祈れ! 踊れ! 『盆踊り』とは!?

さて、少々時期がズレましたが、『盆踊り』についてお話しましょう。


“お盆”と言えば、8月半ばの行事として、先祖供養を行う日と認識しているでしょう。


本来は7月15日に行われるものですが、これはかつて使われていた太陰暦での話で、日本は明治期に太陽暦に切り替えてしまい、それをそのまま使用すると、がっつり農繁期に被るため、一月ずらして行われるようになりました。


このお盆の由来ですが、これは“盂蘭盆会うらぼんえ”及び“施餓鬼会せがきえ”と言うものに由来します。


サンスクリット語の“ウッランバナ”を語源とし、その意味は“倒懸”、すなわち“逆さ吊り”となります。


元ネタ2つのお話しましょう。


1つは仏陀・十大弟子の一人、目犍連モッガッラーナです。


目犍連モッガッラーナは仏陀の弟子の中でも最強の法力を有し、仏陀に襲い掛かる鬼神や邪龍を神通力を以て退け、あるいは釈迦族に襲い掛かる軍隊すら追い返し、その力を仏陀から制止するように言われるほどの実力者です。


“神通第一”と称される、まさに最強の弟子です。


そんな目犍連モッガッラーナですが、ある日、瞑想中にふと亡くなった母親の事が気になり、千里眼にてその姿を見てみると、なんと“餓鬼道”に捉われているのが見えました。


飢えと渇きに苦しむ母を見て、目犍連モッガッラーナは神通力を以て、水や食料を母のいる餓鬼道へと転送しました。


神通力で異世界へのウーバーイーツって、ほんととんでもない人だな、この人。


だが、そこは餓鬼道。食べ物を得る事はできません。水は蒸発し、手にした食べ物は即座に炭と化し、母親は食べる事ができませんでした。


もはやこれは自分の手に余ると判断した目犍連モッガッラーナは、事の次第を仏陀に説明し、助けを求めました。



安居あんごの最後の日にすべての比丘びくに食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」



目犍連モッガッラーナの問いに対する仏陀の答えはこうでした。


ちなみに“安居あんご”とは、雨期に開かれる勉強会とでも思ってください。


雨季には虫が大量発生し、説法をして回るとその虫を踏み付けて、不殺生戒を破ることになるため、夏の雨期には一か所に集まって修行する事になっていました。


現在でも宗派によってはこの安居は続けられています。


そして、目犍連モッガッラーナは仏陀の言いつけ通りに実行して、比丘のすべてに布施を行うと、比丘たちは大いに喜んだ。


その喜びと功徳が通じたのか、目連の母親は餓鬼の境遇から脱したのです。


これが“盂蘭盆会うらぼんえ”の大まかな流れです。


もう1つのエピソードは、同じく十大弟子の一人、“多聞第一”の阿難陀アーナンダにまつわる話です。


ある日、阿難陀アーナンダは瞑想していると、そこに焔口エンクと名乗る餓鬼が現れます。



焔口エンクが言うには、「お前はもうすぐ死に、その後に餓鬼に転生する」とのこと。



これには阿難陀アーナンダも慌ててしまいます。


更に焔口エンクは続けます。



「我ら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我もまた苦難を脱することができるだろう」



そうは言うものの、餓鬼道の飢えを満たせる食べ物、それを用意するための財貨など、阿難陀アーナンダは持ち合わせていません。


そのため、阿難陀アーナンダは仏陀に助けを求めました。



観世音菩薩かんぜおんぼさつの秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼かじおんじきだらに』を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』



これが仏陀の回答でした。


食料の無限錬成とか、チート過ぎやしませんかね、仏陀さん!?


この秘術により、阿難陀アーナンダは功徳を得て、餓鬼道に落ちる事を脱し、寿命が延びたのでした。


この目犍連モッガッラーナの“盂蘭盆うらぼん”と、阿難陀アーナンダの“施餓鬼せがき”が、現在のお盆に繋がっていきます。


これが中国に渡り、更なる変遷を遂げます。


仏教の伝承に道教の儀式や作法が習合し、三元の内の中元(7月15日)と引っ付いたのです。


中元は人間贖罪の日として、一日中火を焚いて神を祝う風習がありました。


これが後には、死者の罪を赦すことを願う日となったのです。


中国仏教ではこの日に、祖先の霊を供養する盂蘭盆会うらぼんえを催すようになっていき、中元と盂蘭盆会は習合し一体化したのです。


ちなみに、お世話になった方への礼品を送る“お中元”の習慣は、ここが由来になっていますね。


そして、盂蘭盆会うらぼんえ施餓鬼会せがきえは日本にも伝わりますが、ここでも更に変化があります。


元々は別物であったこの2つの法会でしたが、鎌倉時代あたりで2つの話が混同されるようになり、同じ行事として行われるようになりました。


また日本古来の信仰である“御霊信仰”もこれに加わり、怨霊を鎮め、平穏を願う意味合いも含まれるようになります。


そこに勃興してきた“念仏踊り”まで習合していき、室町時代にはすでに太鼓を叩いて、踊っていたようです。


インド、中国を経て、日本に伝わり、その土地の宗教、習俗を取り込んでいき、今我々が踊っている“盆踊り”が形作られていったのです。


『生きて神道、死して仏教、お祭り時だけキリスト教』などと揶揄される現代日本の宗教観ですが、まさにこのごっちゃ煮状態の祭事、行事こそ、実に日本らしいと言えるのではないでしょうか。


さあ皆さん、それぞれの想いの下、踊っちゃいましょう!



盆踊りと言えば?>( -ω-)人   (´・ω・` ) <オバQ音頭!

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