44 ポートシャーロット
雅司は一次試験に合格し、二次試験を受けた。しかし、彼の受ける市役所は三次試験まであるらしい。まだまだ気が抜けないと彼は漏らしていた。僕は他の市役所も受けてはみるものの、本命は結果待ちの身だ。正直言って、勉強にはあまり力が入らなかった。
転勤した七瀬が、その日は職場の歓迎会だというので、僕は雅司と椿を部屋に呼んだ。今晩はすき焼きだ。
「えっ? 雅司、生卵ダメなの?」
「食べられへんことないけど、苦手やねん」
「そしたら鍋の中に投入しようか?」
「そないして」
三人とも、本命の一次には受かったせいか、緊張感は薄れており、酒も食事もよく進んだ。僕はまず、味のよく染み込んだ豆腐を食べた。うん、成功。カロリーなんか気にせず、惜しみなく砂糖を使ったのが良かったのかもしれない。椿が言った。
「七瀬さん転勤したんだって?」
「そう。今、二時間かけて通ってるよ」
帰りは今までよりも当然遅くなった。でも僕は、なるべく七瀬を待って一緒に夕食をとるようにしていた。僕も七瀬も食べる量が増えた。このままだと太ってしまうかもしれない。僕も少しは筋トレぐらい考えたほうがいいかな、なんて思っていた。
僕は雅司の小皿の中身を見て言った。
「雅司、野菜も食べなよ」
「あっ、バレた?」
慌てて雅司はタマネギを小皿に入れた。まあ、こうなると思って牛肉は多めに買ってあるから問題ない。鍋の中に落とした卵がいい具合に固まってきた。僕はそれを雅司の皿にお玉ですくって入れた。
「めっちゃ美味いやん。甘くて最高や」
「よかった」
この三人でこうして食事をするのもあと何回だろう。合否はまだ出ないが、全員単位は取れており、卒業するのは確定だ。ふと、僕は気付き、椿に聞いた。
「椿は卒業式、着物着るの?」
「うん。もう前撮りしたよ。ほら」
椿はスマホを取り出して見せた。黄緑色の着物の上に、黒いスカートのようなものをつけている椿の姿があった。確かこれは袴といったか。いつも彼女は髪をおろしているから、アップにして赤い髪飾りをつけている姿は新鮮だった。
「椿、めっちゃ可愛いやん」
「そうでしょ? あたし和装は似合うんだから。アオちゃん、あたし可愛いよね?」
「可愛いっていうか、綺麗。華やかでいいね」
「えへへ」
締めのうどんを食べ終わり、いつも通り僕は片付けだ。雅司と椿は追加で酒を開けていた。僕も早く加わりたいと思いながら、手早く皿を洗った。手をタオルで拭いて戻ると、椿がスマホを見せてきた。
「アオちゃん見て見て。初音さんのインスタ」
髪を真っ黒に染めた初音さんの投稿だった。近日中に発表があるとも書いてあった。その内容を知っていることにちょっぴり優越感があった。椿はため息をついた。
「はぁ……本当に綺麗だよね、初音さん」
「せやな。実物見たからようわかるけど、全然写真盛ってへんもんな」
そういえば、初音さんと大和さんには長い間会っていない。亜矢子さんの店へは七瀬とたまに行っていたのだが、出くわすことが無かったのだ。七瀬はどうせ帰りが遅いだろう。僕は二人に言った。
「今から亜矢子さんの店、行く?」
「いいね!」
椿は右手を天井に突き出した。それから僕たちはぞろぞろと繁華街に繰り出した。亜矢子さんの店に着いたのは、夜八時くらいだった。既に二組のお客さんが入っていた。
「いらっしゃいませ」
亜矢子さんはメガネをかけていた。珍しいと思い僕は言った。
「今日はメガネなんですね?」
「ええ、いつもはコンタクトなんですけどね。小さなものもらいができてしまって」
僕たちは中央の方の席に座った。雅司がボトルを眺めて言った。
「なんかおれ、癖強いウイスキー飲みたいです」
「癖の強いものですか?」
亜矢子さんは顎に手をあて、しばし辺りを見回した。メガネのせいか、いつもより知的に見えた。彼女は一本のボトルを壁から取った。
「ポートシャーロットはいかがですか? かなりスモーキーです。アイラウイスキーというものになりましてね。わたしはこれ、好きなんですよ」
僕と雅司はそれのロックを頂くことにした。椿はカシスオレンジだ。出てきたウイスキーを僕はまず嗅いだ。確かに煙たい。ちょっと冒険しすぎたかもしれない。雅司はというと、平然とそれを口にしていた。
「わっ、これめっちゃ美味しいです! こういうの飲みたかったんです!」
「ふふっ、良かったです」
一緒に出てきたチェイサーを口に含んでから、僕も口をつけてみた。辛い。けれど、飲み終わった後にほのかな甘味もある。僕にはマッカランで参ってしまった実績もあるし、チェイサーを多めにもらうことにして、ちびちびとそれを飲んだ。
雅司と椿と別れ、帰宅してぼんやりしていると、七瀬が帰ってきた。
「ただいまぁ」
玄関で七瀬は抱きついてきた。僕は彼の頭を撫でた。
「もう、めちゃくちゃ疲れた。酒の後に二時間電車乗るのマジできつい」
「ありがとうね、七瀬。僕のために」
七瀬は革靴を脱ぐと、そのまま僕を押して、ベッドに連れ込んできた。今日は激しくなりそうだな。僕はほくそ笑んだ。
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