばすこともけっこうあるのだとか。その度に大和さんに叱られるらしい。
「本当はこのカクテルも度数高いんだけどねぇ。綺麗でしょ? それに、けっこうミステリアスな意味があるんだ」
「意味ですか?」
「叶わぬ恋、と、完全な愛。二つの意味があるの。そういうのも楽しいよ」
僕はブルームーンを注文した。亜矢子さんは、一度材料を全てシェイカーに入れてからステアし、真剣な顔付きでリズミカルに振った。カッコいい。
それから、半月の形に切ったレモンピールをカクテルグラスに差し、出してくれた。
「どうぞ」
「いただきます」
甘い花の香りがした。レモンの酸味があり、スッキリとしていた。飲んでしまってから、写真でも撮っておけば良かったと後悔した。
「葵くん、三年生だよね? 将来のこととか考えてるの?」
「はい。きちんと勉強してます」
「偉いね。ボクは高校もろくに行かずにモデルの世界に入ったからさ。今からでも勉強しておけば良かったって思うよ」
この美しい人は、どんな学生時代を送ったんだろう。気になってきたが、聞くのははばかられた。それで、大和さんの話題を振った。
「どちらから告白したんですか?」
「ボクから。実は初めは断られたんだよ。釣り合わないってさ。そんなの納得できなくてね。しつこく言い寄ったわけ」
「それで、折れてくれたんですね」
「葵くんたちこそ、どうだったのさ?」
「僕から……になるんでしょうか。好きって言ったのは僕からです」
あのとき、僕は自分の気持ちに自分でも気付いていなかった。いつから七瀬さんに惹かれていたのだろう。
「七瀬さん、僕が女の子もいけるからって、諦めようとしていたらしいです。好きって言ったのは酔った勢いだったんですけどね。言って良かったです」
「そっか。葵くんは、元々男の人が好きなわけじゃなかったんだね?」
「はい。初めて好きになった人が、たまたま男の人でした」
亜矢子さんが口を挟んだ。
「そういうの、素敵ですね」
「亜矢子ちゃんこそ、浮いた話ぜーんぜん聞かないけど、どうなのさ?」
初音さんが聞くと、亜矢子さんは涼しい顔をした。
「わたしはこのお店が恋人ですから」
「うわっ、またはぐらかされた」
今度は僕から仕掛けてみることにした。
「人間の恋人は作らないんですか?」
「ええ。忙しくって。本当はそろそろアルバイトを雇いたいんですよ」
公務員試験さえなければ、僕は立候補していたことだろう。ショットバーで働くのも、キツそうだが楽しそうだ。でも、僕はもう歩む道を決めた。
それから、三人であれこれ話し込み、夜の十一時くらいに僕は店を出た。さすがに七瀬さんも帰っている頃だろうか。僕は連絡した。
『飲み会、終わった?』
既読はつかなかった。シャワーを浴び、ベッドに寝転んで初音さんのインスタグラムを見ながら暇をつぶしたが、それでも反応は無かった。
とうとう日付が変わった。僕は心配になってきた。もしかしたら、とっくに帰っていて、自分の部屋で寝ているのかもしれない。インターホンを鳴らしてみようかとまで考えたが、やりすぎだと思いやめた。
そのうちに眠くなってきて、僕は意識を手放した。一人で眠るのは、とても心細かった。
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