第16話 双子の追憶――貧民街の少年
「あのー、アメリア嬢?」
「アメリアで結構ですわ。わたくしも名前で呼ばせていただきますから」
「じゃあ……アメリア、本当に外に出るの?」
「ええ。どうせあなた方も、舞踏会なんて退屈だと思っていたのでしょう?」
「……まぁ」
「それは否定しないけど……」
二人はアメリアの誘いに乗り会場のテラスから庭園に抜けた。そして気付けば、会場の明かりの届かない屋敷の裏側に連れてこられていた。
そこでまさかと思った二人がアメリアに尋ねると、彼女は先の発言のとおり、屋敷の外に出ると言ったのだ。
まさか舞踏会を抜け出すなど前代未聞。最初は冗談かと思ったが、アメリアの表情は
「……だけど君、ご両親と来てるんだよな?」
「急にいなくなったら心配するんじゃないか?」
「嫌ならお戻りになって結構です」
その突き放すような言い方に、二人は顔を見合わせる。
――もうここまできたらヤケクソだ。乗りかかった船だ。
「行くよ、行けばいいんだろ」
「さすがに君一人で行かせられないし」
二人は投げやりに答える。するとその言葉に、アメリアが少しだけ微笑んだように見えた。
*
午後八時を過ぎた頃――三人は夜の街を歩いていた。
エドワードとブライアンがこの時間に街中を歩くのは、これが初めてのことである。
左右に建ち並ぶレンガ調の建物。お世辞にも明るいとは言えないオレンジ色の街灯でぼんやりと照らされた街の景色は、昼間とはまるで別物だ。
日中には人通りのない路地に並ぶ店は、夜になると開店し、酒を飲んで談笑する仕事終わりの男たちで溢れる。そんな男たちを誘うべく集う若く美しい女たちの姿もあった。
二人はそんな夜の日常を物珍しそうに眺め、街そのものが醸し出すミステリアスな雰囲気に形容しがたい興奮を感じていた。
――と同時に、二人はアメリアの迷い無い足取りを不思議に思う。
「なぁ――アメリア、もしかして君はいつもこんなことをしてるのか?」
エドワードが尋ねる。
けれどアメリアから返ってきたのは、「初めてですわ」という、あまりにもわかりやすすぎる嘘であって……。
「これはとんだおてんばお嬢様だな」
「まったくだ」
二人は口々に言いながら、けれど結局足を止めることなく、どこまでもアメリアの後を追いかけるのだった。
*
それからしばらく進んでいくと、二人はいつしか周囲の景色が変わっていることに気が付いた。
「……ここって」
自分たちが今いるであろう場所に予想をつけた二人は、思わず息をのむ。
通りは薄暗く街灯一本存在しない。頼りになるのは家々から漏れ出るわずかな灯りのみだ。
けれどそれだって、非常に弱々しく足元を照らすには不十分である。なぜなら灯りの
――そこは貧民街だった。
「アメリア……何かここ、ヤバくないか?」
「君、ここに友人でもいるの?」
二人はアメリアに尋ねる――が、返事はない。
けれどその代わりとでも言うように、彼女は一軒の家の前で立ち止まり、迷うことなく扉を叩いた。
「ミリアよ。入れてくれる?」
彼女がそう声をかければ、扉がわずかばかり隙間を空ける。そこから顔を覗かせたのは、十歳ほどの少年だった。
「こんばんは、ニック」
「…………」
少年はそれが確かにアメリアであることを確認すると、ほっと表情を緩めた。
けれどすぐにエドワードとブライアンの存在に気付いたようで、緊張に顔を
「……その人たちは?」
「わたしの友人よ」
「友人……?」
「そう。悪い人じゃないから大丈夫よ、安心して」
「…………」
アメリアが微笑むと、少年はようやく警戒心を解き、三人を中へと招き入れた。
部屋に入ったエドワードとブライアンが真っ先に思ったのは、「ここは本当に人が住む場所なのか?」ということだった。
まず全てのものが古びている。外観も酷いありさまだったが内装はそれ以上で、壁も天井もひび割れだらけ。家具は今にも壊れてしまうのではと思われるほどで、例えばテーブルの脚は折れそうだし、椅子においては脚が四本揃っていないものもある。
それ以前に、貴族であるエドワードとブライアンからしてみれば、ここを家と呼んでいいのか怪しいレベルだ。玄関ホールは無く、キッチンも寝室も分けられていない。当然浴室などあるわけがない。
ベッドも薄いマットの上にボロボロの毛布が数枚重ねてあるだけ。これから寒くなる季節だというのに、これで冬を越せるのだろうか。――エドワードとブライアンはそんなことを考える。
「どうぞ。座ってください。何もないところですが」
どこから見ても痩せすぎているその少年――ニックは、二脚しかない椅子をアメリア達に勧めた。
するとアメリアは、何の遠慮もなく片方の椅子に腰かける。――となると残る椅子は一つ。
二人は悩んだ挙句、立ったままでいることに決めた。
「にしても、ミリア様。今日のドレスは派手ですね。まだ夜会の途中なのでは?」
「ふふっ、そのとおりよ。あまりに退屈だったものだから抜けてきちゃったの」
「それは別にいいんですが。せめてそのドレスは脱いできてもらいたかったです。この辺は物騒だってわかっていますよね?」
「そうね、ごめんなさい。でも大丈夫よ。今日はこの二人も一緒だし」
「どうだか。見たところそちらの二人も貴族でしょう? この辺の奴らには勝てないと思いますよ」
ニックはエドワードとブライアンをちらりと一瞥し、アメリアに問いかける。
「まさかとは思いますが、今日はこの二人も一緒に……?」
するとアメリアは、ニコリと笑って肯定する。
「ええ、そうよ。いつものを出してくれる? この二人の分は……」
話が読めないエドワードとブライアンを置き去りに、アメリアはドレスの
「な――なぁ、俺たち、話が全くわからないんだけど」
「なんで金なんか渡すんだよ? 俺たちの分って、いったい何……?」
二人は訝しげにアメリアを見つめる。けれどやはり、アメリアは答えなかった。
彼女は二人の問いをひたすらに無視し、数枚の銅貨を少年に手渡す。
「これで足りるわね。あ、帽子も忘れちゃダメよ?」
少年は銅貨を数え終えると、満足げに顔を上げた。
「任せてください! すぐ用意しますね!」
彼はそう言って、駆け足で家から出ていく。
その足音が聞こえなくなってようやく、アメリアは二人の方を振り向いた。
「出掛けるわよ、二人とも」
アメリアはニコリと微笑む。――が、当然二人は困惑顔だ。
「出掛けるって、いったいどこに……。俺たち今も外出の真っ最中だと思うんだけど……」
「それに今の子供……君とどういう関係だ? そもそも親は? こんな時間に子供が家に一人ってあり得ないだろ!」
「それにミリアって何だよ。なんで偽名?」
二人は口々に問いかける。
するとアメリアは一層笑みを深くした。
「まだまだ夜は長いのよ。この姿じゃ目立つでしょ」
「…………」
二人は再び顔を見合わせる。
「まったく。君はいったいどんな教育を受けてきたんだ」
「君の家族はこのこと知ってる……わけないか。普通なら許さない」
「あら。ここに付いてきたという時点で、あなた方もわたくしと同じですわ。それに心配せずとも
アメリアの笑みに、二人は観念したように息を吐いた。
彼らも男だ。そこまで言われて引くわけにはいかない。
「いや、ここまで来たら最後まで付き合うさ」
「ああ、なんなら夜更けまででも――女王様」
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