第3章 悪女の理由
第13話 カーラと兄と王太子(前編)
「どうしましょう……どうしましょう……」
まだ日の高い時間――少女は一人、部屋の中を行ったり来たりしていた。その部屋は少女のお気に入りの白い家具と、沢山のぬいぐるみで飾られたとても可愛らしい部屋。
まさに少女の心を写し出したような部屋である。
少女の名前はカーラ・スペンサー。スペンサー侯爵家の四人兄妹の末っ子に当たる。
先月十六になったばかりのカーラは、悲壮感溢れる様子で頭を抱えていた。
「あぁ、駄目だわ。どうしたらいいのかわからない。お兄さまに相談しようかしら……」
カーラはぶつぶつと呟いたかと思うと、せわしなく自室を後にする。向かうは屋敷の二階、一番奥の部屋だ。
カーラは長い廊下を一気に駆け抜けると、乱暴に扉を開け放った。
「お兄さまッ‼」
するとカーラの呼び声に返ってきたのは、苛立つような声と――罵声。
「ああッ、くそ、外したッ! ――カーラ! 部屋に入るときはノックしろっていつも言ってるだろ!」
それはカーラの二番目の兄、エドワードの声だった。
エドワードは、部屋のど真ん中に置かれたビリヤードのテーブルに上半身をかがめた体勢でカーラを睨みつける。どうやらストロークを外してしまったようだ。
その証拠に、エドワードのすぐ横には彼のミスを嬉々として眺める――エドワードと瓜二つの双子の弟――ブライアンの姿があった。
――それにしても、何度見ても凄い部屋。
そこにはエドワードとブライアンによって、賭け事という名のありとあらゆる娯楽が集められていた。トランプ、ダイス、チェスにダーツ、ルーレット、ビリヤード、そして先週カーラがここに入ったときにはなかったはずの、ボーリングらしきものまで用意されている。
カーラはそれらに一瞬気を取られるが、すぐさま我に返りエドワードを睨みつけた。
「エド兄さま! それどころではありませんの!」
カーラは扉を閉めぬまま、二人の兄へと歩み寄る。
「ウィリアム様が婚約なさったのです!」
叫ぶように言い放った彼女の顔は悪魔のような形相だ。
エドワードとブライアンはそんな妹の姿に、ははーんと顔を見合わせた。
「お前、まだウィリアムのこと好きだったのか」
エドワードはテーブルにもたれて両腕を組む。からかうような笑みと共に。
そんな兄と同じくして、双子の弟ブライアンもやれやれと肩をすくめた。
「お前さ、いい加減諦めろ。あいつはお前のことなんて眼中にないって」
「そうだぞ。それに絶対あいつ、釣った魚に餌をやらないタイプだぜ」
「ああ、お前とはいろんな意味で釣り合わない。悪いこと言わないから止めとけ」
兄たちの心ない言葉に、カーラの頬は怒りで赤く染まる。
「そんなことないわ! ウィリアム様はわたしと結婚してくださるって言ったもの!」
カーラは訴える。
――そう、確かにウィリアムは、昔カーラにそう告げた。
けれどエドワードとブライアンは、その事実を知りながらも再び顔を見合わせる。
「いや……それ本気か?」
「当たり前、ですわっ!」
「でもその約束、確か八歳のときのじゃなかったか? いっつもウィリアムの後ろにくっついてさ、二言目には結婚してくれ――って」
「それが何だと申しますのっ! ウィリアム様は言ってくださいましたわ! わたしが立派なレディになったら、結婚してくださると!」
「…………」
妹の必死な言い分に、二人は今度こそ「うーん」と唸る。
「それはさ、ほら、あれだ。社交辞令だろ」
「あぁ。さすがのお前でもそれくらいわかるだろ?」
「……っ」
「それに、ウィリアムは他の女性と婚約したんだ。それが答えだろ? 確かに急だったから、納得いかないかもしれないけどな」
「エドワードの言うとおり。今さらどうしようもないって」
「……っ」
兄らの言葉に、カーラはドレスの裾をギュッと握りしめる。
――本当に、もう諦めるしかないのだろうか、と。
昨夜のウィリアムのプロポーズ。それはカーラがずっと夢見てきたことだった。でも、相手は自分ではなかった。その事実は変わらない。――でも。
――嫌だ。諦めるなんて絶対嫌だ。だって、ウィリアム様のことを本当に愛しているのは、ずっと愛してきたのはこの私だ。確かにアメリア様はとても美しい方だったけれど、だからといって簡単に諦められるはずがない。
だがそんなカーラの思いを置き去りにして、エドワードとブライアンは好き勝手に話を進めていく。
「それにしてもウィリアムのやつ、いつの間にって感じだよな。相手って誰だっけ。侯爵家か? 伯爵家か?」
「さぁ。昨日の夜会で婚約したんだろ? あーあ、知ってれば出席したのにな。面白いもん見逃した」
「ほんとだよ。あいつ、いとこの俺たちに一言もないって。知ってればお祝いの一つでも用意したってのに」
「ヒキガエルを箱に詰めたりしてな」
「ああ、さすがのあいつも驚くだろうな!」
そう言って無邪気に笑い合う二人。そんな兄らの姿に、カーラは
「……ふざけ、ないで」
カーラは兄二人を悔しそうに睨みつける。
「わたし……わたしは……、本当に……ウィリアム様のこと……ッ!」
この気持ちは本物なのだ。そんな冗談みたいに笑わないでほしい。簡単に諦めろなんて、言わないでほしい。ずっとずっと好きだったのだから。幼い頃からずっと彼だけを見てきたのだから。
「絶対、諦めない」
カーラは決意する。
しかしその気持ちは、エドワードらの緊張感のない声によって
「――で? 結局相手は誰なんだ?」
「どこの家門? 美人か?」
二人の問いに、カーラはより一層苛立ちを感じつつも――答える。
「……サウスウェル伯爵家の、アメリア様よ」
すると、エドワードとブライアンはあからさまに驚いた。
「アメリアだって……?」
「まさか彼女がウィリアムの相手なのか⁉」
「いやいやさすがにそれは……。――え、本当にそうなの?」
カーラの表情からそれが事実だと悟った二人は、
そんな兄の顔を、カーラは交互に見上げた。
「アメリア様を……知っているの?」
「まぁ。知ってると言えば……知ってる、かな」
「ああ。彼女は有名だから」
「有名? 確かに、とてもお美しい方だったけれど」
「美しい? 確かに美人ではあるが……。そうか、お前は知らないんだな」
「彼女の噂……いや、あれは噂以上だ」
「噂って何ですの?」
二人の様子から、あまり良くない噂ということは読み取れる。
しかしいったいそれは何なのか。昨夜のアメリアしか知らないカーラには想像もつかない。
「いや……知らないなら知らないままでいた方がいい」
エドワードはブライアンに目で合図を送る。
「そうだな。少なくともお前のその様子からすると、昨夜は大丈夫だったみたいだし……」
「いったいどういう意味ですの……?」
――自分には教えられないということだろうか。
何かを隠している様子の二人に、カーラは苛立ちを募らせる。
「そういやウィリアムって、昔から女の趣味悪かったよな」
「あー。確かに言われてみると。やたら気の強い女とか、全然愛想のない女とかな」
「ほら、覚えてるか? お前、
「あぁ! あったあった。一晩200ルクスのいい女。それでもあいつは抱かなかったな」
「そうそう! 覚えてるか? あの女、十分も経たずに部屋から追い出された腹いせに、俺の顔を
「ははっ、確かにあれは酷かったな。三日も痕が消えなくて、失恋したって噂になったっけ」
「笑い事じゃない! 父さん以外に
――いったい何の話をしているのだ、この二人は。
エドワードとブライアンの会話に、カーラの顔が怒りで赤く染まっていく。
そしてその怒りが絶頂に達しようという――そのときだった。
「ほーお。お前たち、神聖な
「クリスお兄さま!」
「げっ、兄さん」
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