45 結果

 国税の二次試験の結果が出るのを、僕は自室のパソコンの前で待っていた。不安だから七瀬に居て欲しかったが、あいにく仕事だ。そんな理由で彼を休ませるわけにはいかない。時間になり、画面をリロードした僕は、震える手でマウスをクリックした。

 ……合格していた。


「ははっ……」


 僕は椅子の背もたれに身体を預け、だらんと両腕を垂らした。しかし、これで終わりではない。採用面接なるものが存在するのだ。今は採用者名簿に名前が載っただけ。しかし、これで難関を突破できた。僕はすぐに七瀬にラインを送った。


『二次合格したよ』


 既読はつかなかった。仕事中だろう、当然か。僕は続けて、雅司と椿にも連絡した。ちなみに椿は裁判所事務官に合格しており、内定を獲得していた。二人からは、おめでとうの言葉とスタンプが送られてきた。

 昼食を食べていると、七瀬から電話があった。


「葵、おめでとう」

「ありがとう。あとは採用面接だけ」

「ここまできたんだ。きっと大丈夫」


 七瀬の言葉通り、採用面接の案内はすぐに来て、僕は会場に向かった。今度は志望動機などを詳しく聞かれることもなく、併願先について聞かれただけだった。僕はここが第一志望なので全て辞退する旨面接官に告げた。


「では、本日内々定を出します。うちに、来てください」

「……はい!」


 帰り道の僕は、浮ついた足取りだった。どう電車に乗って家まで帰り着いたのかわからなかった。七瀬にラインを打ったことだけは覚えていた。返事は夕方五時頃にきた。


『おめでとう。今夜、亜矢子さんの店でお祝いしよう』


 七瀬は八時頃に帰ってきた。作っていたカレーを温めて食べ、亜矢子さんの店に繰り出した。


「いらっしゃいませ」


 僕は亜矢子さんに言った。


「就職、決まりました!」

「それはおめでとうございます」


 僕と七瀬はカウンター席の中央に腰かけた。他に何組かのお客さんが居て、亜矢子さんは手早く洗い物をしていた。


「お二人とも、ビールですか?」

「はい、お願いします。葵もいい?」

「うん」


 僕は七瀬に採用面接のことを話した。


「うちに来てください、って言われて凄く嬉しかった」

「俺も嬉しいよ。来年からは先輩後輩だな」

「はい。よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げると、七瀬は目を細めた。ああ、ようやく長い戦いが終わった。今夜のビールはいつもより爽快だ。亜矢子さんは、他のお客さんの長話に捕まっていて、こちらを見ていなかった。七瀬が言った。


「あのさ。葵が合格してから、打ち明けようと思ってたことがあるんだけど……」

「えっ、何? 悪い話?」

「捉えようによってはそうかも」


 七瀬は適応障害で休職していた時期があるのだと話した。僕は黙って聞いていた。休職したのは半年ほど。ベッドから起き上がれず、風呂にも入れない状況だったとのこと。そのときに、支えてくれたのが、例の同期の元彼だったらしい。


「だから、あいつは今でも特別な存在。葵に言ったら妬くだろうし、せっかく受験してるのに仕事のキツさを言うのもなって思って、言えてなかった。ごめんな?」

「いいんだよ。僕のこと、気遣ってくれたから、言わなかったんでしょう?」

「そうだな」


 タバコに火をつけ、七瀬は遠くの方を見つめた。仕事に関しては、彼は楽しんでやっているものだとばかり思い込んでいた。強い人だと。だから、今回の告白は意外なものだった。そして、僕は言った。


「あと、妬いてなんかいないよ。僕にだって、雅司と椿っていう特別な存在がいる。まあ、一番は僕であって欲しいけどね?」

「俺の一番は葵だよ」

「うん、僕も」


 それから七瀬は話を切り替えた。


「どこか二人で旅行しないか? 夏季休暇、取らなきゃいけないんだ」

「いいね。どうしようか……」

「葵、恐竜好きだろ? 博物館行くのは?」

「もしかして福井の?」

「うん、そう」


 旅行の計画はとんとん拍子に進んだ。レンタカーを借りて、七瀬が運転してくれることになった。今は車は持っていないが、田舎にいたときは乗り回していたらしく、車自体が好きだと彼は言った。


「葵は長時間ドライブするのとか大丈夫か?」

「実はあんまり経験ないんだよね。だから楽しみ」


 家族旅行では、母親が車酔いしやすいので公共交通機関を使っていた。それも中学生頃までの話なので、旅行なんて本当に久しぶりだ。しかも、恋人との旅行。浮かれないわけがない。


「ねえ、僕早く行きたい。次、いつ休み取れそう?」

「そうだな……九月の上旬にはもう行っちゃうか。旅館とか適当に押さえとくよ。あの辺なら山中温泉に行くのがいいな」

「七瀬は行ったことあるの?」

「部門旅行……会社の旅行で金沢にな。だから地理はわかる」


 僕はそっと、カウンターの下で七瀬の手に触れた。彼は握り返してくれた。帰ってから、彼に甘え尽くしたのは、言うまでもないことだ。

 そして、雅司も市役所に受かったと連絡がきた。これで三人とも本命に合格した。僕は今までの日々を振り返った。もうあの自習室に行くこともないと思うと、少しだけ寂しかった。

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