38 生きていく

 病院に行ってから、三日経つと熱は引いていった。しかし、筋肉痛が酷かった。料理なんてとてもじゃないができなかった。七瀬が買ってくれた冷凍食品でしのいだ。


「やっぱり俺も料理くらいできなきゃな。こんなとき何もできねぇ」

「いいんだよ。とりあえず栄養と水分取れれば」


 その日は土曜日で、昨夜から七瀬は一緒に居てくれた。僕はベッドに横たわり、七瀬がその側に腰かける形で、僕たちは話していた。


「なあ葵。この前、消えたいって言ったよな。今もか?」

「ううん。今は、大丈夫」

「俺もさ、消えたい時期、あったよ」


 七瀬は語り始めた。元彼と別れた五年前。周囲の同期たちが結婚し、子供をもうけていく中で、男しか愛することのできない自分を卑屈に思ったのだという。


「親にも、孫の顔とか、見せてやれない。人並みの幸せってやつを俺は掴めない。だったら生きてる意味あんのか、って何度も悩んだよ」

「うん……そっか」

「なあ葵。俺と生きていくっていうのは、そういうことだ」


 僕は両親のことを思った。祖父母のことも。僕は一族にとって唯一の孫で、小さい頃から可愛がられた。祖父が僕が結婚するまでは頑張って生きたいと言っていたことも思い出した。七瀬は続けた。


「葵は俺とは違う。女の子も大丈夫だ。だったら……」

「こんなときに、そんな話しないでよ」


 七瀬の手をぎゅっと握った。彼の表情は見えなかった。


「僕たち、一緒に関係築いていこう、って言ったでしょ? 探そうよ。二人の道をさ」

「そうだったな。悪い。さっきのは忘れてくれ」


 僕は身を起こし、七瀬と目線を合わせた。僕が何を欲しているのか、彼はわかってくれた。優しく唇が触れ、僕は目を閉じた。


「七瀬、する?」

「バカ。まだ寝とけ」


 僕は横になった。スマホを見れる余裕はあった。自習室に来ない僕を気遣い、雅司と椿からラインがあった。インフルエンザだったということ、七瀬がいるから心配ないということを送った。


「僕、いい友達持ったよ。こうして心配してくれるし、七瀬とのことだって応援してくれてる」

「雅司くんと椿ちゃんにも、また会いたいな。治ったら、宅飲みするか」


 七瀬の宣言通り、身体の痛みが取れてから、四人で宅飲みが開かれた。もうキッチンに立てるようになったので、サイコロステーキやキュウリのサラダを作って出した。雅司が声をあげた。


「アオちゃんの快気祝いに! かんぱーい!」


 本当は、飲み会なんてしないで勉強するべきだが、ちょっとくらいいいだろう。僕は缶ビールに口をつけた。つまみは好評で、多めに作っていたのにも関わらず、あっという間になくなった。椿が言った。


「もう、心配したんだからね? 真面目なアオちゃんが勉強サボるはずないと思ってたから」

「ごめんって」

「まあ、良かったやん、七瀬さんおって。おれも一年生のときに風邪引いたけど、一人やったから地獄やったわ」


 僕は七瀬の顔を見た。目が合い、僕たちは笑った。


「二人ラブラブやなぁ」


 雅司が僕の腕を肘でつついた。椿が尋ねた。


「アオちゃんが合格したら、二人はどうするんですか? 職場恋愛になりますけど」


 七瀬が答えた。


「まあ、すぐにはオープンにはできないよ。クローズで続ける手もある。どうするか、まだこれから考えるとこ」


 同性愛への理解は、まだまだ進んでいるとは言い難い。しかも、僕が就こうとしているのは国家組織だ。七瀬によると、国税ではトランス女性が女子トイレや更衣室を使えるようになったらしいが、内部での批判も根強いらしい。僕は言った。


「転勤もあるし、同居とかは難しいかも。僕としては、ずっと七瀬の側に居たいし、親に紹介することも考えてるんだけどね」

「やっぱり男同士やと大変やねんな」


 僕のスマホが振動し始めた。長い。これは電話だ。僕は三人に断りをいれてそれを取った。父親からだった。


「葵。落ち着いて聞けよ。シナモンが死んだ」

「えっ……シナモンが?」

「ああ。夜になってポトリと落ちてな。明日、動物霊園に引き取ってもらう」

「じゃあ、明日そっち帰るよ」


 電話を切ると、皆が心配そうに僕の顔を覗き込んできた。


「その……実家で飼っていた文鳥が死んだらしいんだ。明日帰る」


 七瀬がポンと僕の肩を叩いた。


「あのアイコンの鳥さんだよな?」

「うん。まあ、寿命だったのかも。十年くらい生きてたし」


 シナモンは、僕が小学生のときに、無理を言ってペットショップで買ってもらった鳥だった。初めは苦い顔をしていた母親も、たちまち虜になり、一番甲斐甲斐しく世話をしていた。雅司が言った。


「ほな、今日は早めに解散しよか」

「ありがとう。助かる」


 雅司と椿が帰ってから、僕は七瀬の腕の中で泣いた。

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