『無知の知』 三賢者の到達点
『無知の知』
これはギリシャの哲学者ソクラテスの代名詞的な言葉です。
ソクラテスは政治家、詩人、職人など知恵を有していると考えている人々を訪ね歩き、問答を通じて自分以上の賢者を見つけ出そうとしました。
しかし、その結果、ソクラテスは、ある事実に気がつきます。
それは以下の2点です。
「知識を有しているとされる彼らは、自分自身に知恵があるとは思ってはいても、実際には知恵があるわけではないこと。実際は美しく、かつ立派なものを知っていると思い込んでいるに過ぎない」
「自分が知らないことについて『それを知っている』とは思っていない限り、彼らより知恵がある」
ソクラテスは知恵に関しては、自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が、人間たちの中で最も知恵ある者であるということだと解釈します。
これが、ソクラテスの考え方の中でもよく知られている 『無知の知』あるいは『不知の自覚』 と呼ばれるものです。
そして、中国の思想において根幹をなす儒教の創始者・孔子もまた、よく似た言葉が残しています。
子曰く、「由、汝に之を知るを
由は孔子の弟子である子路の事であり、粗暴でいつも孔子に窘められ、諭される男であり、度々出てくるこの師弟のやり取りは論語の中でも特に人気のある場面です。
上記の訳は以下である。
「子路よ、お前に『これを知る』ということを教えよう。知っていることを知っていることとして、知らないことは知らないこととしなさい。これが知るということだ」
孔子もまた、ソクラテスと同じことを考えていたという事です。
そして、仏陀もまたこの東西の賢者と似たような言葉を残しています。
「もしも愚者が『自分は愚かである』と知れば、それすなわち賢者である。だが、愚者でありながら、しかも自分は賢者だと思うものこそ、『愚者』と呼ばれるのだ」
仏陀の言葉の後半はよく見かけますよね。
よく知らないのにしたり顔で語り、ボロが出ると屁理屈をこねくり回す人が。
あれこそ“愚者”であると、仏陀はきっぱりと言っています。
ソクラテス、孔子、そして、仏陀、生まれ落ちた場所は違えど、歴史に名を遺す賢者が、奇しくも同じ思考をしていました。
ここまで来ると偶然ではなく、まさに真理なのかもしれません。
まずは己自身がどうであるのかを、しっかりと見つめていかなければならないということです。
そして、仏陀の言葉は次に繋がります。
「今日すべき事は明日に延ばすことなく、確かにしていく事こそ、よい一日を生きる道である」
「過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。ただ今と言う一瞬だけを、強く生きねばならない」
仏陀は今というものを大切にする人物で、これらはまさしく現在を見つめることの重要性を説いています。
『無知の知』にて己の事をよく観察し、自問し、その上で“今”という瞬間を大切にしてこそ、人生の道は開かれていくと説いたのです。
皆さんも自分と言うものを見つめ直し、その上で今を大切に生きていきましょう。
今を精一杯に生きる!>( -ω-)人 (´・ω・` )<人生とはかくあるべし
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