第41話 迫られる決断(前編)


「既に察していただけていると思いますが、僕はあなたと同じく過去の記憶を持つ人間です――と言っても、最初の頃の記憶はほとんど忘れてしまっておりますが」


 彼はそんな風に話を切り出した。


「それでも、初めて生まれ変わったときのことはよく覚えております。弓矢に当たって死んだと思ったら、赤子に戻っていたわけですから。はじめは死に際に夢でも見ているのかと思いました。けれどどうもそうではない。体の感覚も――痛みもある。自分の頭がおかしくなったのかと、酷く不安になったことを覚えています」


 ルイスのその言葉は、確かに彼が私と同類であることを示していた。

 彼が過去の記憶を引き継いでいる――紛れもない証拠だった。


「けれど驚きや困惑はすぐに歓喜に変わりました。前の人生の記憶があるということは、それを活かして人生をやり直せるということ。失敗を避け、前世の知恵を使い、僕はすぐに神童ともてはやされるようになりました。正直、おごりさえ感じていた。完璧な人生を歩むことができる――と。でもそんな未来は来ませんでした。結局僕は、病気であっけなく死んだんです」


 ――そのときの記憶が蘇るのか、ルイスの表情が暗く陰る。


「でもそれでは終わらなかった。僕はまた蘇った。身体こそ違うものの、何度死んでも蘇る。それも膨大な記憶を抱えて……。人間って本当に不思議で、幸せな記憶より辛い記憶の方が鮮明に残るんです。過去の痛みや過ち、自分の犯した罪、それを忘れられぬまま生きていかなければならない……その辛さといったらない……地獄ですよ。普通の人間はそれがないと思うと、それだけで心底羨ましくなることがあります。あなたもそうは思いませんか?」


 ――ああ、確かにそうだ。私だって何度も思った。彼と同じことを、何度も何度も考えた。

 忘れられたらどんなに楽か、それだけを願って死を迎えたこともあった。


「僕はね、アメリア様。昔話をするのは好きじゃないんです。僕にとって過去とは、忘れてしまいたいものだから」


 彼の瞳が、私を見つめて離さない。けれどその瞳は私ではなく、もっとずっと遠くを見ているように思えて――そう、それはきっと、彼のいにしえの記憶……。


「僕の正体……それは僕自身にもわかりません。僕の方こそ教えてもらいたいくらいです。死んでも記憶が消えないのはなぜなのか……どうして、僕らだけこうなのか。残念ながら、今の僕には答えることができません」


 彼は寂しげに瞳を揺らし――話を続ける。


「ですが……それでも救いはありました。アメリア様――僕は……僕の力は消えない記憶だけではないんです。僕は、僕らのような不思議な力の存在を、誰がどのような力を持っているのかを感じ取ることができる。つまり、僕は今まで沢山の同族と出会ってきたんですよ。動物と話をする青年、歌で雨を呼ぶ少女、未来を予知する女性……そんな不思議な力を持った人間と、僕は何度も出会い、共に過ごしてきた。それは束の間の救いでした。彼らと共にいるときは、僕もただの人間になれたような気がした。――でもそんな時間は長くは続かない。人は必ず死にますから。死ねば、僕を忘れてしまうから……」


 それは彼の心の叫びに聞こえた。彼の心の奥底に秘められた、本当の気持ちに思えてならなかった。


「彼らとの出会いを、共に過ごした時間を後悔したことはありません。それは僕にとって幸福な時間に違いなかったから。けれどそれでも寂しさが消えることはなかった。むしろ増すばかりだった。理屈じゃない。あなたになら、わかるでしょう?」


 ――ああ、わからないはずがない。彼の気持ちを理解できないはずがない。


 私だからこそ理解できる。私だけが、理解できる。彼の気持ちを、痛いほどに……。


「あなたに出会えたのは奇跡だと思っています。正直、僕は諦めていた。僕と同じ力を持つ人はいないんだと、諦めてしまっていた。けれど今僕はこうして、あなたを前にしている」


 ルイスの切なる眼差し。


 その訴えるような瞳に、私は気付いてしまった。ルイスが私を探していた理由に。彼が私に執着する、その訳に……。


「僕がウィリアム様に出会ったのは偶然でした。いいえ――僕は無意識のうちに同族を探していましたから、偶然と言ったら語弊があるかもしれません。ウィリアム様を初めてお見かけしたとき、確かに何らかの力を感じました。けれどそれはあまりに微弱で、しかも彼自身の力ではなかった。もうおわかりでしょう? それはあなたの力だったのです」


 それはきっと、私がウィリアムを愛すと死ぬ――その繋がりのことを指しているのだろう。


「けれど当時、僕はあなたの素性を知りませんでしたし、ウィリアム様に尋ねるわけにもいかなかった。僕がわかるのは、ウィリアム様から感じるあなたの気配だけ。まだ子供だった僕には、あなたを探す術がなかった。――けれど五年の月日が経過したある日のこと、幸運なことに僕はあなたを見つけたのです」


 ――うちの執事の情報によれば、確かルイスとウィリアムが出会ったのはウィリアムが七歳、ルイスが九歳のときだったはず。当時、私はまだ三歳。五年後でさえ八歳だ。外出すらほとんどしない年齢であるから、見つけられなかったのも無理はない。


「アーサー様の十二歳の誕生日パーティーでのことでした。アーサー様と年の近い、国中の貴族のご子息、ご息女が集められたそのパーティーに、僕はウィリアム様の側仕えとして出席していました。あなたを見つけたのはそのときです。けれど遠目だったため、素性を知るまでは叶わなかった。せめて肖像画の一枚でもあれば探しやすかったのですが……」


 ルイスはかなり苦労したのだろう。人との接触を避け、友人のひとりだって作らなかった私を見つけるのは、至難の業だったはず。


 アーサー様の誕生日パーティーのときでさえ、私は開始直後に抜け出したのだ。

 そんな短時間で私を見つけるほど、彼は私に執着している……それはきっと本当だ。


 でも、だとしたら疑問が残る。ルイスが私の力に気付いていたというのなら、私とウィリアムの間の良くない因縁についても気付いているはず。それなのに、私とウィリアムを結婚させるというのはおかしいのではないか。


 私がそう思案していると、ルイスは心を読んだようで……。


「あなたの考えはわかります。確かに、僕はあなたとウィリアム様の間に何か良からぬ縁があると気付いている。ですが、だからこそ僕はウィリアム様にあなたとの婚約を勧めたのです。あなたとウィリアム様の縁を完全に断ち切り……あの方のお命……いては魂そのものを、お救いするために――」

「……?」


 私は困惑する。どういう意味かわからずに……。


「アメリア様、あなたもお気付きなのではありませんか? あの方の魂は非常に不安定な状態です。お二人の縁はあまりに強く、けれどそれは決して好ましいものではない。このまま何もせず放っておいて、改善されることはまずないでしょう。――ですから」


 刹那――ルイスの眼差しが鋭くなる。

 射るように、どこか責めるように……私を見据える。


「僕はあなたがたの縁を完全に断ち切りたいと考えている。僕になら、それが可能です」

「――っ」


 ルイスのその言葉に――その真剣すぎる瞳に――私の心臓が大きく跳ねた。


 なぜならそれは、私が長きに渡り望んできたことだったから。彼との縁を断ち切り、彼の命を守る。それこそが私の悲願であるのだから。


 ああ、ルイスならそれが可能だと? だが、いったいどのような方法で……?


 私の問いに答えるように、ルイスはゆっくりとまばたきをする。そして言った。


「当然、いくつか条件がございますが」――と、試すように。私の想いを、推し量るように。


 ――私に彼の真意などわかるはずがない。その条件が何なのか、想像一つつきはしない。


 それでも一つだけ確かなこと。それはルイスの提案を受け入れる以外、選択肢はないのだということ。

 それにもはや私には、失うものは何もない。――私は、頷く。


 するとルイスは満足げに口角を上げた。

「覚悟はできているというわけですね」そう言って指を二本立てる。


「ウィリアム様をお救いするため、あなたにのんでもらわねばならない条件は二つ。――まず一つ目、ウィリアム様とあなたの繋がりを断ち切るそのときが来るまで、決して僕の命令に背かないこと」


 それは当然の条件だろう。何の問題もない。私は再び頷く。


「では二つ目。晴れてあなたがその呪縛から解放されたあかつきには、僕と共に生きること。これから先、未来永劫みらいえいごう、共にその魂が尽き果てるまで」

「――っ」


 真剣な顔で私を見つめる漆黒の瞳。その色が、微かに揺らめく。

 それは多分――彼の深い孤独と、寂しさを秘めた色。

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