第22話 波乱の予感
エドワードとブライアンを置き去りにして、アメリアは一人きりで森の小道を進んでいく。
木々の隙間から午後の陽気に照らされてキラキラと輝く湖、その周りで風に揺れながら光を散らす草花――小鳥のさえずり、木の葉の擦れる音――。
澄んだ空気が肺をいっぱいに満たしていく。年中通して枯れ葉の積もった地面はとてもふかふかで、なんだかとても懐かしいような――切ないような気持ちが湧き上がる。
――そうだわ、そういえば昔……こんな森でよくあの人と……。
それは本当に遠い遠い昔。何も知らない
手をつないで歩いた。日が暮れるまで一緒に過ごした。時間を忘れて喋り合って、たわいない日常が楽しくて、私の名前を呼ぶその声が愛しくて……。
愛していた、愛していた。――心の底から愛していた。
彼以外何もいらないと……彼のためならば何でもできると、確かにそう思っていた。彼の幸せを……彼と幸せになることを心から願っていた。
家族が無くても、お金が無くても、彼さえいれば生きていられた――本当にそれだけだった。――なのに……。
幸せだった過去。大切な思い出。それがいつの間にか消し去りたい、思い出したくない記憶になっていた。なぜなのか、どうしてなのか、私の何が悪かったのか。最近はそんなことばかり考えてしまう。
けれどそれでも足を止めるわけにはいかない。ウィリアムは私を愛さないと誓ったけれど、それでも人の心は変わってしまう。いつかきっと彼はその誓いを破り、そのとき私は彼の前から姿を消すことになるだろう。だからそれまでは……ほんのわずかな間だとしても、私は彼の隣で偽りの笑顔を浮かべるのだ。
森の小道を歩きながら――アメリアは辛い記憶に想いを馳せていた。
すると、そのときだった。背後から落ち葉の踏みしめられる音が聞こえ、それと同時に名を呼ばれる。
それは王子、アーサーの声だった。
「待ってくれ、アメリア嬢。一人では危ない。散策するなら私がご一緒しよう」
「……殿下」
突然のアーサーの登場に、そしてその申し出に、アメリアは眉を寄せる。
――女性にだらしがないことで有名な王太子。
婚約者がいないのをいいことに、毎夜違う女を王宮に呼びつけては閨を共にするというもっぱらの噂。しかも相手は身分を問わず、貴族の子女から娼婦、使用人に至るまで、美しい娘にはすぐに手をつけるというのだから、好き者ぶりが知れるというもの。
そんな男と二人きりなどまっぴらごめん――アメリアは当然そう思った。
けれど相手は王子である。断ることなどできようはずもない。
「……森があまりに美しいものですから、つい夢中になってしまいましたの」
「そうだな。確かにここは美しい。けれど……あなたの輝きには決して及ばない」
アーサーは脈絡もなく告げると、アメリアの返事を待つことなく距離を縮める。そしてアメリアのすぐ前に立つと、にこりと微笑んだ。
「少し、歩こうか」
そこにはわずかな隙も無く、アメリアは半歩後ずさる。
――胸に広がる何かの予感。けれどまだ事が起きていない今、逃げ出すわけにはいかない。
アメリアは仕方なく――アーサーの視線から逃れるように顔を背け――小さく頷いた。
*
一方、カーラとウィリアム、そしてエドワードとブライアンの四人は湖の
そんな湖に浮かんでいる一隻のボート。乗っているのはカーラとウィリアムであった。ウィリアムは今までにないカーラの強い押しに負け、二人きりでボートに乗ることを承諾したのである。
エドワードとブライアンは、二人の乗るボートが岸から離れていくのを呆れた様子で眺めていた。
「結局カーラはアメリアと口を利かなかったよな」
「あぁ。まったく困った奴だよ」
正直予想の範疇ではあったが、あそこまであからさまに敵意を向けるとは思わなかった。
二人は口々にそんなことを言い合う。――と、それにしても。
「……あいつら遅いな」
エドワードは手近な丸太に腰を下ろして、未だ到着しないアメリアとアーサーの姿を思い浮かべた。ブライアンも頷きながら、隣の切り株に腰を下ろす。
「まぁ……でもどこ通ってもここに繋がってるし大丈夫だろ。アーサーもついてるし」
「いや……むしろアーサーと一緒っていうのがな」
「いやいや、さすがのあいつも彼女には手を出さないだろ。ウィリアムの婚約者だぞ」
「まぁなぁ。でもあの我が儘腹黒自己中王子、ほんっと節操ないからな」
エドワードは水面に向かって小石を投げつつため息をつく。
アーサーの女好きはアメリアの噂とは違って事実である。といっても、基本的に来るもの拒まず去るもの追わずなタイプなので、アメリアに手を出すとは考えにくいが……。
「でも彼女なら、アーサー相手でも一発かましてくれるんじゃないか?」
「そうかなぁ……そうだといいけど」
それに一番の心配ごとは他でもなく――。
二人はボートに乗った妹の姿を見つめる。
「あれは修羅場になるぜ……」
「あぁ。ほんっと勘弁してほしいよ」
二人は呟いて再び大きなため息をついた。が――。
「……あれ?」
突然、エドワードが首を
「どうした?」
「何か……忘れてる気がする」
「何かって?」
そうして次の瞬間――あっ、と声を上げる二人。
「――ルイス!」
二人は馬車を降りて以降一度も姿を見せていないルイスのことをようやく思い出し、思わず顔を見合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます