『三密』と『内証』

「『三密』を避けてください」


コロナ禍で某都知事がこんな事言ってましたが、仏教用語を知っている身の上では、大爆笑ものでした。


この発言を聞いた時、「こいつ、魔王マーラの回し者か!?」などと思いましたとも。


普段使いしている『三密』だと、「密閉・密集・密接」の事だというのは皆さんもご存じの通りで、この3つの状況を避けることにより、コロナの感染率を下げるのを目的とします。


しかし、仏教用語における『三密』は別物です。


避けるどころか、むしろ進んで体得せねばならない悟りへの道筋です。


すなわち、仏教における『三密』とは密教系において重要視されており、その正体は「身密・口密・意密」の事を指しています。


“身密”とは、その手に諸尊の印相いんそうを組む事です。


加持祈祷の際、お坊さんが手で様々な印を組んでいるのを見たことがある人もいると思いますが、あれには全部意味があり、正しく印を結ぶことで仏と一体になれる要素が含まれています。


また、仏像にもこれが当てはまり、同じ仏の像であっても、組んである印によって、その像が持つ意味が異なってきます。


その印が内証(仏の悟りの境地)の持つ意味を表示しているというわけです。


実際、同じ大仏であっても、奈良の大仏は施無畏与願印せむいよがんいんが組まれ、鎌倉の大仏は定印じょういんが組まれています。


前者は「信者の祈りを聞き届けてそれを叶える」と言う意味であり、後者は「現在瞑想中です」というのを表しています。


なお、内証は「常人が容易に意慮分別して推測できないということを強調して用いられる言葉」であり、この見えざる状態の真理が転じて『内緒』の語源になっています。


他人には分からないからこその『内緒(内証)』と言うわけですね。


さて、話は少し逸れましたが、『三密』の2つ目“口密”とは、真言を唱える事です。


この世界は六塵(見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、考える)を主体として形成されると考えられています。


そして、六塵における宇宙の真理とは、如来による差別なき『三密』によるものであるとされます。


“情報としての言語”ではなく、“叡智としての言語”としての“真言”を語ろうとしており、言語を正確に発音し、正しく理解することが必要とされました。


すなわち、“口密”とは真言を読誦どくじゅする事であり、その際に正確な発音と、発した言語を正しく理解することなのです。


3つ目の『三密』、“意密”とは心の内に仏の世界、すなわち曼荼羅まんだらを想い描く事です。


正しく印を組み、真言を唱える事で仏と一体となり、己の内なる世界に仏を想い描けるようになります。


身体と、言葉と、心が一体となり、法の光が満ちていく。それが内に描いた曼荼羅であり、仏を感じ、思い、同化していくのです。


「身密・口密・意密」すなわち、『三密』について、空海上人はこう示しています。



「宇宙の根源から発せられた人間の声すべてのこの世界の音を理解し、体得し、それと同一になることで、自分だけではなく、すべての衆生の救済を目的とする」



『三密』はそのための手段なのです。


悟りを開いた仏であれば、衆生を意のままに一致させることができる(無相の三密)が、人の身ではそれはできません。


ゆえに、正しく印を組み、正確な発音で真言を唱え、心の内に曼荼羅を描く。これでようやく『三密』を実行できるのです。(有相の三密)


正しい動作、正しい発言あっての真言、真理であり、仏を感じるための手段、それが『三密』というわけです。


普段使いしている『三密』と違い、仏教における『三密』がいかに重要であるかはお判りいただけたでしょう。


誤解を承知で敢えて言いますが、『三密』を率先して受け入れましょう! 実行しましょう! 


でも、『内証(内緒)』でね♪



三密避けてる?>( -ω-)人  (´・ω・` ) <そもそも人がおらん田舎や

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