第7章 そして賽は投げられた
第43話 王宮、寝所にて
薄いカーテンを透かして、窓から白い月明かりが射し込んでいる。
――そこはアーサーの寝室だった。
時刻は真夜中をとうに過ぎ、活動しているのは警備の衛兵以外にいないであろうと思われる薄暗い王宮内。その人払いされた一室で、アーサーは一人の女を伴い夜を過ごしていた。
「今日はなんだか、あまりご機嫌がよろしくないようですのね。何か、ございました?」
ベッドに横たわる、一糸まとわぬ女の姿。
彼女はアーサーの顔を覗き込もうとゆっくりと身体を起こす。艶やかなプラチナブロンドの髪が揺れ、同時に軋む、ベッドの音――。
彼女は美しかった。
丸みを帯びた魅惑的な身体つき。ふっくらとした薔薇色の唇。薄い青色の瞳に、透き通った白い肌。それはあたかも彫刻のごとく――娼婦のように淫らでもあった。
いや、この言い方は語弊があるだろう。事実、彼女は娼婦なのだから。
アーサーは女の問いに反応を示そうとしない。彼は物思いにふけるかのように、窓の外の月を見上げている。
それは女が再び声をかけても変わることなく、アーサーがようやく反応を示したのは、女の手が胸板をなぞったそのときだった。
「……どうした? ヴァイオレット」
アーサーは女をそう呼んで、自分の顔にかかる長い前髪を邪魔そうに掻き上げる。彼の銀色の髪が、月明かりに白くきらめいた。
ヴァイオレットはわざとらしく口を尖らせる。
「もう、酷い人。一月ぶりにようやく呼んでくださったと思ったら、ずっと上の空だなんて」
「何だ。不満か?」
「いいえ。でも――昨夜も遅いお帰りだったとお聞きしましたわ。誰か意中の相手でもできたんじゃないかって、王宮中の侍女が噂していますのよ」
「…………」
アーサーの眉間に皺が寄る。けれどそれも一瞬のこと。
「まさか。この俺に限ってあり得ない。お前はそれを誰よりもよく知っているだろう?」
アーサーの薄い笑み。それは妖しくもあり、また優美とも言える。
「もちろん存じ上げておりますわ。わたくしとあなたの仲ですもの」
ヴァイオレットは微笑んで、その豊満な胸をアーサーの胸板に押し付けた。そしてそのまま、アーサーの首筋にそっと唇を落とす。
「本当に美しいお身体ですわ、アーサー様」
その唇が、アーサーの身体に赤い印を付けていく。ゆっくりと、赤い
「……っ。おい、ヴァイオレット……目に付くところには……付けるなよ」
はぁっ――と吐息まじりに呟いて、アーサーはヴァイオレットの背中に手を伸ばした。
つるりとした陶器のようなキメの細かい白い肌。女の魅力を
「――く、……ぅ」
アーサーは熱を帯びていく自分自身に、唇を歪ませた。ヴァイオレットの体熱に侵され、その快楽にただ身をゆだねる。
けれど決して瞼を閉じることはなかった。目の前の美しい光景を一瞬でも見逃しては、損というものだ。
「……ああ、ヴァイオレット……お前は……本当に美しい」
「ふふ――光栄ですわ」
「……お前だけだ……この俺を、特別扱い……しないのは」
アーサーは甘い吐息を漏らしつつ、ヴァイオレットの髪を指先に絡めとる。――が、そのときだった。
どういうわけか、ヴァイオレットの動きがピタリと止まったのだ。
彼女の身体がゆっくりとアーサーから離れ――急にどうしたのかとアーサーが顔を覗き込めば、ヴァイオレットの長い前髪の奥の瞳がどこか不愉快そうに笑っていた。
「どうした、何がおかしい」
アーサーが尋ねると、ヴァイオレットは冷めた様子で前髪をそっと耳にかける。
「らしくないことをおっしゃるものだから。わたくし、あなたが王子でなかったらこのようなこと致しませんわ」
「…………」
自分たちの関係が不健全極まりないことは、アーサー自身が一番よく理解していた。
常識的に考えて、一国の王太子が娼婦に現を抜かすなどあってはならないことである。当然、素直な気持ちを伝えることなどできるはずもない。その気持ちを誤魔化すために彼女以外の複数の女と繋がりを持っているのだから、なおさらだ。
「確かにそのとおりだ。――だが、お前だけだぞ。この俺にそんな口を利くのは――」
「ふふふっ」
ヴァイオレットは今度こそ、心底おかしいと言わんばかりに声を漏らした。
「まるでわたくしを愛しているようなおっしゃりようですこと」
アーサーを見下ろし、にこりと微笑む。
「でもわたくしの勘違いですわよね? この関係に愛が不要であることは、あなたが一番よく理解されているはずですもの」
「当然だ。愛などと……馬鹿馬鹿しい」
「そうですわよね。安心致しましたわ。でも、わたくしすっかり
「……っ」
――まただと? ここまでしておいて? アーサーは内心そう思ったが、けれどこの雰囲気のまま最後までする気になれないのも事実である。受け入れる以外の選択肢はない。
アーサーはヴァイオレットの提案に、仕方なく無言で肯定の意を示す。
すると、そのときだった。まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、カツ、カツ――と、何かが窓を叩く音が聞こえた。
アーサーが目をやれば、そこには見覚えのある一羽の白い梟の姿がある。
――あれは……べネスか……?
彼は途端に顔色を変え、ローブを羽織り窓を開け放つ。夜の冷気が部屋に流れ込み、それがアーサーの熱を一気に冷ましていった。
「どうした、こんな夜更けに。何かあったのか?」
ウィリアムは時々こうしてルイスの梟を使い、アーサーに手紙をよこすことがある。当然それは、緊急性の高いときに限ってであるが……。
今回もそれだろうか。そう考えたアーサーがべネスに手を伸ばすと、べネスはアーサーの手のひらに筒状の手紙を落とし、再び夜の闇へと飛び立っていく。
ヴァイオレットはその様子を、ベッドの上から不思議そうに見つめていた。
アーサーは窓を背にして手紙を開く。すると中にはこう書かれていた。
《彼女のことで直接君に確認したいことがある。日が昇った一時間後にそちらへ出向く。外で待っていてくれ ―W―》
――何だ……?
アーサーはその内容に強い違和感を覚えた。
彼女とはアメリアのことだろうが……彼女が無事であったことは昼のうちに確認済みだ。だがそのとき、ウィリアムは何も言っていなかった――それなのに、今さら何だと言うのか。
――あの後何か問題が起きたのか? 直接確認したいこととはいったい何だ……?
頭を悩ませるアーサーを、どこか心配するヴァイオレットの声。
「アーサー様、お顔がとても怖いですわよ? 良くない知らせですの?」
その問いかけに、アーサーはいつの間にか手紙を握り潰していたことに気付く。
「いや……ただの恋文だ」
「まぁ……。でもその様子では、あまり上手くはないようですわね」
確かに、いいか悪いかと言われれば悪い方に違いない。便りがないのはいい便り、とはよく言ったものだ。
アーサーは沈黙したままベッドに腰かけ、サイドテーブルのマッチで手紙に火をつけた。手紙はあっという間に跡形もなく燃え尽きる。
それでも何一つ言おうとしないアーサーの背を、ヴァイオレットはしばらくの間悲しげに見つめていたが――ほどなくして、彼女は両手をパチンと合わせた。
「そうですわ。わたくし、傷心のアーサー様に昔話をして差し上げましょうか」
「何だ、それは」
「白い梟で思い出しましたの。この国の創世の神話ですわ」
「そんなものに興味はない」
「まぁまぁ、そんな冷たいことおっしゃらず――どうせ暇つぶしですわ」
「…………」
アーサーは深い溜め息をつく。
――まぁいいか。夜明けまではまだ十分時間がある。どうせ他にやることもない。
諦めた様子のアーサーに、ヴァイオレットは満足げに微笑みかける。
「昔むかし――まだこの地が人の住めない程に荒れ果てていた、そんな時代……」
そして彼女はその美しく流れるような声で、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
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