弘法大師とお遍路さん

『お遍路』


これは皆さんもご存じでしょう。


四国にある88か所の寺院を巡り、弘法大師こと空海上人の所縁の寺院を尋ねて回ると言う風習です。


独特な白装束に身を包み、四国をぐるっと一周する修行で、選んだ道にもよりますが、その全行程は1100~1400kmにもなります。


まともに歩けば、おおよそ40日になる行程です。


1日平均30kmほどの移動になりますが、歩き慣れていない方には結構きつい道のりですね。


さて、この88か所の霊場巡りはいつから始まったのかと言うと、実のところよく分かっていません。


古くから四国の地は“辺地へじ”として認識されていました。要するに、人が踏み入れ難い僻地というわけです。


しかし、人が踏み入れにくいからこそ修行の地としては最適であり、少なくとも平安期には修験者の間でこの地を踏破する事が修行であると認識されており、そうした中に若き日の空海上人もいました。


空海上人は讃岐さぬき国多度郡(現在の香川県善通寺市)の生まれで、若かりし日は四国の各所で修行を積んだと言われています。


特に高知の室戸岬での修行の際に、悟りを開いたとされています。


御厨人窟みくろどと呼ばれる自然浸食の洞窟で瞑想に耽り、ここで悟りを開きました。


また、この洞窟から見える景色は“空”と“海”だけであり、ここで空海を名乗るようになったと伝承されています。


この洞窟の側にある最御崎寺ほつみさきじは札所の一つで、高知県内では最初の札所になっています。


さて、お遍路の旅路ですが、色々と回り方がありますので、それについて解説いたしましょう。


まず、四国の名前からも、旧国名で4つの国があります。今でも4県ありますからね。


出発点となる第一札所の笠和山じくさわん霊山寺りょうぜんじから始まり、ぐるりと四国を一周して、第八十八札所の医王山いおうさん大窪寺おおくぼじまで巡行します。


また、京都の東寺が零番札所とする場合もあります。昔の都人がお遍路に出掛ける際、まずは東寺で拝んでから出発したと言う名残です。


阿波あわ国(現・徳島県)は『発心の道場』とされ、まずは修行に打ち込むぞと気合を入れるというわけです。


土佐とさ国(現・高知県)は『修行の道場』、伊予いよ国(現・愛媛県)は『菩提の道場』、讃岐国(現・香川県)は『涅槃の道場』となっています。


このお遍路には未だに空海上人が周回していると信じられており、旅先でばったりと出会う事があると考えられています。


阿闍梨あじゃり・空海との邂逅はお遍路を行う者にとっては最高の功徳であり、いつか縁が結び付き、会えると信じて何度も周回する人がいるほどです。


そして、これら88か所の霊場を1番から88番まで番号順に回る事を『順打ち』と言い、特に一度の旅路で一気に回る事を『通し打ち』と言います。


また、移動距離が長く、一気に回れない人も多いため、小分けにして回る事もあり、

小刻みに回る事を『区切り打ち』、一国ずつ回る事を『一国参り』と呼んだりします。


番号に縛られず、順不同で88か所を参拝する事を『乱れ打ち』と呼びます。


また、88番目の大窪寺から番号を遡って逆走する事を『逆打ち』と呼びます。


この『逆打ち』は閏年うるうどしに行うのが良いとされ、4年に1度、『逆打ち』を行う人が急増します。


これは衛門三郎の伝説に由来します。



                 ***



衛門三郎は伊予国の商人で、大層な権勢を誇っていたが、欲深く、人々から忌み嫌われていた。


そんな衛門三郎の家に、一人の僧侶が托鉢にやって来た。


衛門三郎はその僧侶を粗略に扱い、果てに持っていた箒で托鉢の椀を叩き落とす始末。


椀は地面に落ち、8つに割れてしまった。


これが衛門三郎の不幸の始まりとなった。


衛門三郎には8人の子供がいたが、その子供達が次々と不幸に見舞われ、8人全員が亡くなってしまった。


悲しみに沈む衛門三郎は、夢の中でかつて家を訪ねてきた僧侶の姿を見た。


そして、気付いた。その僧侶こそ、弘法大師その人であると。


大師様に侘びねばならぬ、そう考えた衛門三郎は家財を全部売り払い、お遍路を進み、弘法大師の後を追う事とした。


しかし、『順打ち』で20周も回ったが、一向に弘法大師の足取りは掴めなかった。


そこで衛門三郎は発想を変えた。



衛門三郎

「そうだ。順路を逆に回れば、大師様に会えるのではないか!?」



こうして衛門三郎は、今度は『逆打ち』でお遍路を進み、大師の姿を求めて再び旅路に出た。


しかし、『逆打ち』の3周目で病を得てしまい、阿波国の焼山寺(12番目札所)で臨終の時を迎える事となった。


そんな時、一人の僧侶が病に伏せる衛門三郎の前に現れた。


その僧侶こそ、弘法大師その人であった。


衛門三郎はようやく会えた弘法大師に、かつての無礼を詫びた。


弘法大師もまた、その熱意を感じ取り、これを許した。



弘法大師

「衛門三郎よ、何か望みはあるか?」


衛門三郎

「今世において、非道を働きました。来世では我が故郷・伊予国のために働きたい」



そう言って、弘法大師に看取られて、衛門三郎は息を引き取った。


この時、弘法大師は『衛門三郎』と石に彫り、それを遺体の左手に握らせた。


程なくして、伊予国の豪族・河野氏本家に男児が生まれた。


奇妙な事に、その男児は左手を握ったまま一向に開こうとしなかった。


河野家当主・河野息利かわのおきとしは我が子の奇妙な姿を不思議に思い、安養寺の僧侶に祈祷を頼んだところ、ようやくにしてその左手が開いた。


そして、赤子の手には石が握られており、そこには『衛門三郎』の名が刻まれていた。



                 ***



この衛門三郎の伝説が、お遍路巡行の始まりとされています。


なお、この時の石は安養寺に大切に保管され、寺も名をこの伝説にちなんで石手寺いしてじと変えています。


石手寺は51番目の札所になっていますね。


そして、衛門三郎が弘法大師と再会できたのが閏年なのです。


この伝説があるので閏年には『逆打ち』をすれば弘法大師に会える確率が上がると言われ、その出現率・御利益が3倍になると言う俗説まであるくらいです。


このように、お遍路を回る人は弘法大師・空海上人に出会う事を願っており、一心不乱に各地の寺院を回り、祈願しています。


四国の道路事情が改善され、また案内標識も便利になってきており、かつてほどの苦労はなくなりましたが、それでも何度も周回するのはかなりの荒行です。


大手ツアー会社もお遍路ツアーを組み、バスで回る事もできるようになりました。


マイカーお遍路、ちゃりんこお遍路などもあります。


なお、現在のお遍路周回最高記録は“280回”です。


中務茂兵衛なかつかさもへいという方が、慶応2年(1866年)から大正11年(1922年)の56年間で打ち立てた記録です。


年平均5回、移動距離は30万㎞を超えています。


自分も一度はお遍路巡行をやってみたいと思っています。


皆さんも弘法大師との縁、深めてみませんか?



弘法大師ガチャ!>( -ω-)人  (´・ω・` )<閏年は出現率3倍!

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