51 誘いはマティーニのあとで

 正月に実家に帰省した僕は、夕食の後、大事な話があると両親に告げた。


「実はさ。僕、男の人と付き合ってるんだ」


 父親も母親も、目を点にした。


「お隣の人と仲良くなったって言ってたでしょ? その人」


 母親が口を開いた。


「えっ? 葵、どういうこと? 付き合ってる、って、その……」

「うん。恋人だよ。僕、彼のことが好きなんだ」


 父親が聞いてきた。


「いつからだ」

「大学二年生の冬から付き合ってる」

「そうか……長いんだな」


 母親が僕の手を掴んだ。わなわなと震えていた。


「嘘よね? お正月から、そんな冗談……」

「本当だよ。僕は男の人とお付き合いしているんだ」


 僕の手を離した母親は、すっと立ち上がった。


「ごめんなさい。母さん、すぐには受け入れられない……」

「そう言われるのはわかってた」


 母親はフラフラと寝室へ行ってしまった。僕は父親にさらに詳しい話をした。七瀬さんが国税専門官であること。彼に憧れて僕もそうしたこと。毎日のように会っていること。父親は真剣な眼差しで聞いてくれていた。


「父さんは、葵がどんな人を好きになろうと、葵の自由だと思っている。ただ、母さんは……」

「孫の顔見たがってたもんね。母さん」


 父親はビールを出してくれた。


「よく話してくれたな、葵」

「七瀬とは、本気でこの先ずっと一緒に生きたいと思っているから」

「そうか。母さんなら、父さんからも説得してみる。時間はかかると思うぞ」


 それでいい。大きな第一歩だ。僕はふうっと息をついた。


「ついでにもう一つカミングアウト。僕、タバコ吸ってる」

「それは気付いてた」

「あははっ、そうか」

「ほどほどにしろよ」


 父親と酒を酌み交わしながら、僕は長い間父子の話をした。僕の決意は、ここからが本番だ。どれだけ時間がかかってもいい。母親にも、七瀬のことを認めてもらいたかった。

 実家から戻った僕は、七瀬の部屋に行った。今日打ち明けることは、彼にも言ってあった。僕は七瀬と並んでソファに座った。


「で、どうだった?」

「父親はわかってくれたよ。母親は全然ダメ。時間、かかると思う」

「まあ、ゆっくりな。俺だってそんなに簡単にいくとは思ってないし」

「これから、実家にはまめに連絡するつもり」

「そうするといい」


 僕は身体を七瀬に預けた。手を握り、目を閉じた。


「はぁ、緊張した……」

「よくやったな、葵」


 七瀬は空いた方の手で僕の頭を撫でた。愛しい七瀬。例えどんな困難があろうと、僕はこの温もりを手放したくない。


「葵、亜矢子さんの店、四日からだって。行くか?」

「うん、そうしよう」


 四日になって、僕たちは亜矢子さんの店に行った。


「いらっしゃいませ。明けましておめでとうございます」


 他にお客さんは居なかった。当然か。オープン時間になってすぐに来たのだ。僕は言った。


「もしかして、今年最初のお客ですか?」

「はい、そうですよ。今年もよろしくお願いします」


 僕と七瀬はビールを注文した。七瀬が言った。


「ここに来ると、葵と初めて会った日のことを思い出すよ」

「うん、僕も。あの日出会えて良かった。七瀬との出会いは、僕の全てを変えた」

「正直……それで良かったのか、俺は考えてしまうけどな」

「僕は今、幸せだよ。だから、これで良かったと思う」


 亜矢子さんがビールを差し出してくれた。僕たちは乾杯した。あの日も頼んだのはビールだった。それなら、二杯目は。


「お二人は本当にお似合いですね」


 亜矢子さんが微笑みかけた。僕は彼女に笑みを返した。こんなことができるくらい、僕は大人になった。七瀬が言った。


「葵、親にカミングアウトしたんですよ。そんなにすぐ理解は得られませんね。長期戦は覚悟してます」

「そうでしたか。わたし、お二人のこと、応援していますからね」


 そして頼んだのは、ドライ・マティーニ。亜矢子さんが可愛らしいことを言った。


「双子ちゃんにしておきますね」


 ピックにオリーブが二個刺さった。僕と七瀬は、じっくりとそれを味わった。あの日と同じ、ぐっとくる辛味に、オリーブの酸っぱさがたまらない。二人とも飲み干してから、七瀬がチェックと言った。


「それではお二人とも、いい夜を」


 月が出ていた。僕たちはそれを眺めながら帰った。七瀬の部屋のベランダで、タバコを吸った。僕は言った。


「初めてタバコを吸ったのも、ここだったね」

「そうだな。葵めちゃくちゃむせてたな」

「それが、今じゃこれだよ。お酒も強くなったのかな? 全然酔ってない」

「どうする? ビールでも飲むか?」

「ううん……」


 僕は七瀬にキスをした。


「しようよ」

「いいよ」


 今まで幾度も夜を越えてきた。これからもそうするのだろう。僕はこの人と生きていく。ご飯を食べて、お酒を飲んで、タバコを吸って。そんな毎日を大切にしよう。

 僕は、七瀬を愛し続ける。死が二人をわかつまで。愛して、愛しぬいて、盛大にこの身を散らそう。七瀬、出会ってくれてありがとう。永遠に、離さない。

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