『呂律が回らない』のは、気の迷いか、はたまた病か?

呂律ろれつが回らない』


 口や周辺をうまく動かせなくなり、発する言葉が不明瞭になる状態を意味します。


 言葉をはっきり喋れない事を指す表現ですね。


 お酒の飲みすぎなどで、こういう状態になる事もあるでしょう。


 実は、この“呂律”というのは、仏教に関する言葉なのです。


 仏教的に言いますと、この“呂律”とは、言葉の調子を示す表現なのです。


 お経を聞いた方は分かるかと思いますが、読経するお坊さんは、言葉の調子を変えて読み上げています。


 音階や抑揚をつけてお経を読み上げる事を『声明しょうみょう』と呼びます。


 読経の際にはおおよそ三つの音階があり、それを“呂”、“律”、そして、その二つの中間である“中曲”を基本として読み上げています。


 ちなみに、これは民謡、演歌にも残っており、あの独特な声域は『声明しょうみょう』の流れが色濃く残っているというわけです。


 まあ、現在の歌謡曲の多くは“中曲”の領域に属するものばかりですが。


 そして、上記の三つを用いて、読み上げる際に抑揚をつける。つまり、“呂律”は、“呂”と“律”によってなされる読経の領域、音階、声域を指し表しているのです。


 そこより転じて、『呂律が回らない』とは、読経が上手くできない状態、活舌が悪い事を意味する言葉になったと言うわけです。


 さて、『呂律が回らない』と言う状態ですが、その多くはお酒の飲み過ぎで酔っぱらった状態だとイメージする方も多いでしょう。


 実際、そうした場面をよく見かけるわけですし、誤りではありません。


 しかし、健康的な理由で日常生活の中でいきなり出てしまう事もあります。


 構音障害、脳卒中、脳梗塞、舌部のガンなど、有り得そうな理由を上げていけばきりがないほどです。


 言葉は生活に直結するからこそ、その変化にも気付きやすい。


 もし、身近な方で急に『呂律が回らない』状態になる方がいたらば、それは体より発せられた“音”の警告です。


 すぐに検査する事をオススメします。


 皆さんも“口より発せられた警告”には、くれぐれも注意しましょう。


 余談ですが、京都・大原三千院の隣には、“呂川”と“律川”という二つの川が流れており、“呂律”に由来する名前になっています。



口は健康の源>( -ω-)人   (´・ω・` )<言葉も食事も口がないとな

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