50 柊司
国税に入ってから二年が過ぎた。初めて配属された税務署は、元の部屋から通えるところだったので、引っ越しせずに住んだ。七瀬とも、毎日とはいかなくなったが、よく顔を合わせていた。
そして、クリスマスの日。僕は産院に居た。「丸塚椿」という表示を確認し、扉をノックした。
「はーい、どうぞ」
中に入ると、赤子を抱えた椿がソファに座っており、雅司がその脇に立っていた。
「アオちゃん! ありがとう、来てくれて。お陰さまで元気な男の子だよ」
赤子は眠っていた。僕はそっと近付いて膝を折った。
「触ってもいい?」
「いいよ」
僕はそっと赤子の手に触れた。こんなに小さいのに、きちんと五本の指があった。手のひらに指を沿わせると、きゅっと掴まれた。
「わっ」
僕が驚くと、雅司が言った。
「それ、反射なんやって。赤ん坊って寝てても握ってしまうみたいやで」
赤子は雅司との子供だった。しかし、二人は籍を入れず、相続がややこしくなるからと認知届すら出さないらしい。
「もー、出産大変だったよ? 雅司が間に合ったんだけどね。全然役に立たないの。違うところばっかりさするし。結局助産師さんに全部してもらった」
「しゃあないやん、俺かて初めてやってんから」
「あたしだって初めてだよ」
「まあまあ、二人とも、赤ちゃんの前でケンカすんなよ」
僕は雅司に紅茶を淹れてもらった。産院はとても綺麗なところで、食事も豪華らしい。僕は尋ねた。
「名前は決めたの?」
雅司が答えた。
「イブの日に生まれたやろ? 柊に俺の司の字ぃ取って、
「シュウジくんか」
「あたしは何かピンと来ないんだけどね。名付けくらいは雅司にしてもらった方がいいと思って」
それから、お産の話を聞かされた。椿は十時間くらい陣痛にのたうち回り、分娩台に行ってからは三十分で生まれたという。これでも安産の部類らしい。
「あっ……あっ……」
「おっ、柊司起きたか」
「そろそろ授乳かな。二人とも、一旦出てて」
僕たちは産院の近くにあった、イートインのできるコンビニへ行き、ホットコーヒーを買って飲んだ。
「おれ、赤ん坊なんてみんな同じやと思ってたけど、やっぱり自分の子供は可愛いなぁ」
「でも、本当にいいの? 籍も認知も無しって」
「椿の意志が固いからな。あいつはもう一人で育てる気ぃ満々や。養育費も要らん言われたけど、貯めといて渡したるつもり」
「あっ、年間百十万を超えると贈与税かかるから気を付けてね」
「さすが税務署の職員やな」
外に出て、タバコを吸った。父親になった雅司の顔付きは、ぐっと大人びたように思えた。
「雅司は何で父親になるのオーケーしたの?」
「まあ、情やわな。椿とは一年生のときからずっと一緒やった。おれにできることはしたりたい。そう思ったんや」
「そっか。凄いね」
「アオちゃんは、子供とかどうするんや?」
「僕も七瀬も特に育てたいとは思ってないからね。養子もらったりとか、そういうのはないよ」
産院に戻ると、椿は立ち上がってゆらゆらと柊司くんを揺らしていた。授乳の後だからか、機嫌は良さそうだ。
「アオちゃん、抱っこする?」
「ええ、どうやるの?」
「こうやって、頭を支えて……」
僕の腕に柊司くんが収まった。僕もとりあえず揺れることにしてみた。すると、ふぎゃあと泣き出した。
「ま、雅司! バトンタッチ!」
「ええ!?」
雅司が抱っこすると、泣き声は一層激しくなった。
「あーもう、二人とも、あたしがやる」
結局椿に何とかしてもらった。産んだばかりだというのに、椿は肝がすわっていた。母は強しということだろうか。眠らせて、ベッドに置いてから、椿が言った。
「出産はもうこりごりだって思っちゃったけど、やっぱり二人は欲しいなー。次、アオちゃんよろしく」
「ええ? 僕?」
「賢そうな子産まれそうじゃない」
「さすがに七瀬に聞かないとな」
「シリンジっていう方法もあるし、精液くれるだけでいいよ」
「椿、柊司の前でそんなこと言わんといて」
話し込んでいると、夕方になったので、僕は産院を出ることにした。
「アオちゃん、今日は本当にありがとう。また柊司に会いにきてね」
「ほな、またな」
「うん。またね、二人とも」
僕が帰宅すると、七瀬が牛肉を焼いていた。彼は簡単な料理ならできるようになつていた。焼いて、米の上に乗せて、市販の焼肉のタレをかければ完成だ。
「どうだった? 赤ちゃん」
「なんか……不思議な感じだった。あんなに小さいのに人間なんだなって」
「椿ちゃんの様子は?」
「元気そうだったよ。安産だったみたいだね」
焼肉丼を食べながら、僕は言った。
「次は僕の子供がいいって言われちゃったよ。精液くれってさ」
「あははっ、俺はいいよ。他でもない椿ちゃんだし」
「まあ、本当にその時になったら三人でじっくり話し合おうか」
子供のことは先送りにして。今、僕は重大な決心をしていた。
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