人助けをして教団追放!?
仏陀より戒律を受けた出家者のお話。
ある時、雨で川が増水しているところに居合わせた出家者が、川岸で困り顔で立ち往生している“女性”に出会いました。
何事かと尋ねてみると、どうしても向こう岸に渡る用事があり、この川の有様では渡ることができないと嘆いていたのです。
出家者は悩んだ末に“女性”を担いで増水した川を渡り切り、女性を無事に対岸まで送り届けました。
その足で急いで仏陀の下へ向かい、拝礼してこう述べた。
「私は川が増水して困っている“女性”を見捨てられず、その人を担いで対岸に渡してしまいました。“女性”に触れてはならない、という戒を破ってしまいました。どうか私を破門してください」
仏教には出家者が破ってはならない十戒があり、その内の一つに
“女性”を担いだと言う事は、“女性”と体を密着させたと言う事であり、明確に戒に抵触しているということです。
困っている“人”を助けた善行なんだし別にいいんじゃない? と思われるかもしれませんが、それこそまさにその通り!
ここに落とし穴、と言うか認識の差異が生じます。衆生と出家者では、見ている世界が違うのです。
出家者は困っている人を“女性”と認識したため、戒を破ってしまった。
もしこれを“女性”ではなくただの“人”と性別を意識しなければよかったのですが、“女性”を意識してしまったがための失敗です。
心の隙間に
仏陀もそれをすぐに認識し、進んで戒を破ったと言う自覚もあるので、教団からの追放を言い渡し、出家者がまとっていた
こうして教団から追放された男ですが、その去り際、男の背中に仏陀はこう語りかけました。
「また来なさい」
教団を去った男は折を見て再び仏陀の前に現れ、教団への再入信を述べ、仏陀もまたそれを温かく迎え入れました。
そして、再び出家者となった男は、“元”後輩達に頭を下げて拝礼し、その教えを請いました。
再入信したわけですから、今度は自分が後輩になります。
以前の事をリセットして初心に帰り、かつての後輩にも頭を下げたというわけです。
「貪と瞋に打ち勝って、生と死の彼岸に至る者となれ」
これは仏陀の言葉ですが、噛み砕いていうと「執着と怒りを捨て去って生と死の超越者になろう」という悟りの境地を教えた言葉です。
“彼岸”とは川の向こう岸を意味します。
そして、仏教では悟りへの妨げとして、“暴流”という言葉を用います。
“暴流”を越え、“彼岸”に到達する事を悟り、すなわち
再入信した男は修行を重ねて
あるいは、増水した川を乗り越えた彼は、手順を誤っただけで、解脱のための資質をすでに備えていたのかもしれませんね。
そうです。人生、やり直しが利くのです。
一度や二度の失敗でへこたれてはいけません。
命が尽きない限り、再出発の機会はあるのです。
要は、心持ち一つで人生はどうとでも切り開いていけると言う事です。
さあ皆さん、前を向いて進んで行きましょう。
倒れても起き上がればいい。
失敗してもやり直せばいい。
「また来なさい」
そう、諦めない強靭な精神こそ、成功へ導く唯一無二の道標なのですから。
よろしく、先輩>( -ω-)人 (´・ω・` ) <歓迎するで、“元”先輩
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