11 鍋
初音さんと大和さんと出会った翌日の昼過ぎ。七瀬さんからラインがきた。
『上巻読み終わったよ。下巻借りたいからそっち行ってもいい?』
僕はすぐに返信した。
『今日は一日家にいますから、いつでもいいですよ』
数分のち、インターホンが鳴った。
「よう、葵くん。いつでもって言うからすぐに来ちゃった」
「いいですよ。あがって下さい」
七瀬さんから上巻を手渡された。僕は下巻を本棚から抜き取った。これだけで終わるのも味気ない。僕は提案した。
「夕食、一緒に食べませんか? 何か作りますよ」
「おっ、それは有難い。何がいいかなぁ」
ローテーブルを挟んで向かい合い、僕は尋ねた。
「いつも夕食は何を食べているんですか?」
「コンビニかラーメン、牛丼」
「野菜、足りてなさそうですね……鍋でもしますか?」
「おっ、いいねぇ」
僕たちはスーパーに行った。七瀬さんが鶏肉がいいというので、白湯鍋にすることにした。野菜売り場に行き、僕はあれこれ思案した。
「七瀬さん、苦手な食材ってあります?」
「シイタケがダメ」
「じゃあエノキにしますか」
それから、ネギ、ハクサイ、モヤシをカゴに入れた。それから缶ビールも。締めはラーメンがいいだろう。中華麺も買っておいた。帰宅すると、まだ午後三時。準備をするには早い時間だ。僕たちはとりあえずタバコを吸った。
「葵くん、吸うのも慣れてきたな」
「もう、七瀬さんのせいですよ?」
「でも、興味はあったろ? じゃないとあそこで断るよ」
「否定はできませんね」
年始にはまた実家に帰るだろう。酒はともかく、タバコを始めたとなると、両親が怒るのは目に見えていた。絶対バレないようにしないと。床に座って、七瀬さんは下巻を読み始めた。僕も最近買ったSF小説を読むことにした。静かな時間が流れていた。こういうのも悪くない。
「そろそろ、作り始めますね」
「よろしくぅー」
僕は具材を刻んだ。鍋は一人のときでも作るが、やはり誰かと囲む方が楽しい。一年生のときも、雅司と椿と一緒によくやったものだ。彼らのために、レンゲを買い足したのを思い出した。鍋をコンロで煮込んでいる間、僕はローテーブルに卓上のIHヒーターを置いた。
「葵くん、色々持ってるんだな」
「鍋はよくするので。これ一台あると色々と便利ですよ」
「そっか。俺んち、炊飯器すらないよ」
「マジですか」
せっかく広めのキッチンがある部屋なのに勿体ないと思った。しかし、お仕事も忙しいのだろう。僕だって、社会人になればこんなに悠長に料理をできる暇が無いかもしれない。でも、大和さんのように働きながらパートーナーの食事を作っている人だっているし、できればこの趣味は続けたいと思った。
「できましたよ」
僕は鍋を置いた。七瀬さんは小説を閉じ、床に置いた。
「おおっ! 美味そう!」
「ビールで乾杯しますか」
僕たちは缶をぶつけた。具材への味の染み込み具合は申し分ない。七瀬さんも笑顔でかきこんでいた。僕はふと思いついて、冷蔵庫からコチュジャンを出した。
「七瀬さん。味変に、どうですか」
「いいな。ちょっと貰うわ」
七瀬さんはスプーンでコチュジャンを取ると、取り皿の中に入れた。そして、鶏肉につけて食べた。
「いいね。美味いよ」
「でしょう?」
「俺、辛いの好きなんだよ。締めはたっぷりこれ使わない?」
「そうしましょうか」
具材をほとんどすくい終わった後、僕は中華麺とコチュジャンを鍋に投入した。真っ赤なラーメンが出来上がった。鶏肉のダシがよく出ていて美味しかった。辛みもたまらない。大成功だ。
「あー、食った食った」
七瀬さんは床にごろりと寝転がった。シャツの裾から、おへそとアバラ骨が見えた。本当に肉付きがない。僕は立ち上がって、鍋を片付け始めた。七瀬さんは寝たまま、小説の続きを読んでいるようだった。終わって、僕は彼に聞いてみた。
「そういえば、七瀬さんってどんなお仕事をされているんですか?」
「仕事? 仕事なぁ。亜矢子さんとかには、絶対言うなよ」
「というと?」
「税務署」
僕は首を傾げた。それが亜矢子さんに言えない職業だとでもいうのだろうか。
「なんで亜矢子さんには言えないんですか?」
「商売してる人には、ちょっとな。俺って税務署の中だと徴収になるの。滞納している税金を差し押さえる係」
「ああ、なるほど……」
確かにこわい存在なのだろう。税金のことはよく知らなかったが、七瀬さんがかなりハードそうな仕事をしているというのがわかった。それと同時に、彼の秘密を共有できたようで嬉しかった。七瀬さんは続けた。
「国税専門官ってわかる? 俺がそれ。国家公務員だよ」
「なんだか、凄い人だったんですね」
「凄くはないよ。試験受けて受かっただけ。そういや、葵くんって就活どうすんの?」
「えっと……まだ何も考えてないです」
「今からなら、公務員もアリだよ。何せ絶対潰れない会社だからな」
公務員試験を受けるだなんて、考えたこともなかった。しかし、その日から、僕は将来について真剣に検討するようになった。
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