第12話 ルイスの疑念
今朝は久しぶりに太陽が姿を見せている。時刻は午前七時を回った頃。
朝の仕事をいつもより早めに終わらせたルイスは、ウィンチェスター侯爵邸の長い廊下を足早に進んでいた。向かうはウィリアムの部屋である。
ルイスはウィリアムの付き人だ。付き人というのは、一般的な使用人とは違い、主人に近い立場で仕える者のことである。――にもかかわらず、彼は屋敷の
ルイスはウィリアムの部屋の前に立ち、扉を三度ノックする。だが返答はない。
昨夜のウィリアムの帰りは真夜中を回っていたから、おそらくまだ寝ているのであろう。そう考えたルイスは返事を待たずに扉を開け、声かけ一つせずに部屋の中へと踏み込んだ。
ルイスの予想どおり、ウィリアムはまだベッドの中にいた。
そんな主人を横目で見つつ、ルイスは部屋のカーテンを手際良く開けていく。
「ウィリアム様、朝でございますよ」
「……んん」
ルイスが声をかけると、ウィリアムは窓から差し込む朝日を避けるように寝返りをうつ。
――が、それ以上の反応はない。
ルイスはため息をつき、ウィリアムの肩を遠慮なく揺り動かした。
「ウィリアム様、約束の時間でございますよ。昨夜のことをお聞かせくださいませ」
「……あと……五分…………寝かせて……くれ……」
「……まったく、仕方のない人ですね」
ルイスは起きる気配のないウィリアムに再びため息をつきつつ、昨夜のウィリアムの様子を思い起こした。
ウィリアムは真夜中過ぎに両親と共に帰宅した。その際、父ロバートはウィリアムがアメリアと婚約をした旨を家令に告げていた。ウィリアムの様子もいつもと比べどこか浮ついていて、ルイスは不審に思ったのだ。いったい夜会で何があったのかと。
けれどルイスがウィリアムに尋ねても、ウィリアムはただアメリアと婚約したのだという、その事実しか教えてくれなかった。
そもそもアメリアが夜会に出席したというだけでも驚きなのに、それがまさか婚約に至るなど、ルイスには到底信じられないことであった。
ウィリアムに聞いても
しかしルイスに言わせればそれは決してあり得ないことだった。アメリアはあえて人間嫌いの振りをして、人との接触を避けて生きてきたはずなのだから。
それがウィリアムに対しても同じであることは、お茶会でのアメリアの態度によって証明されている。であるからして、アメリアがウィリアムの結婚の申し出を受け入れるとはまず考えられないのだ。
確かにルイスはアメリアを次期侯爵夫人にと考えていた。けれどこの流れはあまりに不自然である。いくらそれが望む結果であろうとも、不自然な過程から辿り着いた結果ならそれは疑わなければならない。
そう考えたルイスはどうにか食い下がり、翌朝改めて夜会での出来事を話すことを承諾させたのだった。
ルイスはウィリアムの寝顔を暗い瞳で見下ろす。
ルイスはこの一晩考えていた。なぜウィリアムは貴族の集う夜会などで結婚を申し込んだりしたのか、と。
皆の前であればさすがのアメリアでも断れないだろう、とでも考えたのだろうか。だとしたらあまりに浅はかだ。そうでなかったと信じたい。
ウィリアムの軽率な思いつきでないとしたら、アメリアの方から結婚を受け入れる意思を示したということもあり得るだろうか。いや、その可能性は低いだろう。
……が、一晩考えた末、やはりそれが一番納得のいく答えであると、ルイスは自身の中で結論を出していた。
社交場を避けてきたアメリアが不意打ちのようにウィリアムの前に現れたのは、自身の思惑どおりに事を進めるためであったのだろうと。
だが一つだけわからないことがある。昨夜のウィリアムのあの――どこか浮ついたような表情の理由だ。
「ウィリアム様」
ルイスは胸の内ポケットから懐中時計を取り出し、きっかり五分経ったことを確認してから再びウィリアムを呼んだ。
するとウィリアムはようやく瞼を薄く開き、焦点の定まらない瞳でルイスを見上げた。
「――ル……イス?」
ウィリアムはルイスの顔を認識して、
「なんでお前がここに……。ま……まさか夜這い⁉」
ウィリアムは勢いよくベッドから起き上がり、次の瞬間にはルイスから逃げるようにベッドの端に寄っていた。――ルイスの額に青筋が浮かぶ。
「朝っぱらからふざけないでいただけますか」
「悪い悪い。ちょっとした冗談だ」
「あなたの冗談は少しも面白くないんですよ」
「酷いな」
「事実を申したまでです」
ウィリアムは時折こうしてルイスに冗談をけしかけるのだが、残念なことに今だかつてそれが通じたことはない。
ウィリアムはつまらなそうにため息をついて、乱れた前髪を掻き上げ――その場に座り直した。
「それで? 何を聞きたいんだ。どうせお前のことだから、この一晩のうちに
「まぁ。ですが三点ほど確認したいことがございます。まず一つ目ですが――」
ルイスの瞳が、責めるようにウィリアムを見据える。
「昨夜お帰りになった際、あなたはなぜあのように嬉しそうになさっていたのですか」
「……は?」
「答えてください。アメリア嬢の何が、あなたをそうさせたのです」
「何が――と言われても……」
ウィリアムは困惑する。
その質問にいったいどんな意図があるんだ? ――一度はそう思ったが、けれどルイスのことだ。何か意味があるのだろう。ウィリアムはそう思い直す。
「そうだな……多分、アメリア嬢が思いの外面白い方だったから……かな」
「……面白い?」
「そうだ。お前の言ったとおり彼女の正体は悪女ではなかった。彼女はただの人間だったよ。けれど……」
「……けれど?」
「彼女は俺に言った。決して私を愛するな――と」
「…………」
「な? 面白いだろう?」
ウィリアムは無邪気に続ける。
「彼女は過去に愛した男がいるようだが、その男は死んでしまったそうだ。その男を忘れられないがために悪女を演じていたらしい。――が、自分を愛さない相手となら結婚してもいいと言ったよ。つまり、こちらとしても願ったり叶ったりな相手だったというわけだ」
「…………」
「それに……彼女のダンスは素晴らしかった。ルイス、いい女性を見つけてくれたな」
「…………」
「おい、さっきからどうして黙っている? 何か言ったらどうだ」
――ルイスの長い沈黙。それは普段のルイスから考えると不自然極まりない。
いったい何を考えているのか――ウィリアムはそう思ったが、ルイスの考えなどわかるはずもなく。
ウィリアムは仕方なく、浴室へ向かうためにルイスの目の前を横切った。――するとそのタイミングで、ようやくルイスが反応を示す。
「お待ちを。まだ二つ質問が残っております」
「お前な……」
言葉こそ丁寧であるがまるで横柄なルイスの態度に、ウィリアムは内心呆れかえる。――が、答えなければ顔も洗わせてもらえないと理解した彼は、仕方なく足を止めた。
「あとの質問ならわかっている。彼女の非凡な才能の理由と、俺の妻としてどのような働きをしてみせるのか、だろう?」
ウィリアムは続ける。
「彼女の才能の理由はまだ不明だ。そもそも俺たちはまだ知り合ったばかりだからな。そういう込み入った話をする仲じゃない。――が、これだけは約束してくれたよ。俺が誓いを破らない限り、彼女はその才を使って完璧な次期侯爵夫人を演じてみせる、と」
「誓いを破らない限り……」
ルイスはその意味を理解し、愉快そうにほくそ笑む。
「それは大変結構なことでございますね。ウィリアム様にとって、それほど簡単な誓いはございませんから」
「そうだろう? 俺もそう思っている」
ルイスはもう何も言わなかった。彼は浴室へ入っていく主人の背中を黙って見送る。
そしてその扉が閉まりきったのを見届けると、音もなく主人の部屋を後にした。
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