第48話 ウィリアムの悩み
「――アム様……、ウィリアム様!」
「――っ」
ルイスに名前を呼ばれ、ウィリアムはようやく意識を引き戻した。
ウィリアムが顔を上げれば、ルイスが心配そうに自分を見つめている。
「まだ半分も来ていませんが……ご気分でも悪くされましたか? やはりもう少しいい馬車を用意するべきでしたね」
――二人はライオネルの屋敷までアメリアを迎えに行く道中であった。
だがこの馬車は侯爵家のものでも伯爵家のものでもなく、目立たないようにと街で借りて来た一回り小さい二頭馬車である。それは屋根こそ付いているが、貴族の馬車に比べると揺れは激しく、お世辞にも乗り心地がいいとは言えないものであった。
そのためルイスは、ウィリアムが乗り物酔いをしたのではないかと考えたのだ。
けれどウィリアムは首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。――ただ、彼女をこの馬車に乗せるのは問題な気がするが」
そう言ってウィリアムは自嘲気味に笑った。するとルイスは悔しげに顔を歪める。
「……申し訳、ございませんでした」
「どうしてお前が謝る。馬車を用意させたのは俺だ」
「いえ、そうではありません」
きっぱりと言い切るルイスの真剣な顔。そこに映る悲しげな色に、ウィリアムはルイスの言わんとすることを理解した。
「いいんだ。遅かれ早かれこうなるだろうと思っていた。アーサーとは……しばらく疎遠だったしな」
ウィリアムの視線が――ゆっくりと足先へ落ちる。
「――だが、まさか本当に……」
彼とて、安易にルイスの言葉を信じたわけではなかった。
ルイスが嘘を言っているとは思っていなかったが、それでもアーサーを心のどこかで信じていた。何かの間違いだと、誤解なのだと、否定してくれることを願っていた。けれどアーサーは否定しなかった。それは即ち、否を認めたということだ。
信じられなかった。信じたくなかった。アーサーがアメリアを
苦悩するウィリアムに、ルイスは懇願するように告げる。
「ウィリアム様、私が――私がアメリア様を推薦しなければ、こんなことにはならなかったのです。アメリア様の声が失われ、アーサー様と仲違いされてしまわれたのは全て私の責任でございます」
「……ルイス」
「アメリア様は今とてもお心を痛めていらっしゃいます。昨日、あの方は確かに私に微笑んでくださった。けれどそのご様子は、以前とはまるで別物でした」
ルイスの漆黒の瞳が、切なげに揺れる。
「ウィリアム様はあの方をお愛しにはならないでしょう。それに、あの方もウィリアム様をお愛しにはならない。そういう契約でございましたよね。けれどそれでも、今あの方をお守りできるのは、ウィリアム様……あなたしかいないのです」
「……っ」
刹那――ウィリアムは確信した。
ルイスの心の奥に秘められたアメリアへの強い想いを。アメリアが川に落ちたとき、今までになく動揺していた、ルイスの様子を思い出すと共に――。
「……ルイス。お前は彼女を愛しているのだな」
「――ッ」
ウィリアムの確信に満ちた問いに、ルイスは顔を強張らせる。
「いつからだ?」
「…………」
「いいんだ。責めてる訳じゃない」
そう言ったウィリアムの眉間には深い皺が寄っていたが――それでも、主人に問われれば答えないわけにはいかない。――ルイスは呟く。
「十年前から……です」
「十年だと……⁉」
「……はい」
「それほど前から彼女を知っていたのか? では、彼女を婚約者に推した本当の理由は……」
その可能性に思い当たったウィリアムは、困惑げに顔を歪めた。
「申し訳ございません。完全に……私情でございました」
「…………」
「……あの方のお傍に、どうしても近づきたかったのです」
突然語られた真実に、ウィリアムは困惑を通り越して憤る。
「そのことを、彼女は――」
「お伝えしておりません」
「違う! そんなことは百も承知だ! 俺が聞きたいのは、お前の気持ちを彼女に悟られてはいないのかということだ!」
「――っ」
「全く……お前といいアーサーといい……なんと面倒なことを……」
ウィリアムはいよいよ呆れかえった。力なく瞼を閉じて、必死に考えを巡らせる。
いったいどうすればこの事態を収拾できるだろうか、と。
――そもそも、この婚約はただの契約だ。お互いがお互いを愛さないという条件で結ばれた、形だけの婚約とその先の婚姻。お互いに愛など欠片も望んではいない。――それなのに。
こんな面倒な状況になってしまったら、彼女は婚約の白紙を提案してくることだろう。アーサーとは二度と関わりたくないと思うだろうし、ルイスの気持ちを知ればその想いはより強くなるはず。
だがそれでは困るのだ。今さら破談など侯爵家の評判に関わってしまう。
それにアメリアが声を無くした原因、それがアーサーだと周りに知られてはならない。そうしないためには――。
「アメリア嬢に……許しを請うしか――」
ウィリアムはゆっくりと瞼を開いて馬車の天井を仰ぎ見ると、力無く呟いた。
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