仏の顔も三度まで!

『仏の顔も三度まで』



 どれほど温厚な聖人であろうとも、その我慢には限度があるという言葉です。


 これもよく耳にする言葉ですね。


 仏とは、もちろん仏陀のことですが、この“三度”は何に由来するのでしょうか?


 それはシャカ国滅亡の際に起こりました。


 仏陀の出身国であるシャカ国は小国であり、隣国で強勢を誇っていたコーサラ国の属国に近い立場でした。


 ある日、シャカ国との関係を強めようと考えていたコーサラ国から要求が出されました。



「貴国とより親密になるため、王族の中から王妃となるに相応しい美女を差し出せ」



 これがコーサラ国からの要求でした。


 仏陀の父である浄飯王シュッドーダナは悩みました。


 シャカ族の王族を娶り、それを理由にいずれ併合を狙っているのではないか、と。


 何より、シャカ族は他民族との婚儀を硬く戒めており、王族の姫を嫁がせることにそもそも消極的であった。


 そこで浄飯王はあろうことか、見目麗しいが身分が低い者を王族と偽り、これをコーサラ国に嫁がせるという策に出ました。


 当初はコーサラ国の王様も美しい妻に入れ込み、その間にヴィドゥーダバという王子が生まれます。


 ヴィドゥーダバは成長するにつれて優れた武芸の腕前を手にし、特に弓術においては並ぶ者がない程の腕前となった。


 また、学識を深めるために勉学にも励み、母親の実家であるシャカ国に留学して見聞を広めるほどであった。


 そして、その留学中に悲劇が起こった。


 ヴィドゥーダバはシャカ国に建てられた新しい講堂の落成式に赴き、“コーサラ国の王子”として上座に座した。


 ところがシャカ国の人々から冷たい視線を浴びせられ、しかも上座から引きずり降ろされたのみならず、鞭で打ち据えられた。



「下僕が生んだ子が、神聖なる獅子の座に座るなど汚らわしい!」



 このように罵倒され、ヴィドゥーダバは母の出自の秘密を知ってしまった。



「今日の事は覚えておくぞ。私が王になった暁には、その報いを必ず受けさせる!」



 こうしてヴィドゥーダバはシャカ国より立ち去った。


 そして、コーサラ国に帰国した後は、父王より疎まれる事となる。


 この当時は身分制度がガチガチに硬く、同じ階層の者同士でしか結婚が認められていなかった。


 そのため、貴族クシャトリア奴隷シュードラの結婚など認められるはずもなく、ヴィドゥーダバは廃嫡された挙げ句、母親共々追放の憂き目に合ってしまう。


 ここで仏陀が父王を説得し、ヴィドゥーダバと母親は追放を解かれ、どうにかコーサラ国に留まる事が出来た。


 だが、ヴィドゥーダバはこの事を忘れることは無かった。


 父王が遠征で出かけた隙に王城に乗り込み、持ち前の武勇でたちまちのし上がり、クーデターに成功した。


 父王を幽閉し、新たなるコーサラ国の王として君臨した。


 そして、王になると、彼はかつて受けた屈辱を晴らすべく、大軍勢を以てシャカ国に攻め込んだ。


 これに対し、再び仏陀がヴィドゥーダバの前に現れた。


 青々と生い茂る木がそこかしこにあるにもかかわらず、仏陀は敢えて枯れ木の下で瞑想を行った。


 行軍中にこれを見たヴィドゥーダバは、恩義のある仏陀に話しかけた。



「尊者よ、何故生い茂る木があると言うのに、わざわざ枯れた木の下で行を成すのか?」



「枯れ木と言えども、親族の陰は涼やかなるものである」



 ヴィドゥーダバはシャカの言葉を聞き、滅び行く一族を枯れ木に例え暗に撤退を促している事を察した。


 ヴィドゥーダバは止むなく引き返すも、すぐにかつての屈辱に心の炎を燃え上がらせ、またシャカ国に攻め込んだ。


 だが、再び仏陀が枯れ木の下で瞑想を行っていた。


 恩義ある尊者の前を素通りする事の出来なかったヴィドゥーダバは、再び仏陀に話しかけ、説得されて引き返す事となった。


 だが、また軍を返してシャカ国に攻め込み、また説得されて三度引き返す。


 ところが、四度目になると、そこには仏陀の姿が消えていたのだ。



「滅びゆくものは滅び行くにまかせるしかない」



 もはや国の滅びは断ち切れない因果の中にあり、どうする事も出来ないのだと言って、仏陀は進みゆくコーサラ国の軍隊を物陰から見送る事となった。


 これが『仏の顔も三度まで』の由来になったエピソードです。


 また、この際、仏陀の十大弟子の一人で、“神通第一”の呼び声高き目連モッガッラーナ尊者が持ち前の神通力を用い、コーサラ国の軍隊を押し返そうとしますが、すぐに仏陀に止められてしまった。



「宿縁は熟れた。シャカ族は今日、報いを受けねばならないのだ」



 すべては因果必然の業報。シャカ族の滅亡への因果の流れは、仏陀と言えどもどうすることも出来なかったのだ。


 なお、宗道者は政治とは無縁でなければならないと政治不介入を貫いた仏陀が、その生涯において唯一政治に関与したのが、故国の滅亡に関する事でした。


 息子の件もそうですが、やはり身内に関する想いと言うものは、耐え難い執着や苦痛を伴うものなのだと、仏陀自身が痛感してしまったことでしょう。


『仏の顔も三度まで』という言い回しを見ると、“3回目までは許される”と解釈する人も多いですが、正しくは「3回目で怒られている様子」を表しています。“仏の顔も三度撫ずれば腹立つ”とあり、3回目で腹を立てている様子が分かります。


『仏の顔も三度』という言葉ができたときに、本来はないはずの「まで」が加えられ、「仏の顔も三度まで」と使われるようになったといわれています。


 どれほど温厚な人であっても、三度も続くとさすがに嫌気がさしてしまうものなのですね。


 仏陀も因果の流れを断ち切るのを、三度目で諦めてしまいますから。


 結局、悪行は報いとなって自分に返ってくるもの。


 仏の顔が笑顔であるうちに、悔い改めて正道に立ち返ることが重要なのかもしれませんね。



許してクレメンス>( -ω-)人   (´・ω・` )<ええんやで(3回まで)

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