油断大敵!

前回のお話のコメントで、『不滅の法灯』についてのものがあったので、これも解説しておきましょう。


『不滅の法灯』は天台宗の開祖・最澄(伝教大師でんぎょうだいし)が作らせたもので、比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂内陣にある灯火のことです。


“消えずの法灯”とも呼ばれており、最澄の時代よりずっと燃え続ける灯火です。



最澄

「仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすように」



最澄はこのように願いを込めて作り、今の世もお堂を照らし続けています。


なお、構造自体は至ってシンプルなもので、菜種油を燃料とし、灯芯が燃料に浸り、燃え続けます。


このため、『不滅の法灯』が燃え続けるためには菜種油を補充し続けねばならず、朝夕の1日2回、延暦寺の修行僧がこれを欠かさず、油を継ぎ足しています。


油がなくなり、『不滅の法灯』が消えると言う事は、延暦寺より人がいなくなることを意味しています。


注意を怠れば、たちまち法の光が潰える。この戒めもまた法灯は示しているのです。


油を断たれる。そう、これが“油断”の語源になっています。


なお、『不滅の法灯』でありながら、実際に消えてしまった時期がありました。


元亀2年(1571年)9月、織田信長が行った比叡山焼き討ちです。


この際に比叡山延暦寺は無人と化し、最澄の時代より続く『不滅の法灯』が、ものの見事に消されてしまったのです。


さすがは仏法の破壊者たる第六天魔王・織田信長。常人では成し得ぬことを平然とやってしまう。


ですが、『不滅の法灯』は復活します。


天台座主3世の円仁(慈覚大師じかくだいし)が建立した出羽国・立石寺りっしゃくじに『不滅の法灯』が分灯されており、そこから再分灯と言う形で延暦寺に戻って来たのです。


『不滅の法灯』に再び火がともったのは、天正17年(1589年)ですので、実に18年もの間、法の光が失われていた事になります。


それから程なくして、信長の後継者である豊臣秀吉が天下を統一し、末法の世である戦国時代に終止符を打つのも、奇縁と言ったところでしょうか。


なお、円仁は数多くの寺院の開山や再建に携わり、その数は500を超えるとされています。


先程述べた立石寺りっしゃくじの他に、松島の瑞巌寺ずいがんじ、平泉の中尊寺ちゅうそんじ毛越寺もうつうじを円仁が開山し、“松尾芭蕉の四寺廻廊”となります。


また、浅草の浅草寺せんそうじ、目黒不動でおなじみの瀧泉寺りゅうせんじも円仁の開山とされており、関東、東北にはそうした由来のお寺がたくさんあります。


立石寺りっしゃくじ以外にも『不滅の法灯』が分灯されている場所もあり、“油断”なく大切にされています。


ふとした気の緩みから、とんだ大失態を演じてしまう事もあります。


皆さん、くれぐれも油断なきように、日々を過ごしていきましょう。



ガス欠や>( -ω-)人   (´・ω・` ) <油断しおったな

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