飢えと渇き、すなわち『断食行』

断食行だんじきぎょう


要は飲み食いを断ち、瞑想に耽る荒行のことです。


皆さんは断食されたことはありますか?


最近だと、抗議活動の一環として、ハンガーストライキを試みる方もいらっしゃいますね。


飢えや渇きとは、それだけきつい事であると認識されており、訴える側の強烈な意志を示す行為として認識されている事でしょう。


人間は生きていく上で、栄養の摂取は不可欠です。


断食とは、まさに生きると言う行為を断ち切るほどの荒行です。


ちなみに、自分は強制断食を経験したことはあります。


小学の頃、怪我で手術をする事になったのですが、その際に全身麻酔を施すため、手術前夜から飲食を禁止されました。


手術は無事に終わりましたが、体にはまだ麻酔が残っており、術後の痛みを伝えながらも意識がまだはっきりとしない。


そんな中でも、“渇き”に関しては全身が、魂が、悲鳴を上げながらも欲するほどに求めたものです。


ただ、麻酔が残っているので、まだ飲食はダメだということで、既定の時間までひたすら耐える事となりました。


その時の苦しかった事と言ったら、自分の人生の中で三指に入るほどの苦痛でした。


あの時、口に注がれた僅かな水分が、どれほど愛おしいか、語っても分かるものではないでしょう。


経験しなくては分からないキツさです。


関ケ原の合戦の折、西軍に与した島津勢の中に山田有栄やまだありながと言う武将がおり、自身の主君・島津義弘と共に敵中突破の後、食うや食わずで伊勢街道を抜け、大阪を経て薩摩へ帰還しました。


その際に数々の武功を立て、義弘から「有栄の軍功、並ぶものなし」と称賛され、家中でも特に評判となった。


当然、関が原での活躍を聞こうと家中の人々が有栄の下へとやって来ますが、それを頑として撥ね付けました。



「どうせ語ったところで理解できぬ事。どうしても聞きたくば、三日、食を断ってから聞きに来い」



こう述べたそうです。


歴戦の猛者をして、こうも言わせるのですから、食を断つことがいかに過酷であったかが、話を聞かずとも伝わって来るというものです。


食欲は三大欲求の一つであり、それを断つのは命に係わる事です。


自分も疑似的にではありますが経験したことがあるので、食べ物で溢れ、水にも困らない今の日本がとても愛おしいです。


修行時代の仏陀もまた、数々の荒行に挑戦し、断食行にも挑みました。


そしてある日、とうとう断食行のやりすぎで命の危機に陥りました。


意識が朦朧とする中、仏陀の前にスジャータという少女が現れ、乳粥を差し出しました。


仏陀はそれを食して体力を取り戻すと、川で沐浴し、近くにあった菩提樹の元に座して瞑想をしました。


ちなみに、スジャータはその後、仏教に帰依し、初となる女性の在家信者、すなわち優婆夷ウパーシカーとなります。


この時、六年間にわたる苦行を以てしても悟り得ぬことを、僅か一杯の乳粥に込められた想いが仏陀を覚醒させ、ついに悟りを開くこととなったのです。


欲に溺れて貪る事はよくないが、だからと言って、苦行は自分を痛めつけるだけであり、涅槃には程遠い、真理を得る事はできないと、認知するに至ったのです。


後に仏陀は弟子達にこう語っています。



「世の中には二つの極端がある。出家者はそれに近づいてはならない。何が二つの極端であるのか?

 一つ目は、欲と愛欲や貪欲をよしとすることで、これらは下劣かつ卑賤であり、つまらぬ人間のやることで、無意味で無益である。

 二つ目は、自分に苦難を味わわせることは、苦痛であり、無意味で無益である。

 如来とはすなわち、この二つの極端を捨て、中道を認知した者である。

 それこそが、観る眼を生じ、英知を得、證智をもち、サマーディ涅槃ニルヴァーナに至る道である」



快楽はダメだが、だからと言って苦行もよくないと仏陀は弟子達に諭した。


貪ることなく、苦しむことなく、“中道”を行くべし。こう説いたのだ。


ちなみに、実のところ、苦行にも意味を見出せなくはない。


医学的見地から、苦行による痛めつけによって、脳内麻薬『エンドルフィン』を分泌させる効果があるからだ。


マラソンなどの際に、走り続けていると次第に高揚感が生み出される。


いわゆる『ランナーズハイ』の状態の事だが、これがエンドルフィンによる作用だとする説があるのだ。


苦痛が脳内麻薬によって、鎮痛や多幸感に置き換わるということだ。


断食による空腹感によって脳内麻薬が分泌され、幻聴かみのこえを耳にするメカニズムは、あるいはこの辺りなのかもしれない。


そこまで行かずとも、読者の中には『徹夜ハイ』くらいは感じた事のある人もおられるのではにでしょうか?


まあ、結局のところ、そうした事は体を壊す元なので、控えるべきではありますね。


自分も真っ平御免です。


乾き切った喉に、一口の水を味わった身の上です。図らずも、仏陀の得た感覚に似たものを体験できたので、無理は良くないと悟る事が出来ました。


とはいえ、この感覚は語って得られるものではありません。


経験しないと分からないものです。


ものは試しと、一度断食をやってみるのも、経験ですよ。


仏陀も王子として悦を知り、出家者として苦を知り、その上で苦と楽の偏りなく、その“中道”を行くべきであると悟ったのですから。


ただし、断食は体調の良い時に限りますよ。本当にきついですから。


そして、悟りを開くための感覚を得るために、少しだけ体験してみましょう。


本当に世界を見る目が、変わってしまうかもしれません。


飽食の時代にあって、あえて飢えと渇きの感覚を得て、今の幸せを再確認してみるのも悪い事ではありませんから。



スジャータと言えば?>( -ω-)人  (´・ω・` ) <コーヒーフレッシュ

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