変身! 今日から君も仏法の守護神!

仏教には様々な仏、あるいは守護神が存在しています。


中でもインド神話に起源を持つ神がかなり存在する。


ヒンドゥー教の三大神であるシヴァ、ブラフマン、ヴィシュヌも仏教に取り込まれています。


シヴァは密教系に取り込まれ、不動明王として扱われています。


また、シヴァは日本においては大国主おおくにぬしと結合し、大黒天だいこくてんに変遷を遂げている。


ブラフマンは梵天となり、仏陀に教団の設立と教えを広めることを勧めたとされています。


ブラフマンの妻サラスヴァティーは弁財天となっていますね。


ヴィシュヌはスリランカ仏教における最高仏であり、篤く信仰されてきました。


他にも、インドラは帝釈天、ラクシュミーは吉祥天、クベーラは毘沙門天、ガンダルヴァは乾闥婆けんだっぱなど、例を挙げていけばきりがない程だ。


なぜこのように習合が大規模に行われたのか?


答えは簡単。“布教”の為である。


布教して、教団を興隆させるためには、新規の信者獲得は不可欠である。その過程で習合が過熱していったのだ。



「君らが信仰する神様なんだけどさぁ~。仏法に触れる事により、仏教の守護神になっちゃった♪ さあ、君も仏の教えに触れ、改宗しようぜ!」



とまあ、こういう具合である。


仏教にインド由来の神仏が多いのはこのためである。


無論、その逆もある。


ヒンドゥー三大神の一柱ヴィシュヌは人間に姿を変え、英雄、賢者として活躍すると伝承されている。


その中で特に活躍した十大化身ダシャーヴァターラの中に、仏陀が含まれているのだ。



「仏陀ぁ? んなもん、ヴィシュヌ神の一側面に過ぎんわ! こっちの教えの方が優れているぞ!」



こっちもこっちで自らの優位性を誇示していたりします。


こうして仏教は他地域に伝播の度に土着の神を吸収していき、あのように多種多様な神仏を生み出していったのだ。


中国の小説『封神演義』には、その痕跡が見受けられます。


『封神演義』の舞台は殷周易姓革命の時代であり、仏教が誕生する前の時代を元にして書かれているため、仏教は当然ですが存在していません。


しかし、『封神演義』が成立した元代においては、仏教は既に伝わっています。読者が話に入りやすくするため、仏教の話を加えてきたというわけです。


つまり、仏教に帰依する前の神を、仙人として出演させたわけです。


例えば、崑崙こんろん十二仙の中にいる慈航道人じこうどうじんは、後に封神されてから仏教に帰依し、観世音菩薩かんぜおんぼさつと呼ばれるようになります。


他にも普賢真人ふげんしんじんは普賢菩薩、文殊広法天尊もんじゅこうほうてんそんは文殊菩薩、燃燈道人ねんとうどうじんは燃燈仏、韋護いご韋駄天いだてんなどと言った具合です。


敵方として登場した魔家四将まけよんしょうは、四天王へと変貌します。


作中でも特に人気のある、李靖りせい哪吒なた親子の場合は、元ネタはインド神話のクベーラ・ナラクーバラの親子神で、それが中国に伝播した後に毘沙門天・那羅鳩婆、あるいは托塔李天王・哪吒太子となります。


なお、四天王の中に毘沙門天が入っていない!? との設定矛盾があるように思えますが、これは当時の中国の仏教と道教のせめぎ合いによって、その辺りの神話の設定がガバガバな状態になっており、矛盾が発生しています。


『封神演義』の著者もその“神格被り”は気にしていたらしく、多聞天と毘沙門天を“別神格”として描くことにより、この矛盾を解消しています。


こうしたカオスな裏事情を知った上で、『封神演義』や『西遊記』を読んでみると、また違った一面が見えてきて面白いですよ。


まあ、結局のところ、一番“魔改造”を施したのは日本ですけどね。


どれだけの神や仏が生み出され、もう原型が残らないレベルにまで変身してしまった事か!(汗)


先程名前を出した乾闥婆も画像検索すると、仏像に混じってカワイイ絵が浸食していますね。


サンキュー、CL●MP!(ぉぃ


なお、こうした習合とは逆の事をやったのがユダヤ教、キリスト教である。


厳格な一神教であるこの二つは、他の宗教の神を悪魔に変質させ、その教義が間違ったものであるかを解いたのである。


つまり、“習合”ではなく、“排斥”あるいは“異端”という形で布教したのだ。


例えば、中東において広く信仰されてきた豊穣の女神イシュタルも、その性質を反転させられて“怠惰の魔王”アスタロトとなりました。


また、同じく中東やフェニキア、カルタゴにて信仰されていたバアル神も、大悪魔バエルあるいはベルゼバールへと変質されている。“慈雨の神”が“糞山の蠅の王”へと変じてしまいました。



ハンニバル「よし、ちょっとローマ滅ぼしてくるわ!」



スキピオ「わしらの時代、仏教はあっても、キリスト教はまだないだろ!?」



いやまあ、自分のところの神様が悪魔に変えられたら、ハンニバルも激怒して、もう一回イタリア遠征に出てしまいそうですね。


ちなみに、ハンニバルは『我が主はバアル』という意味ですからなおの事ね。


こうした強烈な布教の結果、キリスト教は勢力を拡大していきました。


数々の悪魔を生み落としながら、唯一絶対の神の教義を広げていったのです。


ここらが、やはり一神教と多神教の性質の違いなのでしょう。


仏教は吸収合併、キリスト教は競争と排斥を、教団拡大の手法として大きくなっていきました。


将棋とチェス、駒の扱いが東西で差異があるのも、あるいはこうした精神世界の影響なのかもしれませんね。


まあ、自分は『神の国』日本の住人として、どんな神様でもウェルカムでございますよ。


いつでもどなたでもお越しくださいませ。“日本式”にて歓迎いたしますぞ。グヘヘ。


拝んでご利益があれば、どんな存在でも神や仏なのですから。


節操がない?


何を今更。優れたものをお持ちを人物を、神だ仏だと祭り上げるのが日本ではないですか。


機会と能力があれば、誰でも神になれる国、それが『神の国』日本です。


人から神や仏へ。


有為転変ういてんへん、定まる事は何一つなし。人が神や仏になる事もむしろ当然。


何かの拍子に神や仏として崇められるのは、明日のあなたかもしれませんよ。



神様多過ぎ問題>( -ω-)人   (´・ω・` ) <八百万やおよろずじゃ足りないで

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