千年越しのブーメラン!? 歴史を動かした偽経『老子化胡経』

皆さん、『怪文書』と聞いて、どんなものをイメージしますか?


出所不明、真偽不明の怪しい情報と考える事でしょう。


今も昔もこの手の話は尽きず、時として政治経済にすら影響を与え、国や組織の浮沈をも左右してしまうこともあります。


昨今もコロナ禍の不安定な世情を反映してか、そうした意味不明な陰謀論や不安を煽る情報が飛び交い、色々な憶測があちこちで耳にしたのも記憶に新しい事でしょう。


そして、そうした事は宗教界隈においても当然のように存在します。


今回お話しする『老子化胡経ろうしかこきょう』はまさにその最たるものでしょう。


この経典は道教で広まっていたもので、噛み砕いていいますと、道教の始祖である老荘(老子)が西方(胡)へ旅立ち、現地を教化して、それが仏教となった。


すなわち老子と仏陀が実質同一人物という、とんでも話が掲載されているのです。


道教の始祖と言われる老子は謎が多く、生没年があやふやです。


なお、有力な説だと紀元前571年~471年とされていますが、この時点ですでにアウトです。


なぜなら、仏陀の入滅は紀元前595年であり、老子の生誕の20年前には死去しているので、老子が仏教の開祖となるのは不可能だからです。


しかし、現代では研究が進んで正確な年月が分かっている部分もありますが、かつてはそうではありません。


そうしたあやふやさに付け込んだ“偽経”、すなわち偽物の経典というわけです。


老子化胡経ろうしかこきょう』の発生はいつであったかは定かではありませんが、残っている最古の記録は270~300年頃のもので、中国では晋が勃興し、三国時代が終わろうとしている時代です。


この頃には仏教は既に中国に伝播しており、道教もまた産声を上げた時期でもあります。


後漢末から魏・晋の時代はまさに伝わって来たばかりの仏教と、各地の民間信仰が習合して道教が体系化していった黎明期であり、その優位性を示す意味で、このような偽経が出てきたのではないかと考えられています。


西のキリスト教が他宗教の神を悪魔に仕立て上げて排斥したのに対し、東の宗教は他派の神を習合し、自身の最高神の下に置くことで、自らの教義の優位性を誇示した。


仏教にインド神話由来の守護神が多いのもそれであり、道教もまたその流れを受け、老子と仏陀を結び付け、優位性を確立しようとしました。


そして、これが大問題となったのは、1255年のこと。つまり、『老子化胡経ろうしかこきょう』が生み出されており1000年が経過した時の事でした。


当時は道教の一派である“全真教”が全盛期を迎えていました。


この頃の中国はモンゴル帝国の侵入によって、中国の北半分はその統治下に組み込まれており、そこで全真教は大いに保護され、様々な特権を付与されていました。


というのも、モンゴル帝国の始祖チンギス=ハーンが全真教の長春真人の訪問を受け、これを歓待したからです。


その歓迎の席にて、このようなやり取りがありました。



チンギス

「ワシは不老不死の存在になろうと考えているのだが、その妙法をお前は心得ているのか?」



長春真人

「衛生の道あれど、さりとて長生の薬なし」



長生きの秘訣はあっても、不老不死なんぞただの迷信だと、バッサリとチンギス=ハーンの願いを切り捨てました。


しかし、忠義者と正直者が大好きなチンギス=ハーンは下手なおべっかなど使わず、堂々と言い放った長春真人を気に入り、全真教の保護を確約しました。


こうしてモンゴル帝国最高権力者からのお墨付きを受け、全真教は大いに興隆し、全盛期を迎えました。


しかし、ここで長春真人は彼の死後、大問題となる禍根を残してしまいました。


それは『老子化胡経ろうしかこきょう』を前面に押し出し、このままの勢いで仏教教団をやり込めてしまおうと画策したことです。


もちろん、『老子化胡経ろうしかこきょう』は歴史的経緯を見ても、全くのデタラメな内容であったが、いつの時代も騙される無学者がいるものです。


しばらくは全真教が我が世の春を謳歌します。


しかし、世代が変われば、状況も変わるのは世の常です。


1255年、この頃には皇帝はチンギスの孫モンケに代替わりしており、その弟であるフビライの前で仏教側と道教側で討論会が開かれることとなった。


中国ではままある事なのですが、宗派同士の対立が発生すると、どちらの理論が優れているのかを競わせるため、皇帝や有力者の御前で討論会を開くことがあり、その時もまたそれまでの例に倣い、討論会が催された。


そして、仏教側に颯爽と現れたのが、サキァ派チベット仏僧ラマのパクパです。


パクパはチベット史上最高叡智とも謳われる大賢者パンディタ・サキァ=パンディタ=クンガ=ギェンツェンの甥であり、討論会の当時は若干20歳の若い僧でした。


しかし、大賢者パンディタより受け継いだ学識や弁論術は他の追随を許さぬほどに熟達しており、当の討論会はパクパの独壇場となった。


老子化胡経ろうしかこきょう』で無学者は騙せても、パクパのような本物の学僧にはまったくお話にならなかったのだ。


経典の矛盾点をことごとく突かれ、道教側はしどろもどろになるばかり。


結果は大賢者の甥の無双により、仏教側の大勝利に終わりました。


こうして、『老子化胡経ろうしかこきょう』は後に禁書扱いとなり、長らくその存在を葬られ、敦煌遺跡の隠し部屋で発見されるまでは日の目を見る事はありませんでした。


そして、勝利を得たパクパも一躍有名になり、フビライのお気に入りとなります。


フビライが皇帝に即位後、パクパは国師・帝師(要は皇帝の師匠)となり、領地として13万戸を与えられるなど、破格の待遇を受けます。


また、フビライの命で文字の作成を行い、パスパ文字(パスパはパクパのモンゴル語読み)を作り出しています。


このパスパ文字は元王朝の公用語として用いられますが、モンゴル族が草原へと追いやられた後、急速にその使用が見られなくなりました。


しかし、17世紀に発足したダライ=ラマ政権がパスパ文字を復活させ、印章に刻む字体として使用することとなり、現代でもなお儀典用の文字としてチベットで使用されています。


そして、討論会で完膚なきまでに叩きのめされた道教側は勢力を大きく後退させた。


さらにフビライの在位中に国教を仏教に定めたため、ますます勢力を失い、道教勢力はしばらくの間、暗黒の時代を迎える事となります。



パクパ

「怪文書にツッコミ入れるだけの簡単な作業でした。それでこんだけの厚遇を得られるのなら、何度でもやりますよ」



某道士

「千年前の怪文書が、よもやこんな尾を引くとは思ってませんでした。今は反省している」



まさに、千年前に投げたブーメランが、長い時を経て頭にぶっ刺さったといったところでしょうか。


これをお読みの方の中には、小説・詩文の創作に携わっている方もいるかと思われますが、くれぐれも馬鹿げた“怪文書”だけは残さないようにしましょう。


巡り巡って、あなたの子孫が大迷惑を被るやもしれません。


一字入魂。創作にあたっては魂を込めて、一字一字書き込んでいきましょう!


僅か一冊の本でも、歴史を動かす力を持つ事があるのですから。



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