第42話 迫られる決断(後編)
「誓ってください。全てを捨てて僕と共にここを去ることを」
「――ッ」
ルイスのその眼差しに――言葉に、私の思考は今にも停止しそうになる。
ルイスと共に生きる。その言葉の意味がわからないほど、馬鹿なつもりはない。
彼の瞳に映る、私への期待と不安。それは、とても人間らしい色をしていた。
「アメリア様……僕をどうか、受け入れてください」
切なげに揺れる彼の瞳。それがあまりに切なくて、私は答えられなかった。
――だってあまりにも突然で。それに千年経った今でさえ、私はエリオットのことを忘れられていないのだから。今聞かされた話以外、ルイスのことを何一つ知らないのだから。
確かにルイスの気持ちは理解できる。忘れたくても忘れられない記憶に苦しめられ、過去に縛られ、いつだって心の中は孤独で満たされている。
その辛さを、苦しみを、誰かと分かち合えたらどんなにいいか。――私だって何度もそう思った。
別の相手を見つけても、必ず訪れる死が再び私を孤独へといざなう。それに堪えられず、いつしか誰も愛することができなくなった。
そんな自分が嫌で、気付けば独りきりで過ごすようになった。
寂しかった。本当に寂しかった。涙さえ枯れるほどに。――ルイスもそうだったのかもしれない。きっとそうだったのだ。
けれど私はまだこの男の言葉を信用したわけではない。
確かに、ルイスが過去の記憶を持っていて、ウィリアムを助ける方法を知っているのは事実だろう。けれどアーサーは言っていたではないか。ルイスには気をつけろ、と。
――ああ、だけど。それでも……。
ここで私が頷けばウィリアムはきっと助かる。それが意味するものが、彼との永遠の別れだったとしても……その先の未来、二度と彼の傍にいられなくなろうとも……。
「アメリア様……答えを」
――窓から吹き込む初夏の風が、ルイスと私の間を駆け抜ける。
その爽やかな風に背中を押され、私はようやく決意した。
迷うな、と自身に言い聞かせ、震える手でペンを走らせる。
そしてそれを、ルイスの眼前に突き付けた。
『承諾するわ。けれど、万が一でもウィリアムを助けられないなんてことになったら、私はあなたを殺す。たとえそれが何の意味もないことだとしても』
「……ほう」
私の宣言に、ルイスはまるで感嘆に近い声を漏らし、その瞳を鋭く細める。――が、それも束の間、彼は満足げに微笑んだ。
「いいでしょう。万が一にもそんなことはあり得ませんが、もしものときは喜んで、あなたにこの命を捧げましょう」
射抜くようなルイスの視線。
そこには何の不安も映っていない。あるのはただ、絶対的な自信だけ。
そんな彼の表情に、私は確信する。ルイスは必ずウィリアムの命を助けるだろう。
ああ、ならば私も受け入れなければ。
ウィリアムの命を救い、ルイスと共に生きる。その、覚悟を――。
――私たちはしばらく見つめ合っていた。
短くも、とても長い沈黙。それは死ぬ間際の走馬灯のように、私たちの間を流れていく。
部屋に冴え渡る、十二時を告げる教会の鐘の音。
その音は私たちの呪われた運命を祝福するかのように……何度も、何度も、繰り返し鳴り響く。
「これで……契約は成立です」
鐘の音の余韻を残し宣言されたルイスの言葉。
その言葉に、私はひとまず安堵した。が、それも束の間――突然彼は様子を変えた。
それはどこか危うげに。――その理由を、私はすぐに知ることになる。
彼は音もなく立ち上がり、私に背を向けた。
その手が、開け放たれたままの窓枠に掛かる。
「ではさっそくですが……ウィリアム様のお命をお救いするために、僕があなたに望むこと。それはただ一点のみです」
背を向けたまま再び語り出すルイス。そのどこか憂える声に、身体が緊張で強張る。
ルイスが私に望むこと……きっとそれこそが、ウィリアムの呪いを破る方法なのだ。
私はルイスの言葉の続きを待つ。少しの沈黙の後、ようやく彼は言った。
「あなたには、ウィリアム様を愛していただきます」
「――ッ」
放たれた言葉は私の想像を絶するもので――私は戦慄する。
だってあり得ないことだ。ウィリアムを愛せなどと……それでは彼は死んでしまうではないか。
けれどルイスは首を横に振る。
「大丈夫です。彼は死にません。僕があなたの、傍にいる間は」
――全く、意味がわからない。
「先ほどは言いませんでしたが、僕にはもう一つ力があります。それは他人の能力を制御する力。ですから僕が傍にいる間は、彼があなたの力によって死ぬことはありません」
「――っ」
――何だ、それは。
それなら……そんなことができるなら、ルイスさえいれば私は彼の傍に居続けられるということではないのか。呪いを解かずとも――ルイスがいてくれさえすれば、彼は死なないということではないのか。
――一瞬で頭に血が上る。ウィリアムの命を助けたいと言っておいて、結局この男の目的は私を手に入れることだけなのではと、そんな考えに囚われる。
私の右手が、自分の意思とは関係無しに――自分の太ももへと伸びた。
今までもずっとそうであった……そうしてきた、それと同じように――一瞬のうちにルイスとの距離を詰め、ドレスの裾を翻す。そして、隠し持った短刀を――。
「――!」
けれど、それは叶わなかった。ないのだ、どこにも。あるはずの短刀が。
結局私はそれ以上どうすることもできず、やり場のない怒りを瞳に込める。
そんな私に、ルイスは――。
「……僕が憎いですか?」
ただ寂しそうに、微笑むだけ……。
「僕を殺したいですか?」
――殺したいわ。でもそんなことをしたら、ウィリアムが死んでしまう。
私はただルイスを睨みつける。
「……そうですか。ではこうしましょう。先ほどの条件、変えて差し上げます」
「――――」
「ウィリアム様のお命をお救いした暁には、あなたが僕を殺してください。そうしたら、僕は綺麗さっぱりあなたを諦めます。――ね? これならいいでしょう?」
「――ッ」
そう言った彼の瞳は、真っ暗な闇に囚われたように深い狂気に揺れていた。
私は思わず後ずさる。全身から汗が噴き出して……身体が震えて、足がすくむ。
「いいですか、アメリア様。これは命令です。あなたはこれからウィリアム様を愛し、愛されるのです。その間に僕はアーサー様の目を手に入れる。あなたとウィリアム様の繋がりを断つためには、どうしてもそれが必要ですから」
ルイスの表情は、ただ狂気に満ちている。
彼から立ち上る黒いオーラは、すべての生気を吸い取ってしまいそうなほどに禍々しい。
ああ――本当にこれが人間の持つオーラなのか。何がルイスをここまで狂わせたのか。
「あなたはもう逃げられない。これが僕らの運命だ。――いいですね、あなたはただウィリアム様を心から愛するだけでいい。後は僕が全て、滞りなく処理しますよ」
そう言って微笑むルイスの唇は、漆黒の闇に浮かぶ三日月のように酷く歪んでいた。
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